九州の考古学的証拠


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

『ホツマツタエ』の景行(けいこう)天皇12年から19年(西暦202年から209年)にかけて、景行天皇自らが総大将となって九州全土を平定したとされている。
纏向(まきむく)遺跡と纏向石塚古墳と箸墓(はしはか)古墳の存在から景行天皇時代の記述が正しいと考えられて、九州全土の平定を証明する考古学的証拠が間違いなく存在すると考えられる。

九州の考古学的証拠は僕の知識不足から全く分かっていなくて、考古学者の手によって正しく求められることを願うだけである。
『魏志倭人伝』に対馬国(対海国;対馬)と一大国(一支国;壱岐島)が記されていることから古代天皇家の統治国が対馬まで及ぶはずで、九州の考古学的証拠は対馬を含めた九州全土と考えられる。
『魏志倭人伝』に基づくと僕の北九州4ヶ国の自論は、4ヶ国が全て福岡県内に収まって横断するのが正しくて、福岡県福津市西部から福岡県築上郡築上町北部までが正しいのが間違いない。
纏向遺跡から福岡県と鹿児島県の土器が出土していて、福岡県は僕の北九州4ヶ国の自論で統治された地域だから当然として、鹿児島県の土器が邪馬台国(古代天皇家)の敵対国の狗奴国(くぬこく;熊襲)の勢力地と考えられる。
その他の九州の考古学的証拠はほとんど知らなくて、考古学者の手にゆだねるしかないのだが、考古学者が協力してくれれば出版していない3冊目の本に考古学的証拠を記すことができる。
ただ考古学者に著作権を与えるべきなのか、僕自身が著作権を得るべきなのか判断が難しくて、なるようになるのを待つしかなさそうである。

『ホツマツタエ』の記述は福岡県と大分県と宮崎県と熊本県と佐賀県までが記されて、鹿児島県と長崎県と壱岐島と対馬が記されていなくて、記されていない地域も共に平定されたと考えるべきである。
『ホツマツタエ』の記述はそれぞれの地域に皇居を遷都したと記されて、その考古学的証拠が見つかるかが大いに疑問で、本当に景行天皇自らが平定したかも疑わしい所がある。
景行天皇は何年も皇居の纏向日代宮(まきむくひしろのみや;纏向遺跡)を不在にして、国政を放っておいたと考えるのが不自然だからである。
考古学者たちが求めるか僕に協力するかは置いておいても、九州の考古学的証拠を求めることは急ぐべき課題である。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
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