纏向(まきむく)石塚古墳


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纏向石塚古墳は間違いなく最古の前方後円墳で、最も古く築造年代を考えると2世紀末になるが、現在の考古学会だと3世紀前半と考えているけれど間違いである。
纏向石塚古墳で纏向1から2式で、箸墓(はしはか)古墳が纏向3から4式の土器が出土して、後にいくほど新しくなって前方後円墳の大まかな築造時期を特定できる。
纏向石塚古墳の最古の土師器(はじき)は最古の埴輪(はにわ)である。

考古学で木材から年代を求める年輪年代法があり、纏向石塚古墳の周濠出土のヒノキの最外年輪が西暦177年で、それ以降が木材を伐採された年代でないかと考えられる。
木材が出土したのは周濠で、古墳の上でなく周りに掘られた堀からで、古墳の築造年代が木材より古い可能性がある。
『日本書紀』から垂仁(すいにん)天皇39年7月1日(西暦190年8月中旬頃)に垂仁天皇が崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)されて、48日間の喪祭りをした8月16日(西暦190年9月下旬頃)の夜にお墓へ埴輪を立てて、12月10日(西暦191年1月下旬頃)に葬礼されて、纏向石塚古墳が垂仁天皇陵に当たる可能性が高いと考えられる。
『ホツマツタエ』に垂仁天皇陵へ埴輪を立てた記述がある時、埴輪の記述からも分かる通り最古の土師器が最古の埴輪と考えられる。
纏向石塚古墳は纏向1から2式の古い土器と西暦177年以降に伐採のヒノキが出土して、垂仁天皇の葬礼が西暦190年末か191年正月頃でヒノキが西暦191年より古く、遺体が安置されてから古墳時代が始まったと考えられて、古墳時代の始まりが西暦190年か191年になる。
楯築遺跡の神石(亀石)の孤帯紋様と纏向石塚古墳から出土した孤文円板の孤帯紋様は時期的な問題から直接続くのが間違いなく正しい。
垂仁天皇陵が纏向石塚古墳…最古の前方後円墳だとしたら、天皇陵にふさわしい特殊形状の墓の登場で、考古学的証拠が年代を有力なものとして示唆するが、考古学者たちは賛同しない可能性が高いと考えられる。

<参考文献>
『大和・飛鳥考古学散歩<第2版>』
伊達宗泰・著者 株式会社学生社・発行
『邪馬台国の考古学』
石野博信・著者 株式会社吉川弘文館・発行
『ホツマ辞典』
池田満・著者 ホツマ刊行会・発行
『三輪山の考古学』
株式会社学生社・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
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