饒速日命(にぎはやひのみこと)
饒速日命(にぎはやひのみこと)は、男性の古代太陽神で、出雲王国(物部(もののべ)氏)の祖先神で、物部(もののべ)氏の3人の人物を神格化して、僕以外の人間に誰を神格化したか特定できない。
『先代旧事本紀』は、別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)や神饒速日命(かみにぎはやひのみこと)や膽杵磯丹杵穂命(いぎしにぎほのみこと)や天火明命(あめのほあかりのみこと)などと記して、『先代旧事本紀』が末名の「尊(みこと)」を使って、西暦720年献上の『日本書紀』より後に成立した書物と考えられる。
2007年9月に出版した僕の最初の著書は、饒速日命(にぎはやひのみこと)が彦坐王(ひこいますのみこ)と武内宿禰(たけのうちのすくね)の2人を神格化したと求めて、後に武内宿禰(たけのうちのすくね)が初代から73代までいると知って、歴史研究の過程で色々と気付いた。
これは僕の感性が歴史研究を始めた当時から特別で、凡人(僕以外の人間)と決定的に違って、日本神話の神々の領域・・・神域をひもとく感性が別格で、その現われの結果が2人の神格化の特定である。
和速日命(にぎはやひのみこと)は、僕がもみじヶ丘病院に医療保護入院した2023年7月15日の朝に愛用する『日本書紀』の現代語訳本を見ながら、和(にぎ)の漢字を求めた。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は、大和(やまと;奈良県)の古代太陽神で、和速日命(にぎはやひのみこと)と書き換えられて、神道に和魂(にぎみたま;やさしく平和的な魂)と言う言葉があって、和(にぎ)の漢字を使うことを納得できて、言霊(ことだま;言葉の魂)でつながる。
和速日命(にぎはやひのみこと)と和魂(にぎみたま;やさしく平和的な魂)は、深く関係する漢字で、物部(もののべ)氏が霊魂に関係する氏族で、石上(いそのかみ)神宮や十種(とくさ)の神宝(かんだから)や布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)などが実例である。
武家の物部(もののべ)氏は、和魂(にぎみたま;やさしく平和的な魂)と荒魂(あらみたま;荒々(あらあら)しい魂)の2面性があって、やさしい抑止力の和(にぎ)と荒々(あらあら)しい軍事力の荒(あら)を内在して、物部(もののべ)氏から和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)の考え方が生まれたと考えられる。
和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)の2面性は、精神的に不安定な僕にも当てはまって、僕の危なくなる前にやさしく平和的に動くのと荒々(あらあら)しく活動的で暴(あば)れ回る2面性で、人間の2面性を指す大切な物である。
人の心も戦争する国も霊魂の2面性は、安定した波のようにやさしく落ち着いて、時に手に追えないほど攻撃的に暴(あば)れ回って、人の心も戦争する国も同じように繰(く)り返して、神道の和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)に直結した。
和速日命(にぎはやひのみこと)は、饒速日命(にぎはやひのみこと)が大和(やまと;奈良県)の神様を意味して、物部(もののべ)氏が奈良県と深く関係した古代豪族と証明した。
彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化した古代太陽神は、天照神(あまてるかみ)と饒速日命(にぎはやひのみこと)と2代目・火明命(あめのほあかりのみこと)と初代・大国主神(おおくにぬしのかみ)と初代・大物主神(おおものぬしのかみ)と倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)と天日槍(あめのひぼこ)などと考えられて、奈良県と深く関係する神様も多い。
奈良県桜井市の三輪山(みわやま)に祭る7人の大物主神(おおものぬしのかみ)は、物部(もののべ)氏の7人の出雲国王を神格化して、物部(もののべ)氏の祖先神の饒速日命(にぎはやひのみこと)とつながって、大物主神(おおものぬしのかみ)と出雲大社の祭神の大国主神(おおくにぬしのかみ)と関係するなど、共通性が多くて僕が簡単に求めた。
和速日命(にぎはやひのみこと)と和魂(にぎみたま;やさしく平和的な魂)は、互いに深く関係しながら、今までの日本を支えて来た影(かげ)の立て役者で、日本人や外国人に誇(ほこ)る考え方である。
2007年9月に出版した僕の最初の著書は、饒速日命(にぎはやひのみこと)が武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化したと求めたが、神武(じんむ)東征が仁徳(にんとく)東征と求められなくて、神武(じんむ)東征の饒速日命(にぎはやひのみこと;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)を求められなくて、仁徳(にんとく)東征と判明したのが2010年代のいつか不明で、僕が幾ら特別な考え方でも限界があった証拠である。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は、彦坐王(ひこいますのみこ)と息子の狭穂彦王(さほひこのみこ)と子孫の初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の3人を神格化して、僕の感性の特別さが導き出した答えだった。
饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の河内(かわち;古代の大阪府東部)の天孫降臨神話は、大阪府から奈良県入りして、日本を建国(天皇家誕生)して、三重県や和歌山県や京都府から奈良県入りしてないことの証明と考えられる。
しかし考古学(遺跡・遺物)は、日本の建国が弥生時代後期初頭(西暦100年頃)で、近畿地方全体と鳥取県と島根県と四国の一部と淡路島を含む土地が西暦100年までに古代天皇家の統治下に入って、考古学でどこから奈良県入りしたか証明できず、文献が重視される理由である。
『ホツマツタエ』は、オシホミミとタクハタチチヒメの息子の初代・ホノアカリとニニキネを生んで、ニニキネとコノハナノサクヤヒメが2代目ホノアカリとホホデミを生んで、2代目ホノアカリが長男クニテルと次男タケテルを生んで、長男クニテルが物部(もののべ)氏の先祖で、初代・ホノアカリの養子になって、ニギハヤヒを名乗って、次男タケテルが海部(あまべ)氏の先祖である。
忍穂耳尊(おしほみみのみこと)と栲幡千千姫(たくはたちちひめ)は、初代・火明命(ほあかりのみこと)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をもうけて、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなのさくやひめ)との間に2代目・火明命(ほあかりのみこと)と火火出見尊(ほほでみのみこと)をもうけて、初代・火明命(ほあかりのみこと)と2代目・火明命(ほあかりのみこと)が別名を饒速日命(にぎはやひのみこと)である。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、日向(ひうが;宮崎県)に天孫降臨して、饒速日命(にぎはやひのみこと)が河内(かわち;大阪県東部)に天孫降臨して、物部(もののべ)氏の先祖で、火明命(ほあかりのみこと)が丹波(たには;古代の京都府北中部)に天孫降臨して、海部(あまべ)氏の先祖で、これが現在の神話の認識である。
『ホツマツタエ』の神話と現在の神話は、僕が総合して分析すると、忍穂耳尊(おしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)と栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)を生んだ。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)と木花開耶姫(このはなのさくやひめ;仲姫(なかひめ)を神格化)は、先祖の2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)と息子の火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)を生んだ。
最古の日本神話は、饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の河内(かわち;古代の大阪府東部)の天孫降臨神話で、日本の建国(天皇家誕生)である西暦84年の前年83年までさかのぼって、僕が完全解釈して証明したためである。
2代目・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、丹波(たには;古代の京都府北中部)に天孫降臨して、別名の饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)が河内(かわち;大阪県東部)に天孫降臨して、異母兄の武照(たけてる;丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)が海部(あまべ)氏の先祖で、異母弟の国照(くにてる;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)が物部(もののべ)氏の先祖である。
武照(たけてる;丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)は、別名を天香語山命(あめのかごやまのみこと)で、国照(くにてる;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)が別名を饒速日命(にぎはやひのみこと)で、初代・火明命(ほあかりのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の養子でなく、実子が正しくて、系図や神格化した人物の混乱などで真実が把握できなかった。
饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の息子は、宇摩志麻治命(うましまじのみこと;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)で、物部(もののべ)氏の祖先神である。
彦坐王(ひこいますのみこ)と息子の狭穂彦王(さほひこのみこ)の親子は、これで共に饒速日命(にぎはやひのみこと)に神格化したことを証明できて、狭穂彦王(さほひこのみこ)の神格化をひもとくきっかけが僕の最初の著書にあった。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は、物部(もののべ)氏の祖先神で、出雲王家そのものが物部(もののべ)氏で、物部(もののべ)王国と言い換えられて、僕の自論に死角がない。
出雲王家(物部(もののべ)氏)の説明は、複雑でややこしいため省略して、少し飛ばして行こうと思う。
河内(かわち;古代の大阪府東部)の天孫降臨神話の饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、神武(じんむ)東征(仁徳(にんとく)東征)の饒速日命(にぎはやひのみこと;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が直系子孫の別の神様で、2007年9月に出版した僕の最初の著書よりも前に気付いた僕の感性が特別だった。
初代・崇神(すじん)天皇の実兄の饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、直系子孫の饒速日命(にぎはやひのみこと;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)と別の神様である。
神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)は、異母兄弟の長髄彦(ながすねひこ;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を祖先化)を殺して、長髄彦(ながすねひこ)を監視した98才の忠臣の饒速日命(にぎはやひのみこと;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)から天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の神位を神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)の皇位に譲位した。
仁徳(にんとく)天皇の即位は、饒速日命(にぎはやひのみこと;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)と天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の神位が入れ替わって、神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)の皇位の正統性を主張して、それを特定できる僕の登場が重要だった。
饒速日命(にぎはやひのみこと)にまつわる内容は、僕の最初の著書を求めるよりも前の歴史研究で、僕が基礎を作り上げて根本を固めて、発展させる僕の超感覚・超頭脳があって完成した。
<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』
海部光彦・編著者 元伊勢籠神社社務所・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
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