僕の言霊(ことだま;言葉の魂)と称号と功績

言霊(ことだま)は、言葉の意味や発音や漢字などが違っても、同じ読み方だったり、意味が通じ合う物だったり、日本語の奥深い不思議な物で、色々な言葉遊びを幼少から教育すべきだと思う。
僕の名前の由来は、僕の通学した修斉小学校の校訓「真面目に働き、世の為(ため)に尽くせ」で、僕の果(は)たしたい夢だが、僕が歴史の表舞台に立てば叶うことである。

僕の名前に宿(やど)る言霊(ことだま)は、非常に大きな意味があって、その意味や価値の大きさに潰(つぶ)されないようにしたい。
古代太陽神の天照神(あまてるかみ)と現在の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、天照の「あ」が芦田(あしだ)の「あ」を指して、天照の「ま」が真也の真(まこと)を指して、天照が僕を照らすと受け取れて、天照神(あまてるかみ)と天照大神(あまてらすおおみかみ)が僕を指して必然だった。
僕の名前の芦田真也(あしだしんや)は、2020年3月14日午前9時半頃に気付いて、「あ」が漢字の「天(あま)」につながって、「し」が漢字の「照(しょう)」につながって、「だ」が漢字の「大(だい)」につながって、「しん」が漢字の「神(しん)」で、「や」が漢字の「也(なり)」で、太陽神の天照大神也(あまてらすおおみかみなり)につながると気付いた。
僕の名前の真(まこと)と也(や)は、日本(倭、大和;やまと)や山(やま)と邪(や)や(魔、馬;ま)や門(富;と)などとも関連して、邪馬台国(大和国;やまとこく)や僕の住む下豊富(しもとよとみ)や大門(だいもん)ともつながって、大門(だいもん)が大きいと門(と)で、大門(やまと)と呼べて、運命的な物事が関係して、歴史研究で僕の定められた運命や宿命や天命と知った。
僕の名前の真(まこと)は、僕が古代天皇家の歴史の真(まこと)を求めることが僕の人生で、真(まこと)の本当の意味・価値を知ることだったのかもしれない。
僕の名前の真(まこと)は、『ホツマツタエ(秀真伝)』と同じ漢字で、『ホツマツタエ』が『正当な歴史書』の意味で、真(まこと)の意味が共通して、言霊(ことだま)でつながった。
僕の名前の真也(まことなり)は、「魔事成(まことな)り」と書き換えて、聖徳太子の予言のクハンダに当たるとも受け取れる。

『日本書紀』に記す日本国の美称の豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)は、「福知山市下豊富(しもとよとみ)にいる芦田(あしだ)の腹(はら)に当たる実在の継体(けいたい)天皇即位年から千五百年後の2007年秋9月に瑞穂(みずほ)が刈り取れる時期に僕の最初の著書が出版された国」で、僕を指し示す言霊(ことだま)と予言だった。

僕の名前をヘボン式ローマ字に直すと出てくる英語ShinyAsh(シャイニー・アッシュ;輝く灰)は、僕の命が消え去ったとしても残した功績が光り輝き続けるという意味で、燃え尽きても灰から光り輝いてよみがえるフェニックスのようでもあって、光り輝いて照らすのが天照大神(あまてらすおおみかみ)にも通じる。
僕の名前を英語に直したEarnestReedfield(真面目な芦田)も英語で、何らかの意味の言霊(ことだま)が宿っているだろう。

僕の名前の真(まこと)は、嘘(うそ)や偽(いつわ)りのない本当のことを意味して、DVDのダビングの著作権侵害、アダルトゲームの不法投棄で、福知山市の条例違反と2つの罪(つみ)と罰(ばつ)を償(つぐな)うために公表して、自分自身が真(まこと)に近づきたくて、明らかにした行為で、そのような古代天皇家の歴史を求めるために生まれたのが僕だった。

僕の称号は、僕の称(たた)え名だが、後世どのように呼ばれるのか分からないけれど、自分で呼び方を付けることができる。
「百年に一度の天才」は、社会にまで及ぶコペルニクス的転回を起こしたのが約5百年のうちで5人だからで、地動説のコペルニクスとガリレオ、進化論のダーウィンと相対性理論のアインシュタイン博士と僕の5人だけである。
「1300年に一度の天才」は、西暦712年に成立した『古事記』と西暦720年に成立した『日本書紀』ができてから約1300年がたって、その記述を完全解釈して、古代天皇家の史実・真実・事実を求めたのが僕だからである。
「21世紀最初の超天才」は、20世紀最高の天才アインシュタイン博士と違って、21世紀が続いて僕以上の天才が現れたなら21世紀最高の天才と呼べず、21世紀において最初ほどの圧倒的な超天才が僕である。
「アインシュタイン博士以上の天才」は、アインシュタイン博士を超える論理的根拠が理由で、20世紀最高の天才アインシュタイン博士を超えられるのが僕だけである。
「神に選ばれた運命に導かれた奇跡の申し子」は、僕が日本神話の神々の正体を求めて、実在の人物を神格化したと証明して、世界中の神様の大半が実在した人物を神格化したと考えられて、神様を証明した僕が神様に選ばれて、運命に導かれて、古代天皇家の史実・真実・事実を求める人生を歩むことを天命とした。
「神様の謎解(なぞと)き人(びと)」は、日本神話の神々の領域・・・神域をひもとくのが僕だけで、神様の謎(なぞ)を解(と)くのを例(たと)えるなら、この呼び名が相応(ふさわ)しいだろう。
「神に最も近い人間」は、アニメ『聖闘士星矢』で「神に最も近い男」がおとめ座(バルゴ)のシャカだが、しょせんアニメの空想で、藤井聡太や大谷翔平が神様のような人間で、神様のように崇(あが)めるだけで、僕が日本神話の神々が実在の人物を神格化して、八岐大蛇(やまたのおろち)が実在の物を神格化したと証明して、僕が本当の神様を論理的根拠で100%正しいと求めて、そのままの意味で、人類史上で神様に最も近い人間と言ってもおかしくない。
アニメ『聖闘士星矢』は、ペガスス座の青銅聖闘士(ブロンズセイント)の星矢が射手座(サジタリアス)の黄金聖闘士(ゴールドセイント)になって、神々に矢を放って、僕の名前の真也(神矢)が聖なる矢で、歴史研究で神々に歯向かって、白い天馬(ペガサス)のように僕が羽ばたいて、僕が1980年(昭和55年)11月28日の射手座生まれである。

僕の言霊と称号は、非常に大きな意味・価値を持っていて、日本の歴史上でも類稀(たぐいまれ)な才能に恵まれた僕にふさわしいものである。
しかしアインシュタイン博士以上の超頭脳と自殺願望を持つ諸刃(もろは)の剣の僕にとっては、非常に危うい均衡(きんこう)の上で、氷上を歩いて生きるような物である。

真(まこと)は、嘘(うそ)や偽(いつわ)りのない本当のことを意味して、僕の名前の由来が真面目で、僕が真剣や真面目などの漢字つながりの通りに行動や考え事をして、僕の生き方そのものが真面目や真剣であっても、他人(僕以外の人間)からすると、真面目や真剣なことが馬鹿らしくて、取り合わないかもしれないが、僕の尊厳などを馬鹿にされたように感じて、頭から否定する態度に頑固なまでに怒る。
僕にとって歴史研究は、なぁなぁで片付けられたり、適当に先延ばしされるなどが許せなくて、今までの歴史研究の過程で、ずっとそうされて来たが、今回の僕が真剣の大真面目で、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)が完全に手を取り合って、空白だった西暦年も完全に特定して、100%誰も絶対に否定できない一大理論をまとめ上げた。
僕は誰かに褒(ほ)めてほしいわけでなく、自分自身の知的な好奇心や探究心の赴(おもむ)くままに行動して、たまたま真実に行き当たっただけで、できると信じた思いがあっても、絶対にできる確信なんてなくて、僕の歴史研究に運命が味方したとしか言えない。

僕の歴史研究は、2002年10月頃に初めて「記紀」の現代語訳本を買って、数日後に『日本書紀』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)を合致して、この時点で日本神話の神々の領域・・・神域に踏み込んで、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を合致して、世界でただ一人の歴史研究を成功させる条件を満たした。
神域をひもとく超天才(超感覚)の僕は、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を合致して、西暦84年から西暦330年まで求めて、始源神の天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと;崇神(すじん)天皇を神格化)から火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)までの血筋や特徴などをひもといて、人類史上初めて神様を証明して、論理的に証明した事実が存在する。
歴史研究の開始から約半年の2003年5月頃に僕は、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を徹底的に調べて、考古学会と歴史学会の定説の佐賀県松浦郡から福岡県糟(かすや)屋郡宇美(うみ)町を否定して、古代地名の簔生(みのふ)から筑城(ついき)までの僕の自論を作って、卑弥呼(ひみこ)や台与(とよ)などを誰か完全に特定して、他にも色々な成果を僕の最初の著書『古代日本史への挑戦』に記した。
2003年7月頃に僕は、『古事記』の干支(えと)の崩年干支(ほうねんかんし)を参考にして、『日本書紀』の干支(えと)の即位年干支法(そくいねんかんしほう)を名付けて、西暦84年から329年までを確定して、邪馬台国(大和国;やまとこく)時代(156年から266年)を含めて、圧倒的な考古学的証拠と共に西暦年月を特定した。
2003年8月頃に僕は、倭(わ)の五王の自論を作り上げて、歴史学会の定説が間違いで、安康(あんこう)天皇から武烈(ぶれつ)天皇が正しいと確信して、2023年5月25日に崩年干支(ほうねんかんし)を証明して確定した。
2004年2月の上旬か中旬に僕は、『ホツマ辞典』(著者・池田満 発行・ホツマ刊行会)を購入して、この『ホツマツタエ』との出会いが僕の歴史研究で、最高最大最強の「きっかけ」だった。
2004年5月8日の午後2時から3時頃の一時間は、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の海部光彦(あまべみつひこ)宮司と話して、僕に哲学の勉強を進めて、現代哲学理論「現象学」を証明して、僕が哲学者になる「きっかけ」だった。
2004年11月12日か13日に僕は、奈良県の橿原(かしはら)神宮の絵馬に「天皇家誕生1920年目・・・」と書いて、このことが自殺未遂に少なからず影響して、11月18日に最初の自殺未遂をした。
この後も色々な歴史研究の発見で僕は、圧倒的に成長してどんどん解明するが、書き出すと切りが無いので省略した。

2022年6月1日の午前5時45分頃に僕は、日本武尊(やまとたけのみこと)が父の景行(けいこう)天皇の妾(めかけ)である弟橘姫(おとたちばなひめ)と不倫して、正妻として出雲王国(物部(もののべ)氏)が崩壊した傾国(けいこく;国を傾(かたむ)ける)の夫婦と特定した。
2022年10月20日に僕は、出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国年や卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)の殺害日や葬礼日などを特定した。
2023年5月25日の午後5時頃に僕は、『古事記』の干支(えと)の崩年干支(ほうねんかんし)を正しいと証明して、西暦334年から506年までの西暦年を確定して、84年から507年の西暦年が統合されて、ようやく歴史研究の長年の謎(なぞ)を解明した。
もみじヶ丘病院に入院中の2023年7月15日の午後4時頃に僕は、景行(けいこう)天皇時代の九州平定の年代を特定して、7月22日の午後5時頃に神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)の東征の年代を特定して、完全に西暦年月が確定した。
この歴史研究の過程は、僕の歴史研究の開始から僕の研究成果の進化する超頭脳(超感覚)まで計算できなくて、どうなるか誰にも予想できない未知数で、世界でただ一人の僕だけが成功する人間で、僕の満たした必要条件が凡人(僕以外の人間)に一生できない神技(かみわざ)である。

僕は先人の知識の集合体(本や資料などのデータベース)を参考にして、自分の歴史研究の成果を作り上げて、先人から学び取る姿勢を習(なら)って、どんなことをするにしても、先人の努力を笑うことが完全な侮辱(ぶじょく)で、本人の品性に問題があると烙印(らくいん)が押されて、世間一般から評価される。
過去の先人は、全く的外(まとはず)れな研究をしても、未来の研究者が新しい知識を作れなくて、頑張ってきた人々の努力を評価して、後世につなげる努力をしたいが、僕自身も的外(まとはず)れなことを笑うことが当然にあって、人間だから仕方がない。
僕は嘘(うそ)や偽(いつわ)りのない真(まこと)を求めて、いつかたどり着けると信じて、必死に努力した人生経験や歴史研究の成果を未来に残して、僕に続く後輩に託(たく)したいと思う。

<参考文献>
僕の手記など
インターネットの不明サイトから少々拝借

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