無意識と深層心理


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

2018年5月30日に僕は無意識(潜在意識)と深層心理が前提条件となって、歴史研究を混乱させることにようやく気付いた。
無意識は心の中で「意識でない」領域のことで、「意識されていない心」と異なる概念で、仏教で無意識とも解釈できる末那識(まなしき)と阿頼耶識(あらやしき)という2つの深層意識層があって、人間の脳の思考や行動が3%しか把握できず、残りの97%が無意識だと言う。
人間の思考は1割しか自覚できず、残り9割が無自覚に考えていて、心を深海にたとえると、意識して外部に見える表層部分でなく、その表層部分に奥から影響を与える(外部から直接は見えない)深層部分が深層心理である。
神は無意識と深層心理の産物で、あまりに深い所に根差して、神の存在の賛否がタブーと思い込んで、幾ら僕が論理的根拠から海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)神話が大山守皇子(おおやまもりのみこ)の反乱を神話化したと示しても、誰も求めたがらない決定的な理由である。
神の存在の賛否は無意識と深層心理が働いて、求めるべきでない自覚のない心の悲鳴が危険を察知して、回避する防衛本能のようなものだから、そう簡単に納得できないと考えられる。

「記紀」は正当な歴史書で間違っていないと無意識に思い込んで、読者を固定観念や先入観でだますことが前提で作られて、それに気付かない専門家や凡人が勘違いだらけの論理的根拠を生み出して混乱させて、それに無意識に気付いた僕が正しい歴史を教えたが、人間の誰もが持つ無意識と深層心理が分からなくさせた。
「記紀」の偽装工作は、これらの無意識と深層心理を利用して、正当な歴史書に記された歴史に間違いがないと思い込ませたと考えられる。
古史古伝(「記紀」に反する書物)『ホツマツタエ』も「記紀」も神話と実話が出雲王国の存在を抹消したが、初代・崇神(すじん)天皇から神功(じんぐう)皇后の時代まで確実に実在したことを分からないように偽装工作して、出雲王国の実在が頭の中にないから正しく理解できないように無意識に操作している。
無意識に僕は『ホツマツタエ』と「記紀」の本質に行き当たって、歴史研究を始めた時から完全な答えを手にして、黄泉国(よみのくに)下り神話と狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱が合致して、日本神話の神々の領域…神域に触れた時から本能的に気付いたと思われる。

『ホツマツタエ』と「記紀」はただの歴史書でなく、無意識に神様と人間を区別させる本で、日本神話も世界中の神話もそのように作られている。
多くの人間は無意識に神様と人間を区別するが、僕が神様と人間が同じものだと意識的に捕らえて、これが本能的に分からない人間が僕の本やホームページの内容が理解できない理由である。
『ホツマツタエ』の景行(けいこう)天皇53年の記述には、昔の教えにこうあって、『人は神であり、神は人である。神の名はその神の業績をほめ讃(たた)えたものである。神は人として道を立てる。人は素直な心でホツマの教え(『ホツマツタエ』に記された数々の教え)のままに生きれば、死後に真(まこと)の神となる』と記す。
日本神話の神々は実在の人物を神格化して、凡人が古代天皇家の実在の人物も氏神と考えて、『ホツマツタエ』のこの記述を信じる僕が真理に行き当たって、僕の考え方や神様を信じない人間に答えが見えない。
『ホツマツタエ』と「記紀」は、無意識のうちに神様と人間の間に壁を作って、日本神話と古代天皇家の歴史が全く別物と思い込ませるが、僕が歴史研究を始めた時に無意識に合致する真実に気付いた。
この真実に気付いた僕は、自分が偶然に奇跡的な発見を連続でして、どんどん真実を求めていると思い込んで、古代天皇家の史実・真実・事実に行き着いた。

僕は自分の考え方がアインシュタイン博士のコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)と同じと気付いて、自分のコペルニクス的転回が哲学者カントの定義したコペルニクス的転回と別物と考えて、自分でコペルニクス的転回を再定義して、自分の持つコペルニクス的転回「自己認識の再構築」を自己分析して、コペルニクス的転回を現代哲学理論「現象学」で説明する理論を作り挙げて、自分の能力をはるかな高みへ登らせ続けた。
その結果自分はアインシュタイン博士以上の超天才で後継者的存在だと思い込んで、それを信じてくれる人と信じない人に分かれて、アインシュタイン博士が自分たち凡人に手の届かない人間だと思い込む人が追い付けず、2004年7月以前にアインシュタイン博士クラスの天才と思い込んだ僕が追い越すことができた。
今でも僕は自分がアインシュタイン博士以上の天才か後継者的存在か自分の求めた歴史が正しいか疑問視することがあって、自分の全てを疑ってかかって、「現象学」の本質の全てを疑うことを忘れない。
だから僕は人類史上最高の天才で、古代日本史の史実・真実・事実を追求できて、僕のように無意識を自覚できる者が最高の勝者である。

人々が真実に気付かないのは、崇神天皇60年に出雲平定の記述を記して、仲哀(ちゅうあい)天皇9年(西暦260年)神無月に出雲王国が崩壊した史実を隠して、出雲王国の崩壊を出雲の国譲り神話に神話化していないと無意識に思い込ませるためである。
『日本書紀』などの歴史書は、この手の偽装工作が当たり前にほどこされて、混乱させてだますのが当たり前だが、専門家も凡人も額面通りに読んで全く気付かないのが普通である。
無意識を自覚できる僕は、専門家や凡人が見逃してしまう自然な感性をかぎ分けて、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と日本武尊(やまとたけのみこと)がよく似ているのでなく、間違いなく素戔嗚尊が日本武尊を神格化したと求めて、僕の本能的な直観で誰にも説明できない。
このようにして本能的な直観で無意識に自覚する僕は、歴史研究の中でちょっとした違和感を見つけ出して、徹底的に様々な論理的根拠でがんじがらめにして答えを指し示したが、本能的に無意識を感じることができない専門家や凡人からすると、ただの論理飛躍のように考えられて、僕を理解できない根本的理由である。
こればかりは本能的に感じられるようになるまで徹底的に鍛(きた)えて、僕の考え方を理解できるようになってもらうしかないだろう。

無意識の自覚を意識的にできる僕は、専門家や凡人と違って常識に捕らわれず、神様と人間が同じと考えて制約を受けないから、日本神話が史実と分かって神話化された根拠を挙げられて、日本武尊が出雲や中部地方と関わって、特別扱いの皇子なのが皇太子で、「記紀」以外の他書で天皇とされて、論理付けが簡単に誰よりもできてしまう。
専門家や凡人は無意識に神様と人間が別物とか、他にも色々な考え方が制約を生み出して、僕の考え方を読んで理解しようとしても抵抗して、自然と知らず知らずのうちに気付かない。
無意識の自覚を意識的にできる僕は、「記紀」の奥深い無意識と深層心理にまで作用することを見つけ出して、そこまで計算して作り上げられたまやかしの歴史書を信じる専門家や凡人が僕に勝つことなどできない。
無意識の自覚を本能的にできた僕は、歴史研究でかすかな違和感をかぎ分けて、その違和感を徹底的に調べ上げて、論理的根拠でつぶし続けて今の一大理論を作った。
無意識と深層心理の神の領域を知った人類は、神を求める禁忌を禁忌と思わなくなって、論理的根拠から神々をひもとけるようになって、全て僕の偉業の功績が引き金である。

本能的な直観で無意識を自覚するのは至難で、僕が意識して無意識を自覚したわけでないが、いつの間にか本能的に無意識を自覚したから真実を求められた。
僕のこの指摘は重要で、無意識の自覚を意識的に行なえるようになれば、人間の考え方が圧倒的な発展を見せることになる。
僕のコペルニクス的転回「自己認識の再構築」を他人が身に付けて、4冊目の本でアインシュタイン博士以上の天才の僕に近づける可能性を示した今、人類は圧倒的な発展を見せるパンドラの箱を開けるチャンスを得た。
僕という人間の登場は、人類を何段階も圧倒的に発展させる奇跡の起爆剤で、誰にも成し遂げられない人類最高の奇跡を起こせる。
まさに僕は神のごとき存在で、人間が神様で神様が人間であるのが当然で、いつか誰かが真実を伝えて人類規模での成長をうながす存在が現れることが運命だった。
それが僕の生まれ持った使命で、僕の名前の真也に込められた真(まこと)だった。

真の本当の意味は何も分からないことで、「現象学」の真理の全てを疑うことが本当の答えで、どんなことも根本的に疑ってかかって、全ての答えを自分で見つけることが本当の成長につながると教えてくれる。
真実を見つける方法は、全てを疑って一から自分で作り上げることで、明確な答えを示せる人間など世界中に一人もいない。
僕の求めた歴史研究の真実は、他人の誰もが正しいと思わせるために求めたが、そもそもそんな答えなど永遠に求められず、常に正しいと思う答えを示し続けるのが人間で、明確な答えがあるか分からないのが真実である。
つまり僕は真実らしい答えを示したが、人間の誰もが示す答えが真実に見えて、本当の真実を信じて常に突き進むしかない。
それでも古代天皇家の歴史で最も真実に近いと思えるのが僕の答えで、究極的な答えの確信が僕にはある。
僕の答えは真実か分からないが、いつか皇室も国民も正しいと信じる答えが示されることを祈る。

<参考文献>
インターネット

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