纏向(まきむく)遺跡


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

景行(けいこう)天皇4年11月1日(西暦194年12月上旬頃)に景行(けいこう)天皇は、皇居の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)の纏向(まきむく)遺跡に初めて入って、景行(けいこう)天皇の孫の神功(じんぐう)皇后が亡くなった摂政(せっしょう)69年4月17日(西暦329年5月中旬頃)まで都として機能して、後世の皇居の藤原京や平城京に匹敵する都市遺跡である。
纏向(まきむく)遺跡は、2世紀末頃に出現して、4世紀前半頃に突然消滅した都市遺跡で、神功(じんぐう)皇后の孫の仁徳(にんとく)天皇が西暦330年代(4世紀前半)に即位して、皇居の纏向(まきむく)遺跡を放棄したと考えられる。

纏向(まきむく)遺跡は、全体の5%程度しか発掘されず、少なくとも普通の集落遺跡と一線を画(かく)して、民の暮らす竪穴住居がほとんど見つからず、高床式建物が立ち並んで、自然発生の集落でなく、人工的に作られた都市で、政治・宗教的な意味が強い。
纏向(まきむく)遺跡は、集落遺跡の吉野ヶ里(よしのがり)遺跡より7倍から8倍近く大きな遺跡で、東西南北2キロメートルの範囲を持つ大きな都市遺跡で、防御する張り巡らせた堀(ほり)の環濠(かんごう)がなくて、吉野ヶ里(よしのがり)遺跡のように大勢の人間が暮らす村落でなく、政治的や宗教的などの目的で、人間が暮らさないで、国政執行の都市の役割を重視する。

纏向大溝(まきむくおおみぞ)は、桜井市東田(ひがしだ)にある纏向(まきむく)遺跡の北構と南溝で、溝(みぞ)の長さが北構で約60メートル、南溝で約140メートル、灌漑(かんがい;外部から農地へ水を流すこと)や物資を運ぶ水路と考えられる。 纏向(まきむく)遺跡は、特殊器台埴輪(はにわ)が出土して、垂仁天皇陵に埴輪(はにわ)を使用して、埴輪(はにわ)が出土して当然で、岡山県の楯築(たてつき)遺跡群の特殊器台土器が起源である。
纏向(まきむく)遺跡から3世紀中頃から後半の建物跡が出土して、伊勢神宮正殿の「神明造り」と出雲大社正殿の「大社造り」の中間形式で、建物の柱の間隔が魏王朝の尺寸と一致して、古代中国の魏王朝と外交して、邪馬台国(大和国;やまとこく)と出雲王国(物部(もののべ)氏)が外交した証拠である。

纏向(まきむく)遺跡の韓式系土器は、朝鮮半島の系統の土器で、2種類あって、片方が楽浪(らくろう)郡の系統で、楽浪(らくろう)郡が北朝鮮のピョンヤン付近と考えられて、古代中国の王朝と外交するから出土して当然である。
纏向(まきむく)遺跡から出土する遠くの外来系土器は、福岡県と鹿児島県と静岡県と神奈川県と石川県と富山県などで、東北地方の宮城県と福島県と山形県まで統治下に置いて、東北地方の土器が出土しても不思議でない。
唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡の土器は、纏向(まきむく)1式が突然激減して、纏向(まきむく)遺跡で纏向(まきむく)1式が突然に始まって、纏向(まきむく)編年の土器区分が纏向(まきむく)遺跡の出現時期と重なると考えられる。

2010年9月17日に纏向(まきむく)遺跡は、桃の種(たね)が約2千個見つかって、祭られた物と考えられて、西暦156年の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)を神話化した黄泉国下(よみのくにくだ)り神話で、桃が『古事記』の意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)の神名で登場して、時期が合致する。
纏向(まきむく)遺跡は、大量の祭祀土坑群や国内最古の紅花(べにばな)の花粉などが出土して、皇居の祭りが盛大に行われた痕跡(こんせき)と考えられる。
纏向(まきむく)遺跡は、1800年前の犬の骨が出土して、背中までの体高が48cmの中型犬で、骨が解体されず、儀式で供(そな)えられた可能性が高く、縄文時代が番犬や狩猟犬で、弥生時代に犬が食用の習慣が伝わって、中国か朝鮮半島から送られた犬種と考えられるが、遺伝子鑑定すると国産か外国産の犬種か分かるだろう。

纏向(まきむく)遺跡は、3世紀末から4世紀前半の鍛冶(かじ)遺跡が5ヶ所で見つかって、鍛冶(かじ)炉が見つかってないが、鉄器が出土して、弥生時代後期から近畿地方で鉄器が見つかって、2世紀末から3世紀前半に三輪山(みわやま)周辺で、銅鐸(どうたく)が大量に破壊されて、古代天皇家が何らかの儀式を行なった証拠である。

纏向(まきむく)遺跡は、僕の最初の著書で特定して、僕の自論で不動の証拠だった。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『三輪山の考古学』
株式会社学生社・発行
『邪馬台国の候補地・纏向遺跡』
石野博信・著者 株式会社新泉社・発行
『邪馬台国の考古学』
石野博信・著者 株式会社吉川弘文館・発行
『別冊太陽 出雲 神々のふるさと』
湯原公浩・編集人 株式会社平凡社・発行
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