日韓の過去の考え方
日韓の過去の考え方は、日本が神道の過去を水に流す伝統で、韓国が儒教の過去へのこだわりで、この相性が悪くて韓国の歴史問題で圧倒的にしつこい根本的理由で、日韓問題の根底にある考え方と考えられて、40年以上を生きる在日韓国人がこのホームページを書かれて、非常に重要な意見である。
日本と韓国は、共通性が多くて分かり合えない物でなく、国家間の歴史問題に言及した場合に分かり合えず、そもそもの原因を深く追求しなければ、根本的な解決などあり得なくて、2022年8月27日に記した。
欧米や南米やアフリカなどの人々は、100%言葉が通じても、人種や文化など違いがありすぎて、お互いに理解できないことが多くあって、そもそも髪の毛や肌の色が違うように、日本人に失礼でも「文化の違い」で割り切れる。
日本人と韓国人の場合は、外見が似ているため、お互いの文化を相手に求めてしまうことが多くあって、日本人側の欧米人に対する許容範囲と、韓国人に対する許容範囲が明らかに違って、これが韓国人にも言える。
日本と韓国は、政治や歴史問題などで世間一般の仲が悪いイメージが間違いで、「日本と韓国という国」や「日本と韓国の政治家」の仲が悪いのであって、日本人と韓国人の個人レベルの付き合いが圧倒的に良好である。
実際に出会った韓国人は、「良い人」か「悪い人」を決めるのが個人で、会ってない人を勝手に噂で「悪い人」と決めてかかるのが良くなくて、日本人でも同様である。
多くの韓国人は、日本に戦争や歴史などで良く思わないが、日本の料理やアニメや漫画や芸能人などの日本の文化が大好きな韓国人が多くいる。
もともと隣国は、互いに干渉し合う深い関係にあって、戦争などをして特に仲が悪いわけでなく、世界中でも近くの国同士で仲が悪くて、日本と韓国の関係がそれほど特別でない。
日本人の「だから韓国人は…」は、韓国人も「だから日本人は…」と思ってもお互いさまで、世界中の人々が隣国を色々と思うはずで、互いに隣国の文化を理解しあって、尊重し合えるようになる必要がある。
隣国を理解して尊重し合うと言っても韓国は、僕からすると根本的に許されない所があって、韓国の国民の日本に対する非道な批判で、度を超すと幾ら何でも許せなくて当然で、韓国人が僕を怒らせすぎた。
韓国人は、民族的な嘘つきの集団で、和食や華道や茶道や柔道や武士道や相撲(すもう)など日本独自の文化を韓国由来と嘘をついて、自分たちの都合の良いように解釈する。
相撲(すもう)は、狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)の後で、垂仁(すいにん)天皇7年7月8日(西暦158年8月上旬頃)に行なわれた国家行事で、日本最古のスポーツで、古代天皇家の歴史の相撲(すもう)を馬鹿にして、僕に対する挑戦と受け取れて、僕の顔に泥を塗(ぬ)った。
「嘘」や「誇張」や「妄想」を恥ずかしくない韓国人は、民族的に嘘を平気でついて、こんな連中を純粋な日本人の僕が軽蔑(けいべつ)して、第二次世界大戦を起こした日本人の僕が恥ずかしいと思うが、嘘つきの韓国人と別問題で、こんな連中を僕が求めた相撲(すもう)で嘘をつくなら、軽蔑(けいべつ)して当然で、これ以上するなら僕も黙って見すごさないことを警告する。
旭日旗(きょくじつき)は、赤い日の丸が太陽光を放つのを図式化(旭日;きょくじつ)した旗(はた)で、光条が22.5度で16条の旭日旗(きょくじつき)が明治時代から国内の陸軍や海軍の軍旗として、今も自衛隊の旗として使われて、韓国などが第二次世界大戦(太平洋戦争)の侵略の象徴と考えて問題視するが、由来や特徴を無視して誤解する。
旭日旗(きょくじつき)は、平安時代後期頃から九州の武家の家紋で旭日(きょくじつ)が使われ始めて、それ以前に日本国内で旭日(きょくじつ)の例が見られないらしく、晴(は)れの日やめでたさや景気の良さ、祭りや祝(いわ)い事や復興などの祈願など、漁船の大漁旗、スポーツの応援旗など様々に使われて、皇室が旭日旗(きょくじつき)と直接関係ない。
古代エジプト文明は、日本の国旗と同じように赤い日の丸が常識で、旭日旗(きょくじつき)のような絵画もあって、古代エジプト文明を天皇家が起こしたと正統『竹内文書』が記して、海外の絵画や今のエジプトの多くがオレンジ色や黄色で太陽を描いて、太陽を赤く塗ると夕日になることが多く、旭日旗(きょくじつき)の否定がエジプトを批判すると受け取れる。
古代エジプト文明は、太陽が赤い日の丸で、赤い日の丸がファラオの墓(はか)などによく描かれて、日本の赤い日の丸と同様で、旭日旗(きょくじつき)とよく似た絵もあって、古代エジプト文明と日本が無関係と考えにくいが、皇室と関係する結論が時期尚早である。
古代エジプト文明の旭日(きょくじつ)は、日本の旭日(きょくじつ)と合致して、記録にないだけで平安時代以前に日本に存在したかもしれないが、憶測や推測で求めるべきでなくて、正しい判断で答えを求める必要がある。
韓国の国民の問題点は、相撲(すもう)と旭日旗(きょくじつき)だけを挙例したが、他にも多く問題が存在して、僕だけでなく看過できない日本国民の一般人が多くいる。
韓国の政治など一部の分野は、儒教の「過去からの正当性」にこだわって、「過去の歴史を巡るこだわり」が強く表れる。
『朝鮮王朝実録』は、15世紀初頭から約500年間の李氏朝鮮の王朝記録を編年体でまとめた物で、本の量が数え方で2千冊にもなって、本を積み上げると高さ32メートル(ビル12階建て)にもなる。
『朝鮮王朝実録』は、韓国ドラマの時代劇でネタに困(こま)らない情報量で、新羅(しらぎ)から高麗(こうらい)までの千年と現代の韓国まで儒教が存続して、「過去へのこだわり」が現在の韓国文化に大きく影響して、韓国の報道番組や政治家の発言などでよく使う単語の違いも「儒教道徳」の特徴があると言う。
儒教国家の韓国は、「過去の真相究明」にこだわって、韓国の報道が「真相究明」の単語をやたら使って、何十年の前の事件でも何度も真相究明して、何度も調べ直してどうするのかと思っても調べ直して、これが戦時中の従軍慰安婦や元徴用工などの問題につながる。
過去にこだわる韓国は、日本の歴史に対してだけでなく、セウォル号事件や光州事件の真相究明、体操選手や芸能人などの学生時代の生活などを暴(あば)いたり、日本人が殺した1919年の堤岩里(ていがんり)事件、豊臣秀吉の朝鮮遠征など、韓国国内や日本の過去の出来事を何度となく持ち出して、韓国人のしつこさに驚く。
韓国ドラマは、廃位した妃を何代か後に復位して、この伝統を今も受け継いで、北朝鮮で金正恩が金正日の跡継ぎに決まって、実母の高英姫(コヨンヒ)を神格化したり、現代韓国政治も少し前まで、左派政権が右派勢力を攻撃するため、当時にかつての「親日派(戦前の植民地支配に協力した人々)」の墓を掘り起こす法案を議論したり、何代もさかのぼって財産を没収したり、韓国の助教文化が「過去にさかのぼる正義と正統性」が非常に重視すると言う。
正義と正統性は、世界中の人々が当たり前に求めて、それを過去にさかのぼりこだわる朝鮮人が異常で、韓国儒教の「過去の真相究明」が醜い憎悪で、世界でただ一人の超天才の僕がひもといた古代天皇家の正史(正しい歴史)が純粋で神聖な思いと重さで、汚(けが)れた邪教の韓国儒教の考え方と僕の母国の歴史を求める純心の決定的な違いである。
韓国は正当性にこだわるが、本当の正しさを見失った国民性と考える僕がおかしいだろうか?
韓国メディアは、道徳的に上に立つ「道徳的優位性」をよく使って、世界中のメディアで韓国だけがこだわる言葉で、2019年の日本の半導体輸出規制で、韓国が「道徳的優位性」を示そうとする動きがあったり、2020年3月の韓国大統領選でも「私の方が道徳的なリーダーだ」と言う論戦で討論したり、なぜ韓国が「道徳的優位性」にこだわるのか?
韓国に日常生活でも重視する「道徳的優位性」は、「道徳的に正しい社会を建設する」儒教の観念と「他人の悪を憎む」朱子学の思想が根底にあって、韓国儒教があまりに根深くて、国民全員が十分に理解できないだろうが、韓国儒教の中で特に朝鮮王朝で発達した朱子学を学んで、韓国の伝統的な集団的な考え方を理解する一助になるだろうと言う。
朝鮮王朝時代の朱子学は、純正性の追求が特性の一つで、価値判断で正当性の基準を画一化する意志が強く、対立時に妥協や折衷の余地がなくなって、正統論が強化されて、異端排斥論が強く、現実への対応力が弱くなって、妥協と包容を通じた和合の機能が衰えて、現代韓国社会によく当てはまる傾向で、韓国が原理原則論や「道徳的優位性」にこだわって、妥協のない「明確な謝罪の入手」に躍起になる。
韓国だけの異常な「道徳的優位性」は、正義と謝罪を求めるが、朱子学の悪を憎む間違った考え方で、正義と悪を勘違いした考え方を捨てて、韓国政府が思想の改革をすべきで、世界中の恥を理解する必要がある。
韓国は日本を下に見て、国力の差を全然考えなくて、考え方や教育などの差がノーベル賞の数や文化の違いで、旧統一教会も日本が韓国に被害を与えて下に見て、日本を見下す異常性が世界中で韓国だけで、このような間違った思考が国民性の差である。
韓国の日本を超えたとか日本が下と見る間違った考え方は、劣等感や国粋(こくすい)主義の表れで、自分たちが強弱にこだわって、本当のことを分からない馬鹿な国民性を世界中にさらしたことを理解すべきである。
韓国が「過去を正す」ために求める「真の謝罪」は、韓国ほど様々な話題で、「反省と謝罪」と群衆が叫ぶデモをして、大規模でしきりにやる国が他になくて、こうした「謝罪と補償」の要求デモを日本だけでなく、韓国の国内でも活発にする。
2020年3月の韓国大統領選は、候補の家族のスキャンダルなどで、国民に何度も謝罪を求めて、「謝罪選挙」と侮辱(ぶじょく)して、候補者同士が互いに「お前こそ謝罪する必要がある」とやり合って、このように韓国だと国内も国外も「反省と謝罪」を引き出して、道徳的に上に立つ「道徳的優位性」を確認したい連中が多くて、異常な国民性の問題である。
謝っても韓国は、単に謝罪だけでなく、「一体何に対して謝って、反省したのか」を細かく具体的に追求して、また謝っても「誠意ある謝罪」や「真の感情のこもった謝罪」であることを求めて、「形式的な謝罪」が逆に火に油をそそいで、何の謝罪かあやふやにして、「何とでも解釈できる玉虫色の決着を狙う」日本との大きな違いである。
朝鮮半島の伝統的な儒教文化は、「道徳的な正しさ」にこだわって、「本来あるべき理論」を求めて、過去にさかのぼって「歴史をあるべき物に戻す」傾向が非常に強くて、儒教嫌いを公言する韓国人の若者も多いが、政治などだと比較的に高齢世代が多くて、「民族的な記憶」や「民族的な主体性」が集団意思決定の場で、儒教文化がいまだに色濃く影響する。
しかし日本には、「金の切れ目が縁の切れ目」や「仏の顔も三度まで」などの諺(ことわざ)があって、韓国の求める賠償の日本の対応がこれで、やりすぎたことを理解せず、突っ込みすぎて火を見る結果で、韓国が大馬鹿で、お金にがめつい民族に見える。
真相究明の韓国は、「過去にさかのぼるしつこさ」が「先祖の魂が不滅」とする儒教の死生観が一因と考えられて、韓国が下手をすると死後まで責任を問う傾向が強くて、今の政治家が相手に「墓を掘り起こして処罰」みたいな言葉を使って、儒教の世界が「死後もその魂がこの世に長らく存在し続ける」と考える。
その儒教の文化は、先祖の功徳や罪(つみ)を後世の子孫に引き継いで、「悪いことをしたら罪(つみ)を徹底的に償わせろ」と子々孫々まで徹底的に追及して、過去にさかのぼって徹底的に責任を追及する儒教の文化だと、日本の「皆が死ねば天国に行く」仏教的な思考や「過去を水に流す」民族的な思考と対立して、双方の違和感が生まれると言う。
「水に流す」日本と「真相究明」の韓国は、「いつまで過去にこだわる」日本の怒(いか)りと「なぜあやふやで簡単に忘れる」韓国の怒(いか)りがぶつかって、新韓国政府が「徴用工問題の解決に日本の誠意が必要」とメディアに語って、慰安婦や徴用工の賠償金を払った日本の建前でなく、感情のこもった謝罪をしろと韓国が言うが、日本人の僕が納得しなくて、虫が良すぎる民族性と両断する。
日韓の死生観は、賠償や謝罪の問題につながって、「水に流す」日本人の考え方が僕にもあるが、歴史研究で過去を忘れずに後世に残すために記録して、僕の20年間の頑張りが世界中の記憶になって、伝え続ける伝統になって、大切なのが何か理解が大切である。
「水に流す」神道は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話に基づいて、禊(みそぎ)して汚(けが)れを祓(はら)った。
『三国志・魏志倭人伝』の葬礼の記述は、「水に流す」伝統が1700年以上前の邪馬台国(大和国;やまとこく:古代天皇家)時代から存在して、葬礼で喪(も)に服して、酒で宴会して忘れる記述があって、神道の考え方が天皇家誕生からずっと変わらなかった。
「水に流す」伝統は、天皇家誕生(建国)の西暦84年以降に国内に広がった神道の考え方で、神道が皇室の宗教で、それ以前に日本に神道が存在しなくて、考え方が形に残るはずもなく、神道が世界中で日本だけの宗教で、独自の宗教観が日本人の根源である。
「水に流す」日本と「真相究明」の韓国は、今後どのように変わって、互いに隣国として改めるかが大切で、過去にこだわることと忘れることが分かり合えず、対立しても新しい道筋を作って、後世に託す僕のような生き方をしてほしい。
<参考文献>
インターネットの不明サイトから少々拝借
https://news.yahoo.co.jp/articles/4d54d79a73814e44ea3d3fd8d81ebb1ad785e8c6
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