『古事記』


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

『古事記』は最古の書物と嘘をついて、『日本書紀』の方が古い可能性があって、『古事記』の偽書説が昔から多く指摘されて、僕も去年2018年9月24日までそれを支持したが、『古事記』が2番目に古い書物で間違いないと考えられる。
僕がこの日からそれを支持する理由は、『日本書紀』と『古事記』の神功(じんぐう)皇后の息子が同母か異母の兄弟とする記述の正当性にある。

『日本書紀』は神功皇后が皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと;在位しない応神(おうじん)天皇)を生んで、仲哀(ちゅうあい)天皇の妃で大酒主(おおさかぬし)の娘の弟媛(おとひめ)が誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を生んだと記す。
『古事記』は神功皇后が品夜和気命(ほむやわけのみこと)と品陀和気命(ほむだわけのみこと)を生んだと記して、「記紀」のどちらが正しいか分からないが、誉屋別皇子と誉田別尊の兄弟が実在したのが確かである。
『ホツマツタエ』でオシホミミ(仲哀天皇を神格化)とタクハタチチヒメ(神功皇后を神格化)の子供は、初代ホノアカリ(誉屋別皇子を神格化)とニニギネ(誉田別尊を神格化)で、タクハタチチヒメが神功皇后と弟媛を神格化した可能性もある。
タクハタチチヒメは7代目タカミムスビ(武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)の娘の神功皇后を神格化して、複数の人間を神格化していないと考えられて、神功皇后の息子が誉屋別皇子と誉田別尊と考えられる。
『ホツマツタエ』は初代ホノアカリ(誉屋別皇子を神格化)の先祖の2代目ホノアカリ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)が出てきて、彦坐王の子孫が神功皇后で、弟媛が子孫か分からなくて、彦坐王と誉屋別皇子の血筋がつながらない可能性もある。
しかし誉屋別皇子は火の神様に神格化されて、物部(もののべ)氏の直系子孫の証拠で、神功皇后が物部氏の出身であって、誉屋別皇子が誉田別尊の実兄である可能性が高い。
つまり誉屋別皇子と誉田別尊は、『日本書紀』の異母兄弟よりも『古事記』の同母兄弟の可能性の方が正しいと考えられて、実弟の誉田別尊が皇太子になった末子相続と考えられる。

『古事記』は西暦712年に献上した2番目に古い書物で、系図が滅茶苦茶で『ホツマツタエ』の跡形が少なく、例えば天日槍(あめのひぼこ)の系図が『ホツマツタエ』と『日本書紀』が確実に合致するのに対して、『古事記』だと滅茶苦茶に乱れすぎて間違っていることが考えるまでもない。
また『古事記』で景行(けいこう)天皇が息子の日本武尊(やまとたけのみこと)の曾曾曾孫などと結婚する系図があって、単なる系図の混乱でなく正しく理解していないと考えさせて、『古事記』の編者が『日本書紀』の編者よりシロウトと考えさせる細工(さいく)である。

『古事記』で大国主神(おおくにぬしのかみ)の根(ね)の国下り神話や因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話が記される理由は、『日本書紀』の不十分な日本神話を補助するためだが、『ホツマツタエ』にその神話がない理由がなぜか?
『ホツマツタエ』の記述を色濃く残す『日本書紀』に対して、『古事記』が『日本書紀』の影や補助として、『古事記』に根の国下り神話や因幡の白うさぎ神話が史実を神話化させて、『日本書紀』に記さなかったのが偽書説を生み出すためとも考えられる。

『ホツマツタエ』と『古事記』は建御名方神(たけみなかたのかみ)を記すが、『日本書紀』に建御名方神の神名がないのが『古事記』偽書説の勘違いである。
『古事記』に大物主神(おおものぬしのかみ)の子孫として建御雷神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)を位置づけたのは、出雲王家(物部氏)の血筋が初代・武内宿禰につながるヒントとして残して、『古事記』偽書説の疑いを持たせるためと考えられる。
『日本書紀』の出雲の国譲り神話で経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)が登場するのに対して、『古事記』だと建御雷神だけが登場するのは、『日本書紀』が国家規模で編纂(へんさん)したが、『古事記』が摂関(せっかん)藤原氏を中心に編纂したからだと考えられる。

経津主神(武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)と武甕槌神(初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)は物部(もののべ)氏の血筋に当たって、摂関藤原氏の出身の人物が『古事記』の編者の可能性が高い。
『ホツマツタエ』でココトムスビがフツヌシの妹アサカヒメと結婚して息子アマノコヤネが生まれて、アマノコヤネがタケミカツチの娘ヒメ(比売神(ひめのかみ)はヒメより前の名前がない)と結婚して孫アメタネコが生まれたと記す。
アメタネコが神武(じんむ)天皇時代の人物で、仁徳(にんとく)天皇を祖先化したのが神武天皇のため仁徳天皇時代の人物となって、アメタネコの祖父アマノコヤネが神功(じんぐう)皇后時代の人物となり、その義父タケミカツチ(初代・武内宿禰を神格化)が景行(けいこう)天皇60年に約20歳と考えられて年代的に合致する。
そうすると武甕槌神(初代・武内宿禰を神格化)が藤原氏の直系先祖と考えられて、物部氏の人物を神格化した血筋を理解した上で、藤原氏の氏神として伝承した可能性が高いと考えられる。

藤原氏にとって経津主神(武渟川別を神格化)との血筋が薄く、血筋が濃い武甕槌神(初代・武内宿禰を神格化)を直系先祖と分かった上で、『ホツマツタエ』の形跡をワザと消したと考えられる。
『古事記』が建御雷神(初代・武内宿禰を神格化)を重視する理由は、摂関藤原氏が物部氏出身の軍神(建御雷神)の子孫という位置付けを隠して、摂関藤原氏が祭祀氏族で武家の物部氏の血筋が混じっているのを隠したかったのでないか?

『古事記』偽書説は正史に『古事記』の痕跡をワザと消して、『日本書紀』を最古の書物と思わせる偽装工作をして、本当に何が正しいか根本的に疑わせるためだと考えられる。
国家規模で編纂した『日本書紀』に対して、『古事記』は摂関藤原氏を中心に私的に編纂されて、国家規模と小規模の立場の違いから歴史の影に埋もれて、『古事記』の編纂時期を偽った偽書説が生まれたと考えられる。
日本最古の書物は『ホツマツタエ』で4世紀中頃以降の編纂で、『古事記』が西暦712年に献上した2番目に古い書物で、『日本書紀』が西暦720年に献上した3番目に古い書物である。
『ホツマツタエ』は歴史の闇に埋もれた幻の書物で、アインシュタイン博士以上の天才の僕だけが正しいことを証明できる。

<参考文献>
『古事記(上)(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
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