邪馬台国論争の無法化


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

邪馬台国論争の無法化はとどまる所を知らなくて、極端な学説がフィリピン説や沖縄説や北海道説とあり得ないものから、四国説や出雲説や丹波説や主流の畿内説と九州説など多岐にわたる。
色んな学説を唱えるのは勝手だが、そこに法律なんてないから幾らでも唱えるのが良いけれど、限度というものがあっても良いと思う。
結局の所でどんなに頑張って仮説を打ち立てても、結局はただの仮説で誰も史実・真実・事実に行き当たらず、架空の推論にすぎないことに気付かない。
邪馬台国論争は邪馬台国(やまとこく)と台与(とよ)か邪馬壱国(やまいちこく)と壱与(いちよ)などの発音が正しいか、邪馬台国と女王国が同一国か、古代天皇家と邪馬台国が関わるかなど問題点が多すぎて、現代哲学理論「現象学」の「思い込みの数だけ解釈がある」という良い例である。
邪馬台国は存在したか存在しなかったか、卑弥呼と台与が女王か女王でないかなどのそもそもの疑問点が生まれて、決着を付けられないのが決定打に欠けるからでなく、凡人も専門家も現代日本人レベルの低能だからである。
現代日本人レベルの頭脳はどんなに頑張っても現代人(日本人と世界中の人々)の壁を破れず、一生かかってもその壁を打ち破る手段に気付けなくて、アインシュタイン博士以上の天才の僕が世の中に出れば話が別である。
アインシュタイン博士以上の天才の僕は、僕と現代人との決定的な差を教えていて、地動説と進化論と相対性理論と僕の歴史研究に代表されるコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)という高度な考え方が使える点が決定的な差である。
僕のコペルニクス的転回は、アインシュタイン博士のコペルニクス的転回と格が違って、はるかに高度な進化を遂(と)げた人類史上最高の考え方かもしれず、凡人や専門家が及ぶレベルでないのが分からないなら話にもならない。
現代人が及ばない超レベルと自覚する僕は、邪馬台国論争の無法化の問題点などが大局的・多角的に分析できて、訴えることができる現実離れした芸当ができる。

卑弥呼と台与は、古代天皇家の人物に当てはめると、多くの意見に分かれて一般論が成立しない。
卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)で、台与が豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)だとか、卑弥呼が豊鍬入姫命で、台与が倭姫命(やまとひめのみこと)だとか、卑弥呼が倭姫命で、台与が五百野皇女(いものひめみこ)だとか、卑弥呼が神功(じんぐう)皇后だとか諸説成り立つ。
しかしそれらは全く何の根拠もなくて、アインシュタイン博士以上の超天才の僕が求めて、卑弥呼が倭姫命で台与が神功皇后で、「邪馬台国の年表」を始めとして圧倒的な論理的根拠でがんじがらめにした。
この僕の自論は、これから何百年も何千年以上もの間も打ち破ることのできない絶対的な理論として支持されるだろう。
邪馬台国論争の無法化は、僕の自論が認められれば沈静化していくはずである。

邪馬台国論争は『魏志倭人伝』を誤解して和訳して、北九州の属国の松浦郡と糸島郡と福岡市の陸路を通るのが間違いで、海路の船で十分に行けるのに一々陸路の意味がなく、反論理由に事欠かなくて馬鹿の戯(ざ)れ言である。
これは考古学会と歴史学会が考古学的根拠と歴史書解釈に反論らしい反論がないことから強力に押し進めて、古代中国語読みの『魏志倭人伝』を現代日本語読みして、方角を無理矢理に否定した結果だった。
その結果として日本海側を通る出雲説や丹波説などのあり得ない学説の登場を許して、極端な例として北海道説のような馬鹿な学説も出た。
同じく『魏志倭人伝』を誤解して和訳して、九州を陸路で移動して九州説を成立させて、さらに船で南下して沖縄説で、果てはフィリピン説まで成立させて無法化も良い所である。
『魏志倭人伝』を誤解して和訳して、北九州4ヶ国(北九州の属国)の定説を信じる馬鹿な考古学会の頑固さが僕の自論を封じて、最初の著書の出版から12年間正しいことを理解してもらえなかった。
邪馬台国と女王国は同一国とするのはウィキペディア日本語版にも出ていて、誤解もここまで来ると立派なものだが、しょせん誤解が誤解で間違っているのが100%正しい。
一々全ての疑問に答えていたら切りがないので切り上げて、本当に正しいことを理解するのは、この世でただ一人真実を知る僕だけである。

邪馬台国は存在したか存在しなかったか、卑弥呼と台与が女王か女王でないかは、『魏志倭人伝』の根底を疑うことだが、「記紀」を完全解釈できもしない連中がほざいたところで無意味・無価値である。
北九州の属国の2ヶ国目・伊都(いと)国は、古代中国語読みも日本語読みも「いと」が正しく、方角と距離から『倭名抄』に出てくる福岡県中部の位登(いと)郷(福岡県田川郡糸田町)に間違いない。
2003年5月頃から僕の自論の真実は正しくて、考古学会の馬鹿な連中の認めないことが僕の自論が認められなかった理由で、考古学会の最大の罪だと知らなければならない。
北九州の属国の4ヶ国目・不弥(ふみ)国は、古代中国語読みも日本語読みも当てにならず、『倭名抄』の福岡県南東部の筑城(ついき)郡(福岡県築上郡築上町)に間違いなく、瀬戸内海に船で出ることになる。
瀬戸内海に船で出て南下して、『魏志倭人伝』の南は南南東の方角で、東寄りだから投馬(とうま)国が土佐(とさ;高知県の古名)で、古代中国語読みも日本語読みも「とうま」に近い発音を想定するから正しいと考えられる。
陸路で10日で邪馬台国の王都の纏向(まきむく)遺跡(景行(けいこう)天皇の皇居の纏向日代宮;まきむくひしろのみや)に到着して、残り20日で女王と勘違いされる王女の卑弥呼(倭姫命;やまとひめのみこと)の都とする所に着いて、次に斯馬(しま)国(志摩(しま;三重県東端の古名)国)がある。
『魏志倭人伝』は邪馬壱国(大和国)と女王国(伊勢国)と斯馬国(志摩国)が隣同士で、一直線に隣国が並んでいる記述を正しく和訳できればチェックメイトである。
三角縁神獣鏡のような考古学的証拠は無用の長物(ちょうぶつ)で、邪馬台国論争において何が大切な考古学的証拠か分からず、根本を理解していない学者に僕が史実・真実・事実を教える。
アインシュタイン博士以上の天才の僕は、世界でただ一人古代天皇家の歴史の真実を求められる人類史上最高の天才で、馬鹿な専門家など相手所か目にも入らない雑兵である。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『日本古代地名事典』
吉田茂樹・著者 新人物往来社・発行
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