北九州4ヶ国の間違い


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

北九州4ヶ国は邪馬台国が属国とした北九州に4つあった国で、考古学会の定説が検索すればすぐ出てくるが、『魏志倭人伝』の方角と定説の方角が合致しないのを無理矢理に考古学的証拠でねじ伏せて、メディアや本でここが北九州4ヶ国だと教えて常識とするが間違いである。
これまで反論らしい反論が出て来なかったことから、有力な考古学的証拠を集めて輪をかけて公表することで不動のものにしようとしているが、しょせん現代日本人レベルの専門家の浅知恵である。
僕は古代日本史研究を始めて約半年で北九州4ヶ国の間違いに気付いて、僕のコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)「自己認識の再構築」を使って、正真正銘の北九州4ヶ国の自論を作り上げたのであって、最初の著書にも記しているが、それらの対比図を下に示す。

この対比図は『魏志倭人伝』の修正ルートが投馬国(とうまこく)まで正しく、邪馬台国と女王国が別国だから分かれて、定説が完全な間違いであることを露呈して、僕の自論が見事なまでに修正ルートと合致している。
インターネット検索すると『魏志倭人伝』の原文の対海国と一大国は、違う漢字を当てはめて対馬国と一支国と出てくることがあって、原文が複数存在して元の漢字がどれか分からず間違いでなく、どれが正しいか間違いかの根拠もない。
『魏志倭人伝』に郡と記されているのは所在地不明の帯方郡(たいほうぐん;北朝鮮南部とソウル付近の2説がある)で、一大国(いちだいこく;壱岐島)までが定説も自論も一致するが、定説が正しい方角をはじき出していない。
壱岐島からおそらく南下して末盧国(まつろこく)が松浦(まつうら)郡として、伊都国(いとこく)が古代地名の怡土(いと)郡の糸島(いとしま)郡で、奴国(ぬこく)を那珂(なか)郡の福岡市で、不弥国(ふみこく)が宇美(うみ)町としているが、根本的に方角以前の問題であることに気付いていない。
『魏志倭人伝』は1千7百年以上前の古代中国で書かれて古代中国語読みが当然だが、新井白石の北九州4ヶ国の定説が現代日本語読みで当てはめていて、『魏志倭人伝』の4ヶ国でさえ現代日本語読みで根本的に全て間違いだった。

『魏志倭人伝』の記述は「又渡一海千余里至末盧国…東南陸行五百里到伊都国…東南至奴国百里…東行至不弥国百里」で、北九州4ヶ国の方角をどう解釈しても定説の通りにならなくて間違いとしか判断できない。
一大国から海を渡って末盧国に至るには方角が記されず、松浦郡に至る南に進路を取るのが間違いで、こういう解釈が生まれる理由が現代哲学理論「現象学」の「思い込みの数だけ解釈がある」で説明できる。
伊都国に注目して古代地名「いと」を探すと、平安時代初期の古代地名辞典『和名抄』で福岡県内に2つの古代地名「いと」があって、定説の怡土郡ともう一つが自論の福岡県中部の位登(いと)郷である。
自論の位登を見い出した僕は、壱岐島から福岡県宗像郡に入って福岡県中部を抜けて、瀬戸内海に面した福岡県南東部に出るルートを考え出して、そこから古代地名を挙げて検討していった。
蓑生(みのふ;福岡県福津市西部、旧宗像郡福間町)から位登(福岡県田川郡糸田町)に着いて、さらに仲津(なかつ;福岡県京都郡みやこ町中央)を抜けて、陸路の終着点の筑城(ついき;福岡県築上郡築上町北部)に到着する。
『魏志倭人伝』の修正ルートと自論の合致から、瀬戸内海に出るのが確実で自然と九州説を否定して、これによって畿内説でチェックメイトとなるが、そう簡単に問屋が卸(おろ)さない。

定説でも異説でも日本海を抜けたり、瀬戸内海に出たり九州を南下したり、はては沖縄を邪馬台国としたりと支離滅裂で、現代哲学理論「現象学」の「思い込みの数だけ解釈がある」の通りで、その全てがはずれで僕が完全に正しい答えを示した。
瀬戸内海に出て南下するのだが、正しくは南南東に向かって東寄りだから四国の土佐(高知県)に行って、投馬国が現代中国語読みでも土佐と音韻が通じて、『魏志倭人伝』の国の様子に似ていると考えられて間違いないだろう。
土佐から船で南下(正しくは南南東)だから、東寄りに北と東の航路を加えて、大阪湾岸に上陸して陸路一月で女王のいる場所に着くと思われているが、卑弥呼は女王でなく一皇女にすぎなくて、正しく求めると大和に天皇がいるのである。
陸路10日で邪馬台国(大和)に着いて王都が纏向(まきむく)遺跡で景行(けいこう)天皇の皇居・纏向日代宮(まきむくひしろのみや)に当たり、さらに陸路20日で女王国(伊勢)で卑弥呼の倭姫命(やまとひめのみこと)の居場所が三重県伊勢市の磯(いそ)神社である。
魏王朝遣使の時期に卑弥呼の倭姫命は隠居していて、現在の伊勢神宮内宮でなく伊勢市の磯神社で太陽神を祭っているのである。

『魏志倭人伝』の方角は現在の方角と異なり、東が正しく求めると東北東で南が正しく求めると南南東で、正確な東西南北と北東と北西と南東と南西が記されない鉄則がある。
北九州4ヶ国の真実を求めたのはこの世でただ一人僕だけで、古代日本史研究から約半年の2003年5月頃に求めて、この時に使ったのがコペルニクス的転回「自己認識の再構築」である。
邪馬台国と女王国を同一国としたり九州説を信じるシロウトは馬鹿で、しょせんアインシュタイン博士以上の天才である僕に勝てるわけもなく、邪馬台国論争に幻想を抱いた末路がこの真実である。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『この一冊で「哲学」がわかる!』
白取春彦・著者 株式会社三笠書房・発行
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