「記紀」は何時代を指す?


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

『日本書紀』は史実の継体(けいたい)天皇から持統(じとう)天皇の時代を記して、それ以前の天皇時代や日本神話がいつの時代を指すか分からず、縄文時代や弥生時代という人もいるが、誰も真実を求められると思っていないだろう。
『古事記』は史実の継体天皇から推古(すいこ)天皇の時代を記して、『日本書紀』と同様に何時代を指すか分からず、全くのお手上げ状態である。
『日本書紀』は国家規模で編纂(へんさん)した歴史書で、『古事記』が『日本書紀』のサポートに作られた歴史書と考えられて、『古事記』が因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)神話など『日本書紀』にない記述を持ち、それが『日本書紀』と同時期に作られた証明になる。
『古事記』は偽書説が存在して、最古の書物と嘘をついたとされるが、正しいことを求められない人間の想像であって、僕が出版していない3冊目の本で、国内で2番目に古い書物と証明している。
日本で一番古い書物は古史古伝(「記紀」に反する書物)『ホツマツタエ』で、「記紀」の日本神話の原型で「記紀」以上に日本神話が詳しくて、歴代天皇時代でも「記紀」以上に系図や記述などが詳しくて、「記紀」に匹敵する第一級史料である。
アインシュタイン博士以上の天才の僕は、凡人と全く違う超天才の感性で『ホツマツタエ』を研究して、「記紀」に匹敵する歴史書と評価して、日本最古の書物として認めた感覚を凡人に分からないだろう。
しょせんアインシュタイン博士以上の天才の僕と凡人は、僕が世界でただ一人の独自の自殺願望で苦しむのと同様に、世界でただ一人の古代天皇家の正史を求められる人間だから他人に一切理解できない。
孤独な状況の中で独学で、古代天皇家の正史を求めた僕は、自殺願望と一種懸命に戦い続けて、称賛されずとも僕だけが正しいことを知っているが、世の中に認められたいと思い続けて今に至る。

「記紀」は何時代を指すのか永遠の疑問でなく、縄文時代か弥生時代と考える意見が多く、極端になると旧石器時代に神話を持っていった意見の学者もいるが、謎に包まれていると多くの人が思う。
古代天皇家の系譜は、皇統譜(皇室の戸籍簿)で初代の神武(じんむ)天皇から25代目の武烈(ぶれつ)天皇までが空白の時代で、西暦507年3月に即位した26代目の継体天皇から史実とされて、現在の126代目の今上(きんじょう)天皇(今の天皇陛下)まで続いている。
皇統譜で初代の神武天皇から16代目の仁徳(にんとく)天皇までは、親子の縦系譜でずっと受け継がれて、仁徳天皇の息子の履中(りちゅう)天皇から兄弟の横系譜に転換して、親子と兄弟の縦系譜と横系譜が混在するようになって、皇室の歴史が混乱するようになった理由である。
『日本書紀』で歴代天皇の即位年の干支(えと)と在位期間を基にすると、在位期間が100年を越える天皇がいて、在位期間があり得ないとされるが60年を引き算すれば良いだけで、ごく簡単な発想をできないのが凡人の限界である。
しかしそれでも凡人レベルの専門家を持ってしても、縄文時代か弥生時代か特定するのが不可能で、しょせん現代人レベルの無能な人間たちがどんなに束(たば)になっても、「記紀」の年代特定など夢物語である。
「記紀」の神武天皇時代が特定不可能なように、「記紀」の日本神話が神武天皇の先祖の皇祖神(皇室の祖先神)をたどらなければならず、神武天皇以前に神様として神格化された何世代もの人物がいたという考え方もできる。
それが「記紀」は何時代を指すかという根本的な疑問を生み出して、決着が付かないと思い込んでしまう現代日本人レベルの人間の限界である。

「記紀」の日本神話は、実在の初代の崇神(すじん)天皇が即位した西暦84年から仁徳天皇の即位した西暦330年代頃まで神話化して、ホームページに僕のひもといた日本神話と神様を記して、全て史実と認めるしかないのに凡人や専門家が無視する。
日本神話の最後の海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)の神話は、『日本書紀』仁徳天皇時代の大山守皇子(おおやまもりのみこ)の反乱を神話化して、神話と史実の神話化が間違いないのに認めない歴史学会の問題点でもある。
邪馬台国時代は2世紀中頃から3世紀中頃を指して、僕が西暦156年から266年まではっきり求めていても、史実と認めない馬鹿共によって阻害(そがい)されてきた。
邪馬台国論争で北九州4ヶ国(北九州の属国)の定説を否定した僕の自論は、考古学会の馬鹿な連中が認めようとせず、僕が日本神話が史実を神話化した自論を認めない歴史学会も同罪である。
考古学会と歴史学会は僕の自論を認めない同罪で、それが歴史研究の最大の問題点とも気付かず、永遠とも思えるいたちごっこに決着が付く日が来るだろうか?
僕の長きに渡る17年間の歴史研究は、一体いつになったら一応の決着を見て、歴史教科書や国語教科書で邪馬台国論争や日本神話を正しく教えられる日が来るか分からない。
「記紀」が何時代を指すかは、西暦84年の弥生時代後期初頭から史実の歴代天皇時代までで、アインシュタイン博士以上の天才の僕によって決着できる段階まで来たが、それを邪魔する馬鹿な専門家がでしゃばるかもしれない。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行

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