怨霊(おんりょう)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

怨霊とは祟(たた)って怨(うら)む霊のことで、神道の考え方に基づいて霊魂を祭る。
神道には漢字で「鎮魂」と書いて「みたまふり」と「みたましずめ」と呼ぶ言葉があり、「みたまふり」が霊魂を振り動かして活性化させることで、「みたましずめ」が体から離れようとする霊魂を離れさせないことである。
怨霊は「みたましずめ」の力が弱まって体から霊魂が離れて動き回る状態で、その霊魂を祭ることで祟らないようにするのである。

日本神話の神々の中で怨霊の代表は、軻遇突智(かぐつち)と火雷(ほのいかずち)と大物主神(おおものぬしのかみ)と大国主神(おおくにぬしのかみ)などだが、特に大物主神が初代オオモノヌシから7代目オオモノヌシまでいて、その中の2代目オオモノヌシと7代目オオモノヌシだけが怨霊で勘違いしてはいけない。
軻遇突智と火雷と2代目オオモノヌシの3神は、垂仁(すいにん)天皇時代に皇位継承権の反乱を起こした狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化していて、焼死したが結果的に垂仁天皇が殺したようなもので、祟りをもたらさないように大切に祭った。
軻遇突智の墓は三重県熊野市有馬の花の窟(いわや)神社で、狭穂彦王が焼死して遺体がなかったことから、古代信仰で岩を墓に見立てた。
軻遇突智の別名の火産霊(ほむすび)は火の神様を生み出すという意味があって、物部(もののべ)氏の先祖や出身者が火の神様に神格化される。
火雷は向日(むこう)神社など京都府南部に祭られて、怨霊として有名な神様である。
『山城国風土記』に火雷は、玉依日売(たまよりひめ)を身ごもらせた丹塗矢(にぬりや)の正体で、賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)の父だと記されるが、狭穂彦王の子孫の誉田別尊(ほむだわけのみこと)を賀茂別雷神として神格化した系図が正しい。
『日本書紀』に事代主神(ことしろぬしのかみ)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと;神武(じんむ)天皇の皇后)が記されて、この皇后の母が事代主神の化けた丹塗矢に身ごもらせて皇后が生まれた。
『ホツマツタエ』によると3代目オオモノヌシの子であるヤエコトシロヌシの娘がヒメタタライソスズヒメとされて、神格化された人物が異なるけれど賀茂別雷神と媛蹈鞴五十鈴媛命の物語が物部氏に関係することが分かる。
『ホツマツタエ』によると2代目オオモノヌシは、古代の男性の太陽神アマテルカミ(天照神)と同じ生まれ合いとまで称賛されて古代太陽神として神格化されて、死んだ後も世を守ろうと奈良県桜井市の三輪山(みわやま)に葬られた。
垂仁天皇に反乱を起こした狭穂彦王を古代天皇家の守護神の大物主神として神格化して、戦災を祟りとたとえている可能性が高いと考えられる。

大国主神と7代目オオモノヌシは飯入根(いいいりね)を神格化していて、最後の出雲国王として皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)に殺されたことから怨霊として神格化された。
出雲大社の正殿が伊勢神宮の正殿より高い理由は、常人だと全然理解できないだろうが、僕ならばその理由を大国主神が祟りをもたらす怨霊だからだと求められる。
大国主神が祟りをもたらす怨霊というのは、よく考えれば分かる常識であって、日本神話を完全にひもとける人間にしか分からない。

他にも怨霊として素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊を神格化)や天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊を神格化)や火酢芹命(ほすせりのみこと;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を神格化)が挙げられると思われて、日本武尊と大山守皇子が皇位継承権争いを起こして戦死したためである。
日本武尊は景行(けいこう)天皇の皇太子で、景行天皇の崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)時に東海平定に出ていて、大和に戻って伯母(おば)・倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、全ての皇族から逆族として追われて出雲王国に亡命して、7代目・出雲国王の飯入根(いいいりね)を殺したことから殺されて、運命にもてあそばれた不幸な人である。
大山守皇子は仁徳(にんとく)天皇の異母兄弟で、父から皇位継承権を与えられたが皇太子に選ばれなかったことから反乱を起こして、仁徳天皇に逆族として討伐された。

日本神話に出てくる怨霊は、有力皇族を祟(たた)らないように鎮魂していることが多く、もしかしたら丹波国王の陸耳御笠(くがみみのみかさ)や吉備国王の温羅(うら)や熊襲(くまそ)国王の取石鹿文(とりいしかや)なども怨霊として祭られている可能性もあるが、地方性が強くてその地方の伝承を細かく調べないと分からない。
怨霊として有名なのが天神様の菅原道真(すがわらのみちざね)や僕の暮らす福知山市の御霊(ごりょう)神社に祭られる明智光秀(あけちみつひで)などで、御霊(ごりょう)信仰の「みたましずめ」は神道の基本で、非常に大切なものとして理解しないといけない。
僕は大きな功績を残して皇室と大きな関わりを持って、日本神話の神々として神格化されたおそらく実在した古代天皇家の人々の思いを背負う僕が死後に自分の魂が怨霊になってしまうのでないかと考えている。
僕は死後に真也神(まことなるかみ)の名前で福知山市の御霊神社に神様として祭ってもらえないかと考えている。
僕の神格化とはずいぶん大げさなのかもしれないが、怨霊という古代からの神道の考え方に基づくなら当然かもしれない。

<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
僕・著者 株式会社オカムラ・発行
『続・私の半生と古代日本史』
僕・著者 株式会社オカムラ・発行
『ホツマ辞典』
池田満・著者 ホツマ刊行会・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全三巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『新修 日本の神話を考える』
上田正昭・著者 株式会社小学館・発行

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