僕の能力の正体


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

僕は自分の考え方をコペルニクス的転回「自己認識の再構築」と名付けて、「思い込み」が多くあると何が正しいか間違いか分からない時、僕の頭脳でやる「思い込み」の排除法を教える。
この方法は僕が邪馬台国論争の九州説を否定する時に自然と体得したと考えられて、哲学の勉強をした時に能力の存在に気付いた。

僕の知識が自己認識である時、その中に正しいものと間違いがあって、それを正否判断して正しい方だけを残して、間違った方を忘れ去る。
新しくテレビや本などで得た知識を外部情報とする時、その正否判断で正しいと判断したものだけを残して、間違いと判断したものを切り捨てる。
自己認識と外部情報で正しいと判断した認識を組み合わせて、新しい認識として再び頭の中で同じ処理を繰り返していく。

歴史研究の過程で体得した「自己認識の再構築」は、哲学者フッサールの提唱した「現象学」に似た考え方だと考えられて、うまくすればコペルニクス的転回も定義付けられると考えられる。
「自己認識の再構築」は自然に身に付けたもので全く分からないが、少なくとも普通の論理思考で身に付かないのが当然で、これからコペルニクス的転回を体得できるかもしれない可能性を提示した。

「自己認識の再構築」を教えることは僕のまね事をすることだが、そこから論理発展させて多大な分野にコペルニクス的転回を起こす人物が現れてほしいからで、人類の未来に希望を託すが故の判断である。
僕は中学生と高校生の成績がオール5のうちの平均3.2ほどの凡人で、小学校の算数で0点をよく取り、高校の簿記で十数点を取って、何度も再々試を受けて留年をまぬがれて、僕の全IQ85が凡人の一般IQ100を下回るが、2年足らずの歴史研究でコペルニクス的転回「自己認識の再構築」を体得した。
コペルニクス的転回を身に付けられるかどうかはIQに関係なく、常日頃からの努力によってすばらしい考え方を持てるかどうかだろう。

私見だがコペルニクス的転回「自己認識の再構築」なら数ヶ月から数年で発揮できるだろうが、僕のような社会にまで及ぶコペルニクス的転回は数年から数十年規模で身に付けると考えられる。
僕は歴史研究を始めた22歳の誕生日頃にコペルニクス的転回を発揮したが、いつ頃コペルニクス的転回を身に付けたのか全く分からず、どのようにすれば身に付くかさえ教えられない。
ただ人類の考え方を発展させるためにコペルニクス的転回の考え方を僕なりの意見を述べた。
理論さえ分かってしまえば、誰でも努力次第で天才になれる可能性があるはずで、それを示すために僕は自分の能力の存在を明らかにした。
人間は誰もが不平等でなく、上下左右前後など一切関係なく皆が平等であるべきで、それを証明するために僕程度の非力でも役立てるならと思って公表して、いずれ世界中で切磋琢磨して色々な研究をしてほしいと願う。

<参考文献>
『この一冊で「哲学」がわかる!』
白取春彦・編者 株式会社三笠書房・発行
インターネット

戻る