器用でなくていい、自分の「流儀」を持て


これは僕の4冊目の本に記している内容を抜粋している。

非常識な発想

常識は普通の人が共通に持つ知識や理解力や判断力のことで、中村修二博士だとそれに反した非常識な考え方が強いものだと言っている。
日本の企業は年がら年中会議をして、非常識な発言があるとすぐにつぶし合い、常識的な意見ばかりを採用して発展がないという。
これは実に簡単なことで、何人だろうと複数で考えると意見が一致したものを出そうとするからで、一個人の自由な意見を反映させないためである。
一個人の自由な意見は時に非常識なもので、常識的な考え方とどちらが強いかというと、非常識的なものの方が強いのである。

僕の考え方を例にすると、邪馬台国論争と日本神話が挙げられる。
邪馬台国論争の定説だった北九州4ヶ国は、江戸時代の新井白石の説を考古学的証拠で後押しして常識としていたが確実な間違いで、僕の自論がコペルニクス的転回「自己認識の再構築」から成立させて打破した。
日本神話は古代天皇家の史実を神話化したという考え方があるけれど、根本的に正しいか分からず誰にも求められなかったが、僕が最初からコペルニクス的転回を発揮して、3冊目の本で「記紀」の日本神話を完全解釈してしまった。
邪馬台国論争と日本神話はコペルニクス的転回でない限り求められず、コペルニクス的転回が非常識的な考え方が強く、常識的な考え方でないためである。

僕の考え方が非常に強い理由は、普段から常識に捕らわれず非常識な考え方を意識せずにするためで、凡人だと意識して非常識な考え方をする必要があるだろう。
非常識な考え方が強い理由は、僕自身の存在が大きな理由となっている。

孤立を誇りに思う

孤立を誇りに思うことは、非常識を恐れないことだという。
孤立を僕なりに言い換えると孤独で、幼少から孤独だった僕は誰より圧倒的な考え方ができる。
孤独だと独創性…特に「ひらめき(インスピレーション)」を高めることができて、一人で考えるというのが何よりも強い考え方を生み出すのであり、非常識的な考え方を高めるということである。

他人と一緒に考えて一つの目標に向かって進むことも重要だけど、一人で一生懸命に考えて努力することも重要であり、学校教育で数学のように一つしかない答えを考えるなら他人と一緒でも良いが、国語のように複数の答えがあるのは一人で考えさせるのも重要である。
メジャーリーグのイチロー選手が大記録を打ち立てたのは、子供の時に一人で人知れず努力したためで、「ひらめき」に限らず圧倒的な力をつけるのに十分な努力が必要である。
僕のように幼少から孤独だと精神に異常をきたして精神障害を持ったように、成長過程で孤独を味あわせるのでなく、一人で考えさせる力を付けることが大切なのである。

いつか雑音は消える

雑音とは周囲でとやかく言う人物たちのことで、そういう人物たちの言うことを聞かなくなるほど考え方が進むということである。
僕はいつも孤独で考え方に口を出す人間がいなかったが、雑音というほど周囲の人間が口を出せば考え方が乱れると思う。
他人のためを思って口を出す人間がいるかもしれないが、それがかえって考えている人を乱す原因になることもあるだろう。
孤独に考えている人は自分一人の世界にいる状態で、他人を寄せ付けないから良い考え方ができるのに、それを邪魔する雑音になる方がどうかしている。
どうしても雑音が入ってくるなら、それを無視して孤独になれる努力をするべきである。
それができる者が圧倒的な考え方をして、確実な勝者になれるのである。

自分流につながる経験

自分流とは自己流のことで、他人から教えてもらって作り上げるものでなく、自分なりのやり方や考え方をあみ出していくということである。
僕は自己流で考え方を体得してアインシュタイン博士以上の天才になったもので、決して誰かに教えられたものでもなく、38年間の半生で独自に生み出したものである。
僕の4冊目の本を読んで全てをまねてもアインシュタイン博士以上の天才になれるはずもなく、自分で独自に考え方を作り上げて成功すれば天才になれるかもしれないが、あくまで可能性の問題である。

自己流の考え方を確立するのはあくまで自分自身で、十人十色という言葉があるように10人いれば10通りの人生があるように決して同じものなどない。
自己流はあくまで我流であって他人のやり方をまねても、決して一緒になって良いというものでなく、自分自身の独創性を求めていくことが大切である。

すぐに分かることが恐い

東大や京大や一流企業などの人間はすごい頭脳や判断力や知識を持っているかもしれないから、欠点や成果が出ない理由がすぐに分かるがそこで止まってしまうという。

僕は古代日本史研究を始めて答えがすぐ分かったわけでなく、断片的なものをパズルのピースのように一つずつ当てはめて、圧倒的な理論の集大成を作り上げた。
僕は考古学者と歴史学者と歴史家の文献を読みあさり、正しいと考える部分と間違っていると考える部分を選別して、正しいと考える部分だけを残して、それを組み合わせることで答えを作り上げてきた。
僕の考えの中に最初から答えなどなく、一つ一つ十分に考えて答えを見つけ出して、専門家たちの考え方を疑いながら学び取り、自分なりの答えを見つけ出してきた。

優秀な頭脳や判断力や知識を持っていれば、欠点や成果が出ない理由がすぐに分かるだろうが、一から作り上げる努力をしないで何も分からないだろう。
中村修二博士は一から作り上げる努力をしてノーベル物理学賞を受賞する発明をしたからこそ、すぐに分かることが恐いというのだろうが僕に経験がないので分からない。
ただ言いたいことは何となく分かり、おそらくその通りだと思う。

専門家を全て信じてはならない

古代日本史において専門家を全て信じると確実な間違いを起こすことは、最も理解できる超頭脳の僕の経験談が語っている。
邪馬台国論争の定説だった北九州4ヶ国は、江戸時代の新井白石の説を考古学的証拠で後押しして常識としていたが確実な間違いだった。
また邪馬台国(大和;奈良県)と女王国(伊勢;三重県中部)を同一国としたのは、考古学界と歴史学会の確実な間違いだった。
倭の五王を応神(おうじん)天皇から雄略(ゆうりゃく)天皇の7人の中にいるとするのは、歴史学者の現代日本人レベルの勘違いにすぎなかった。

「記紀」を正当にひもといて西暦80年代から507年までの古代天皇家の歴史を再現した僕は、古史古伝と神代(しんだい)文字という禁忌の領域まで触れて、圧倒的な答えを導き出したからこそ専門家を全て信じるわけでなく根本的に疑う。
考古学は確実な考古学的証拠があっても、歴史書の解釈に惑わされて全く判断できず、何が正しくて何が間違いか分からない状態だった。
歴史学は日本神話や何天皇の時代かも歴史書を根本的に把握できず、歴史書そのものが正しいか間違いかも判断できていなかった。
考古学と歴史学の専門家の頭脳や知識がその程度で、全くのシロウトだった僕が完全に出し抜く形になり、そもそも理解した内容に確実な違いがあったから当たり前である。
そもそも日本神話と邪馬台国論争と倭の五王はコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)でない限り求められないもので、つまり僕以外に古代天皇家の歴史をひもとけるはずがなく、専門家がいくらない知恵をしぼり出しても烏合(うごう)の衆に変わりなかったのだ。

神に選ばれた運命に導かれた奇跡の申し子の僕だけが達する領域で、他の誰も決して踏み込めない聖域だったのだから仕方ない。
こればかりは神様や運命を信じるしかないことで、アインシュタイン博士以上の天才たる僕だけが選ばれた存在だったのだ。
専門家を全て信じることがいかに危険か古代日本史の世界は、僕の存在自体が証明の対象に他ならない。

自分にはできるという感じを大切にする

中村修二博士は子供の頃から負けず嫌いで、一つのことに没頭してやり遂げる自信を持って、自分ならできるという確信があったのだという。

僕の2冊目の著書に記していることだが、僕は歴史研究に絶対の自信がなく間違ってないかという猜疑心(さいぎしん)を持っていたことを書いており、自分ならできるという確信があった中村修二博士と違って臆病者である。
僕は負けず嫌いの性格でなく勝ち負けにこだわらない性格で中村修二博士と違う点で、自分ならできるという確信がなかったけれど歴史研究をする過程で自分の思考パターンなどが特別で、自分以外の人間だとひもとけないのでないかと思うようになった。
実際に僕の思考能力はアインシュタイン博士クラスのコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)だったのだが、そのことに気付いたのが歴史研究を終えた2004年7月以前のことだったと思う。

自分ならできるという確信があったわけでないが、一つのことに没頭してやり遂げる思いの強さがあったから歴史研究を一大理論にまとめ上げたのであり、何かに集中して達成する自信を持つことは大切だと思う。
今の僕は古代日本史において神代(しんだい)文字と古史古伝を扱える唯一の人間で、他の誰も触れられなかった八百万(やおよろず)の神々…神様の領域まで及び、他の誰もが僕に及ばないことを実感しているし、僕に及ぶ才能の持ち主が出現する可能性がほぼ皆無であることも分かっている。
自分にはできるという思いを大切にすることは、歴史研究をしていた当時の僕だと分からなかったが、現在の僕だとそういう思いの強さが重要だと気付いている。

器用な生き方が逆に自分を小さくする

中村修二博士は不器用でもコツコツやっていく生き方が、なんでもできるという自信につながり、負けず嫌いな性格だという。

僕は世渡り上手な器用に生きられる人間でなくて、小さい頃から苦手意識の強い不器用な生活をしてきて、負けず嫌いな性格など全くない。
僕は保育園で恐竜に興味を持ったことが古い時代への好奇心や探究心につながり、小学校高学年で古い時代への興味が考古学を勉強させて、22歳の誕生日頃に古代日本史への興味につながったことから、一つのことを不器用なまでに深く追求していく人間で、その興味関心が僕の人生経験に深く関係している。
僕は保育園で恐竜、小学校中学年で天文学、小学校高学年で考古学、中学校で超古代文明、高校の祖父の死で命・魂・精神・戦争・平和、22歳の誕生日頃に古代日本史に興味を持って、それ以来それぞれの分野への興味がうすれることなく続いて、それが僕を大きく成長させてきた可能性が高い。

僕はそれぞれの分野を深く探求してきたが、十分な答えを出したわけでなく、不器用なやり方で何となく楽しんでいただけである。
ただその不器用さが一つのことに対する強い集中力を生んだ可能性があり、そういうやり方が大切なこともあるのかもしれない。

一つの問題を限りなく問いつめていく快感

僕は小学校から算数が苦手で0点を取ることもあり、高校で簿記を習っても計算が苦手でテストで十数点を取って留年しかけたこともあるほどで、計算があまりにも弱いという欠点を持っている。
そんな僕でも得意な天文学や歴史の授業などでは才能を発揮して、小学校高学年の時に邪馬台国論争の新聞記事集めや縄文・弥生土器集めに熱中したことがあり、一つの問題を限りなく問いつめて調べることに快感を覚えたことがあった。

一つの問題を限りなく問いつめて調べる快感は古代日本史研究で顕著に表れて、日本神話が史実を神話化している可能性、邪馬台国論争の定説が根本的に間違っていて一から自分で求めていく必要があることなど、あまりに集中しすぎて面白いほどにひもとける自分の才能が特別だと考えるほどだった。

一つの問題を限りなく問いつめることは、発明王エジソンの千件以上の特許やアインシュタイン博士の理論などにしても、そういった考え方を集中的にしたから生まれたのだと考えられる。
人間誰しも何か苦手なものを持っているだろうが、それと別に圧倒的な才能を持てる可能性があるはずで、後はそれをいかに活(い)かせるかということだろう。

外的な判断はカッコにくくれ

中村修二博士はボーッとしている時に、資料や文献や他人の意見のような外的な判断をカッコにくくって、それらに左右されることなく物事の本質にせまって新しいアイデアを得るという。

僕は中学生の頃から自己嫌悪におちいるようになってよくボーッとしていて、時に独り言を言って色々な問題を頭の中で整理しており、古代日本史の資料や歴史書や専門家の意見に左右されず、物事の本質にせまって新しいアイデアを思いつくことがある。
僕は独り言を言うクセがあるのだが、自分の頭でうまく判断が付かない時に整理する時、自分の興味対象に対する好奇心が鎌首をもたげた時など理由が色々でも、時として新しいアイデアにつながる時もあるけれど、僕のことを変わり者という目で見られるかもしれない。
古代日本史の場合だと資料や歴史書や専門家の意見のような外的な判断に左右されないことが大切で、専門家の意見を鵜呑(うの)みにしていれば邪馬台国論争のように間違いだらけになり、何が正しいか間違いか判断できる知識をつちかうことが必要だと考えられる。

僕は何が正しいか間違いか判断できる知識を自分で作り上げていて、他人の意見に左右されない自分自身の頭脳で見極めるべきで、それができなければ自分の成長のさまたげにしかならないだろう。
外的な判断をカッコにくくるというのは、物事の本質にせまるために資料や文献や他人の意見のような要因に左右されず、自分自身の判断で答えにせまることである。

鈍くさい子が神童をいつか追い越すわけ

中村修二博士は子供の頃からボーッとして周囲から鈍くさい子と思われたかもしれないが、何かを考えているタイプの子供の方が成功するのだという。
僕は中学生の頃からボーッとしていた自覚があり、小学生の頃に周囲と全く違った行動を取っていた自覚もあって、変わり者とか鈍くさい子供と思われたかもしれないが、大人になって誰も及ばないアインシュタイン博士以上の天才になった。

少年時代に優秀であった者が神童と呼ばれて、大人になっても優秀だった人物として学問の神様である菅原道真(すがわらのみちざね)がいて、他に石川啄木なども大人になっても優秀だったという。
少年時代に神童と呼ばれていても、大人になってから成功しないのがおそらく普通で、僕のような変わり者とか鈍くさい子供と思われるタイプの方が優秀な場合があって、僕はあまりに顕著すぎる実例となってしまった。
中村修二博士や僕は子供の頃からボーッとしていたタイプだが、そういう人間の方が神童を追い越してしまうことがあり、周囲の人の反応を気にせず自分の道を行くのが大切だと思う。

<参考文献>
『「バカになれる男が勝つ!」』
中村修二・編者 株式会社三笠書房・発行

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