皇室以前の時代

皇室以前の時代は日本神話と邪馬台国論争と倭の五王以前の時代で、旧石器時代から縄文時代と弥生時代中期末までで、僕の専門外とする所だが考えてみようと思う。
日本建国は西暦84年で天皇家誕生から今年で1940年目になって、僕の存在によって古代天皇家の歴史の史実・真実・事実が証明された。
旧石器時代ねつ造事件は2003年5月に考古学者の藤村新一氏が作り出したまがい物と公表されて、どこからどこまでが事実か嘘か分からなくて考古学会に大きな打撃を与えた。
旧石器時代は僕より以前に日本でコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を起こした相沢忠洋氏が証明したもので、岩宿遺跡が当時の考古学者が否定した旧石器時代を証明したことが有名である。
コペルニクス的転回を起こすことの困難さは、普段からコペルニクス的転回を起こせる僕だと想像も付かず、歴史上でも非常に困難なことが知られているが、僕のおかげで決して起こせないものでもないようになるだろう。

縄文時代は約1万5千年前から約2千3百年前とされて、超古代文明の滅亡の1万2千年前を含んで、正統『竹内文書』が超古代文明時代の伝承を伝えている。
日本国内で漢字以前の古代文字とされる神代(しんだい)文字はいつ頃から使われたのか分からないが、神代文字が日本独自の文字と思い込んでいるのが固定観念や先入観で、世界各国で神代文字が存在したことが証明されているが広く知られていない。
皇室の祖先は超古代文明時代も縄文時代も日本に存在して、世界中に文明を発祥させるために奔走(ほんそう)して、何度も日本に帰って来たという伝承も正統『竹内文書』の中にある。
僕らが考える以上に皇室の先祖は、世界中の文明と大きく関わりすぎたが故にその存在を消そうとして、『ホツマツタエ』の歴史に偽装工作をほどこして、『ホツマツタエ』16章に遺伝子レベルや現代医学並みかそれ以上の胎児の成長記録を残したのかもしれない。
世界中に皇室の先祖が残したと思われる史料があって、その存在を否定しようとしても否定しきれない事実があって、日本が世界の雛形(ひながた)だったのかもしれない。
三内丸山(さんないまるやま)遺跡や亀ヶ岡(かめがおか)遺跡は東北地方の縄文時代の遺跡で、縄文時代の遺跡の有力なものが東北地方に集中していて、『ホツマツタエ』のヒタカミ(日高見;ひだかみ:東北地方南部のどこか)を中心とした古代国家を想起させる。
『ホツマツタエ』のヒタカミはかつて皇室の先祖が東北地方に王国を築いた時期があったのを後世の伝承に組み込んだのかもしれないが、仲哀(ちゅうあい)天皇時代に東北地方南部までを統治下においたのが必然だったのかもしれない。
縄文時代と皇室には不思議なつながりがあるのかもしれない。

弥生時代は約2千3百年前から約1千7百年前とされるが学者によって諸説あって、西暦84年からを弥生時代後期初頭(西暦100年頃)でなく西暦329年までを僕が大和時代とすることを提案した。
初代の崇神(すじん)天皇即位の西暦84年から摂政(せっしょう;天皇に代わって政治を行なう役職)の神功(じんぐう)皇后の亡くなった西暦329年までを弥生時代と古墳時代に組み込むのを僕は反対する。
弥生時代前期から中期を弥生時代と訂正して、天皇家誕生の日本建国からをしっかりとした時代区分を公表して、皇室の名の下に史実を国民に知らしめるべきである。
正統『竹内文書』にイエス・キリストが日本にやって来た記録があって、青森県三戸郡新郷村にイエス・キリストの墓があるとされて、僕がイエス・キリストの再来でないかというのは必然か?
イエス・キリストが日本にやって来たとされるのは弥生時代中期で、天皇家誕生よりも早い時期でどこまで信頼できるか謎であるが、大いに歴史のロマンをかき立てられる。
皇室以前の時代でも皇室の先祖は世界中と日本と切っても切れない関係にあって、どこまでが真(まこと)なのか全くもって謎である。

<参考文献>
『知の探究シリーズ 日本超古代文明のすべて』
株式会社日本文芸社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

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