熊野を冠する神社


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

熊野を冠する神社は『ホツマツタエ』の汚穢隈(おえくま;汚(けが)れ)に由来して、熊野が「隈(くま)の」という意味で汚れを祓(はら)うための神社である。

『ホツマツタエ』4章の熊野を冠する神社の由来を青字で記す。

ツキヨミの次に、素戔(そさ)の国(三重県熊野)にてお生みになったソサノヲは、イサナミが月の汚血(おけ)のときに孕まれた御子であったため、常に荒々しい叫び声をあげ、泣きわめいて人々を困らせていた。
イサナミは、ソサノヲが世の隈となっているのも、もとはといえば、月汚血に孕んだわが身の過(あやま)ちであると思召(おぼしめ)しになり、民の汚穢隅を御親の身に受け、民を守ろうと熊野宮(隈の宮)をお建てになった。


月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の子で素戔の国で生まれた素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、母・向津姫(むかつひめ;八坂高依姫(やさかたかよりひめ)を神格化)が月の汚血(月経)の時に孕んだ子で、時に荒々しく暴れて人々を困らせた。
祖母・伊弉冉尊(いざなみのみこと;日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を神格化)は孫・素戔嗚尊が世の汚(けが)れとなるのも元はといえば月汚血に孕んだ嫁・向津姫のあやまちだと考えて、民の汚穢を祖母の身に受けて、民を守ろうと熊野宮(熊野三山の3つの神社のどれか)を建てた。

景行天皇と八坂高依姫の子供で皇太子の日本武尊は、景行天皇の皇居・纏向日代宮(まきむくひしろのみや;纏向(まきむく)遺跡)で生まれたと考えられて、逆賊・素戔嗚尊として神格化されている。
月の汚血とは一月に一度のものの月経のことで、日本武尊が伯母(おば)・倭姫命(やまとひめのみこと;天照大神(あまてらすおおみかみ)に神格化)を死に追いやったことから素戔嗚尊として神格化されて、暴力的とされるのが皇位継承権争いでの反乱、同母兄・大碓命(おおうすのみこと)を殺したとする伝承などがあるためだと考えられる。
熊野三山の神社のどれか現在だと分からないが、素戔嗚尊の汚(けが)れを清める目的で神社が創建したと考えられる。

『ホツマツタエ』5章の熊野を冠する神社の由来を青字で記す。

二神はそののち素戔(熊野)に行幸され、お宮を造営されそこで静かにお過ごしになっておられた。
紀志伊(きしい)の国にも常世の国の橘をお植えになり、そこを常世の里と讃(たた)えた。
先に天(あめ)の節(ふし;厄年)の汚穢隈をさけるために捨て放ったヒルコヒメ(ワカヒメ)も再び召された。
イサナミは花のもとでヒルコヒメに和歌の道を教えているときに、御子をお生みになったので、名もハナキネ(ソサノヲ)と名付けたのであったが、その御子のご性格はまことに荒々しく、常に泣き哭(いざ)ち、雄叫(おたけ)びの声をあげ、一度播(ま)いた稲種を再び播いたりして民を困らせていた。
母の身には捨てることのできない隈(くま)を、民に播き散らしているわが子を見たイサナミは、それを御親(おんみずか)らお受けになろうと、わが子の血脈(しむ)の欠点を償(つぐな)うために、熊野宮(隈の宮)をお建てになられた。


伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(日葉酢媛命を神格化)の夫婦神は九州に行って、三重県熊野地方に行かれてそこで宮殿を建てて静かに暮らし、紀志伊(和歌山県と三重県南部)にも常世(日高見?)の橘を植えて、そこを常世の里とたたえた。
先に厄年で汚穢(おわい;おそらく狭穂彦王の反乱の汚(けが)れ)を避けるために捨て放った昼子姫(大中姫(おおなかひめ)を神格化)を再び娘とされて、伊弉冉尊は花の元で昼子姫に和歌の道を教えていた。
その時に向津姫(八坂高依姫(やさかたかよりひめ)を神格化)が子の素戔嗚尊(日本武尊を神格化)を生み名付けて、その子の性格が真に荒々しく、常に雄叫びを上げて色々と国民を困らせた。
祖母の伊弉冉尊は捨てることのできない汚れを国民に播き散らしている孫の素戔嗚尊を見て、それを伊弉冉尊自らがその汚れを受けようと、孫の血筋の欠点を償うために熊野宮(熊野三山の神社のどれか)を建てた。

三重県熊野市は伊弉冉尊として神格化されている狭穂姫(さほひめ)の亡くなった土地で、伊弉冉尊に縁(ゆかり)の深い土地である。
日本武尊の汚(けが)れを受けるのは母・八坂高依姫とする所だが祖母・日葉酢媛命(伊弉冉尊)とされて、叔母(おば)・大中姫が関わるのが4代目出雲国王・物部十市根(もののべのといちね)の妻だからで、日本武尊が亡命したのが出雲王国という関係になる。
狭穂姫は2代目出雲国王・狭穂彦王の実妹で、日本武尊の反乱が終結したのが出雲王国であって、狭穂姫(伊弉冉尊)と日本武尊(素戔嗚尊)を親子としている関係がある。
日本武尊の汚(けが)れは西暦251年の皇位継承権争いの反乱で、祖母・日葉酢媛命も母・八坂高依姫もすでに亡くなっているはずで、あくまで神話として成立している。
熊野三山の神社は隈の宮と書かれていることから、汚(けが)れを清めるために建立されたことが分かる。

熊野三山の神社は「隈(くま)の宮」で汚れを祓(はら)うための神社で、その主祭神が誰でどのように汚れを祓う目的なのかを考えてみる。
熊野三山の熊野本宮大社の主祭神は家都御子神(けつみこのかみ)、熊野速玉大社の主祭神が速玉神(はやたまのかみ)、熊野那智大社の主祭神が夫須美神(ふすみのかみ)である。
家都御子神は樹木をつかさどって素戔嗚尊の別名で、速玉神(誰を神格化したか不明)が『ホツマツタエ』でイサナキとイサナミの仲人(なこうど)を務めた神で、夫須美神が伊弉冉尊と同一神とされて火の神様とされる。
熊野本宮大社の家都御子神は素戔嗚尊(日本武尊を神格化)だから汚れを直接に祓って、熊野速玉大社の速玉神が伊弉諾尊(垂仁天皇を神格化)と伊弉冉尊(狭穂姫を神格化)の仲人として汚れを祓って、熊野那智大社の夫須美神が伊弉冉尊(狭穂姫を神格化)で、火の神様なのが物部(もののべ)氏の出身だからで汚れを直接に祓っていると考えられる。

熊野を冠する神社は他に熊野大社があって、熊野大社の主祭神が素戔嗚尊(日本武尊を神格化)とされるが火の神様とされて、素戔嗚尊の異母兄弟の熊野樟日命(くまのくすびのみこと;少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)を神格化)に当たり、少彦男心命が物部氏の出身で火の神様に神格化されている。
は「木へん」に豫の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
物部氏の出身の人物を火の神様や雷神に神格化しているのは、アインシュタイン博士以上の天才の僕なら簡単に求められる。
素戔嗚尊(日本武尊を神格化)と伊弉冉尊(狭穂姫を神格化)と熊野樟日命(少彦男心命を神格化)が汚れと深く関係する理由は、皇族で戦死して祟(たた)りを起こす怨霊(おんりょう)として神格化されているからである。
『ホツマツタエ』でホヒの子オオセイイミクマノと記されて、天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊を神格化)の娘婿(むこ)の大背飯三熊野(おおせいいみくまの;飯入根(いいいりね)を神格化)に当たり、大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根を神格化)が熊野の名前にある神様とも同一神である。
熊野を冠することは汚(けが)れを祓(はら)う意味を持ち、その神様や神社に深い意味があって、決して簡単に扱ってはならない。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
インターネット

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