僕の詠(よ)んだ句
この4つの句は、おそらく2004年以前に僕が記して、2011年8月下旬頃に資料整理した時に見つけて書き直した。
神道の和魂(にぎみたま)は、優しい平和的な霊魂と言う意味で、大和国が大きな優しい平和的な国と解釈できて、神道の幸魂(さきみたま)が幸せな霊魂と言う意味である。
幾月日(いくつきひ) 年経(としへ)る幸(さき)に 大和(やまと)かな
<意味>
天皇家誕生からどれほど経(た)つか分からないが、大きく幸せで、優しく平和的なのが大和(やまと)だなあ
元伊勢外宮の祭神の豊受大神(とようけおおかみ)は、「あなにえし、おも植えみし、田庭(たにわ;立派に実(みの)った田んぼの庭だ)」と言って、田庭(たにわ)が丹波(たんば)に変わったとするが、『ホツマツタエ』が丹波(たには)と記して、田庭(たにわ)を否定して、『ホツマツタエ』を信じて、古代の丹波(たんば)が京都府北中部を差して、現在が京都府中部と兵庫県の一部を差す。
瑞穂富(みずほと)む 秋赤音色(あきあかねいろ) 田庭満(たにわみ)ち
あかね たんばみち
(茜) (丹波道)
<意味>
瑞々(みずみず)しい豊作の稲穂(いなほ)が秋の夕日の茜(あかね;赤音)色に染(そ)まって、僕の住む丹波(たんば)の福知山市が田園の庭のように満(み)ちている。
山城国(やましろのくに)は、現在の京都府南部を指(さ)して、古代に山背(やましろ)と書いた。
山城(やましろ)の 降(ふ)り積(つ)もる雪(ゆき) 山白(やましろ)か
<意味>
山城(やましろ)の地は、降り積もる雪で山白(やましろ)に見えるのか?
出雲国(いずものくに)…素戔嗚尊(すさのおのみこと)が「八雲立(やくもた)つ 出雲八重垣(いずもやえがき)…」と句を詠(よ)んだことに由来する。
王国(おうこく)の 忘(わす)れ去(さ)られし 出雲(いずも)かな
<意味>
仲哀(ちゅうあい)天皇9年神無月(西暦260年11月頃)に最後の出雲(いずも)国王・飯入根(いいりね)が殺されて、出雲(いずも)王国(物部(もののべ)氏)が崩壊して、忘れ去られたのが出雲(いずも)だなあ
この4つの句は、それぞれの4つの国を詠(よ)んだ物で、見事にうまく成立したと自分でも感心する。
この2つの句は、僕が2014年6月24日に神様のことを詠(よ)んだ物である。
天照(あまてる)や 日出(ひい)ずる国(くに)の 光(ひかり)なり
<意味>
男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)は、日(ひ)の出(で)の国…日本の本当の光となる神様で、現在の女性の太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の前身である。
出雲絶(いずもた)つ 大物主(おおものぬし)の 眠(ねむ)る地(ち)よ
<意味>
出雲は、古代太陽神の大物主神(おおものぬしのかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)から飯入根(いいいりね)までの歴代の出雲国王を神格化)の神様の系譜が断絶したが、大切に眠る神聖な土地である。
この2つの句は、古代太陽神について詠(よ)んだ必然の物だった。
この句は、僕が2016年11月2日に詠(よ)んだ物である。
日(ひ)が昇(のぼ)り 晴(は)れ晴(ば)れ渡(わた)る 山(やま)となり
(大和)
<意味>
太陽が昇って晴れ渡った山があるのが大和(やまと)である。
この句は、僕が大和(やまと)について詠(よ)んだ必然の物だろう。
この句は、僕が2020年1月30日に日本の建国を詠(よ)んだ物である。
崇神立(すじんた)つ 国(くに)が始(はじ)まる 日(ひ)の出(で)なり
<意味>
崇神(すじん)天皇元年1月13日(西暦84年2月中旬頃)は、初代の崇神(すじん)天皇が即位して、日本国が始まった日の出である。
この句を詠(よ)んだ2020年は、本当の新しい始まりだったかもしれない。
この3つの句は、僕が2022年3月5日に詠(よ)んだ物である。
天照(あまてらす) 神上(かみあ)がりした ヤマトヒメ
<意味>
太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、神格化して神々の仲間入りをした実在の人物の倭姫命(やまとひめのみこと)を元(もと)にしている。
「神上(かみあ)がる」は、神様として天に上(のぼ)った意味で、多くの場合が天皇や皇族が亡くなった時に使う。
天照(あまてる)と 天照(あまてらす)とは 太陽神(たいようしん)…字余り
<意味>
男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)と現在の女性の太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)は、前身と今の姿で、共に太陽神である。
一族(いちぞく)は 清和源氏(せいわげんじ)の 芦田氏(あしだうじ)
<意味>
僕の一族は、清和(せいわ)天皇を祖とする源氏で、井上氏から出た芦田氏だが、曽曽祖父が養子で天皇家の血筋が途絶えた。
この3つの句は、あまりに直球で詠(よ)んだ物である。
僕の詠(よ)んだ句は、偶然に詠(よ)んだ物でも、大切な意味があって、必然で詠(よ)まれた句を通して、日本の過去と現在と未来を見ていたのかもしれず、古代日本史研究をした時に感じることと同じかもしれない。
<参考文献>
僕の手記など
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
インターネットの不明サイトから少々拝借
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