大国主神(おおくにぬしのかみ)の系図
出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の息子の天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫で、出雲大社の祭神の大国主神(おおくにぬしのかみ)との関係が不明だったが、超天才の僕だけが全てを暴(あば)き出した。
出雲大社の大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本全土の葦原中国(あしはらなかつくに)を平定して、出雲神話の中心にいる神様で、日本人にも外人にも大人気だが、その正体が分からなかった。
大国主神(おおくにぬしのかみ)の名前の意味は、大きい国の主(あるじ)の神で、初代出雲国王の彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化したのが大きな国(奈良県と大阪府と京都府と兵庫県と鳥取県と島根県)を平定して、7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)を神格化したのが大きな国(中国地方)の統治者を意味して、2人の先祖と子孫を神格化したのが間違いない。
初代・大国主神(おおくにぬしのかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、葦原中国(あしはらなかつくに;日本全土や中国地方を指す)を平定して、大きな国(奈良県と大阪府と京都府と兵庫県と鳥取県と島根県)を平定した功績を拡大解釈して、もっと多くの土地を平定した神話が生まれたと考えられる。
2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)は、根(ね)の国下(くにくだ)り神話から出雲の国譲(くにゆず)り神話まで飯入根(いいいりね)の活躍で、先祖の彦坐王(ひこいますのみこ)と子孫の飯入根(いいいりね)の事績が合体して、大国主神(おおくにぬしのかみ)の活躍が拡大解釈された。
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本のアーサー王の彦坐王(ひこいますのみこ)と子孫の飯入根(いいいりね)を神格化したのが確実で、僕以外の誰も求められない知識である。
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、出雲王家(物部(もののべ)氏)の始祖で、初代出雲国王の初代・大国主神(おおくにぬしのかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)と7代目出雲国王の2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)が合体して、一人の神様として集合して、正体の特定をややこしくした。
しかし超天才の僕は、2人の天照大神(あまてらすおおみかみ)や7人の大物主神(おおものぬしのかみ)などの正体を特定して、日本神話を完全解釈して、21年以上の歴史研究の実績を積み上げて、『ホツマツタエ』の大国主神(おおくにぬしのかみ)に違和感を覚えて、徹底的に研究する必要を感じた。
大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名は、大物主神(おおものぬしのかみ)や大己貴神(おおなむちのかみ)などで、先祖と子孫の神格化でややこしくなるが、僕に求められない知識でない。
『ホツマツタエ』のスサノヲとクシイナダヒメの息子の初代オオモノヌシは、別名をオオナムチで、父のスサノヲの跡継ぎで、出雲の統治者になって、息子の2代目オオモノヌシが別名をオオクニヌシやコトシロヌシなどで、出雲の統治者だった。
7代目オオモノヌシは、出雲の国譲り神話で失脚して、息子のコトシロヌシを跡継ぎにして、ホヒの息子のタケヒテルがオオクニヌシを出雲大社で祭った。
初代・オオモノヌシ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、別名をオオナムチ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)で、初代・オオクニヌシ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)でもあって、息子の2代目オオモノヌシが(狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)が別名をコトシロヌシ(狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)で、オオクニヌシの別名が間違いである。
大己貴神(おおなむちのかみ)は、大きな名の貴(とうと)い神で、彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化して、初代・大国主神(おおくにぬしのかみ)や初代・大物主神(おおものぬしのかみ)を意味する。
7代目・オオモノヌシ(飯入根(いいいりね)を神格化)は、別名を2代目・オオクニヌシ(飯入根(いいいりね)を神格化)で、息子のコトシロヌシ(盧濡渟(うかずくぬ)を神格化)が出雲の跡継ぎで、タケヒテル(盧濡渟(うかずくぬ)を神格化)として出雲大社で祭ったと考えられる。
盧は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
『ホツマツタエ』は、初代オオモノヌシと2代目オオモノヌシとオオクニヌシとオオナムチとコトシロヌシと別神や同一神としたが、日本神話を完全解釈して、21年以上の歴史研究の実績がある僕を騙(だま)せなくて、超天才(超感覚)の僕の偉大さを示した。
スサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の息子の初代・オオモノヌシ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、子孫の7代目・オオモノヌシ(飯入根(いいいりね)を神格化)まで血筋が続いて、スサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の5世孫か6世孫が2代目・オオクニヌシ(飯入根(いいいりね)を神格化)だから、結果的に間違っていない。
アマテルカミ(天照神;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、子供がいないため系図がつながらず、ツキヨミ(月読尊;景行(けいこう)天皇を神格化)に入れ替わって、ハヤコ(早子;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)との間に6代目・オオモノヌシ(神櫛皇子(かんぐしのみこ)を神格化)を生んで、その息子が2代目・オオクニヌシ(飯入根(いいいりね)を神格化)である。
2代目・オオクニヌシ(飯入根(いいいりね)を神格化)は、スサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の娘のスセリヒメ(布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化)と結婚して、コトシロヌシ(盧濡渟(うかずくぬ)を神格化)を生んだ。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、皇位継承権争いを起こして、日本武(やまとたけ)天皇になって、出雲王国に亡命して、婿(むこ)養子で7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)に三種の神器を管理させて、出雲王国の崩壊(出雲の国譲(くにゆず)り神話)が起きた。
2代目・ホノアカリ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)の長男クニテル(狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)は、初代・ホノアカリ(誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)の養子になって、ニギハヤヒを名乗って、次男のタケテル(丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)が別名をタケヒテルで、ホヒ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の息子のタケヒテル(飯入根(いいいりね)を神格化)とつながる。
彦坐王(ひこいますのみこ)の息子の丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)は、タケヒテルに神格化して、海部(あまべ)氏の祖先神で、異母弟の狭穂彦王(さほひこのみこ)が物部(もののべ)氏の祖先神のニギハヤヒに神格化して、その子孫が飯入根(いいいりね)で、千家(せんげ)氏の祖先神のタケヒテルに神格化した。
『ホツマツタエ』のタケヒテルは、海部(あまべ)氏の祖先神で、丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化して、「記紀」のタケヒテルが物部(もののべ)氏の祖先神で、飯入根(いいいりね)を神格化して、海部(あまべ)氏と物部(もののべ)氏が彦坐王(ひこいますのみこ)を始祖とした古代太陽神氏族の和珥(わに)氏で共通する。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子の天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、息子の武日照命(たけひてるのみこと;飯入根(いいいりね)を神格化)と大背飯三熊野(おおせいいみくまの;誰を神格化したか不明)がいて、武日照命(たけひてるのみこと)が義理の息子である。
天穂日命(あめのほひのみこと)と息子の武日照命(たけひてるのみこと)は、日の漢字が共通して、日本武尊(やまとたけのみこと)が太陽神(皇室)の子孫で、飯入根(いいいりね)が日(火;ひ)の神様を受け継いで、物部(もののべ)氏が火の神様と太陽神を受け継ぐと考えられて、武日照命(たけひてるのみこと)の子孫が千家(せんげ)氏である。
天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)と武日照命(たけひてるのみこと;飯入根(いいいりね)を神格化)の縦系譜は、絶対に成立しない系図で、それを100%完全に特定した僕が偉大すぎる。
大背飯三熊野(おおせいいみくまの)は、天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)と早子(はやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)の息子で、7人の男兄弟の誰かを神格化して、出雲王国(物部(もののべ)氏)の武将と考えられる。
2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)の80人の兄は、八十神(やそがみ)と呼ばれるが、義父の日本武尊(やまとたけのみこと)の兄弟姉妹80人近くを神格化して、景行(けいこう)天皇の子供が80人近くいて、史実(歴史上の事実)である。
2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)と正妻の須勢理比売(すせりひめ;布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化)は、子供がいないが、『古事記』の妾(めかけ)の神屋楯比売(かむやたてひめ;布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化)が息子の事代主神(ことしろぬしのかみ;盧濡渟(うかずくぬ)を神格化)を生んで、本当の系図を僕が特定した。
日本武尊(やまとたけのみこと)の一人娘の布忍姫(ぬのおしひめ)は、7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)との間に盧濡渟(うかずくぬ)を生んで、初代の出雲国造(いずもくにみやつこ;島根県の統治者)として、3世紀後半から末頃に出雲大社を創建した可能性があるが、4世紀か5世紀かもしれない。
盧濡渟(うかずくぬ)は、日本武(やまとたけ)天皇の孫で、皇族と考えられて、出雲王家(物部(もののべ)氏)の正統な後継者で、色々な事情が重なって、出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の先祖として、祭祀(さいし)氏族の役割を与えられた。
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、縁結びの大黒様と同一神で、多くの女神と結婚して子供が多いためだが、飯入根(いいいりね)の妻子が布忍姫(ぬのおしひめ)と盧濡渟(うかずくぬ)意外に息子の出石心大臣命(いずしこころおおおみのみこと)しか分からなくて、他を絶対にどうやっても特定できない。
2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)と八上比売(やがみひめ;誰を神格化したか不明)の息子の木俣神(きまたのかみ;出石心大臣命(いずしこころおおおみのみこと)を神格化)は、父が出雲醜大臣命(いずもしこおおおみのみこと)で、飯入根(いいいりね)と同一人物と考えられる。
2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)と沼河比売(ぬなかわひめ;誰を神格化したか不明)の息子の建御名方神(たけみなかたのかみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、飯入根(いいいりね)の娘と日本武尊(やまとたけのみこと)が政略結婚して、成立した系図と考えられる。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と早子(はやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)の娘の多紀理毘売(たぎりひめ;誰を神格化したか不明)と2代目・大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)子供は、味耜高彦根神あじすきたかひこねのかみ;誰を神格化したか不明)と下照姫(したてるひめ;誰を神格化したか不明)である。
下照比売(したてるひめ)の夫の天稚彦(あめわかひこ;少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)を神格化)は戦死して、実兄の味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)が死んだ天稚彦(あめわかひこ)と勘違いして、激怒して喪屋(もや;遺体を置く小屋)を切り倒して、少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)と飯入根(いいいりね)の息子が同族の物部(もののべ)氏だった。
『三国志・魏志倭人伝』は、「其俗、国大人皆四五婦、下戸或二三婦」と記して、その風習で国の大人は皆4人か5人の婦人がいて、下戸も2人か3人の婦人がいると解釈できて、1700年以上前の北九州で、一夫多妻制と記して、明治天皇までの皇室も一夫多妻制で、出雲王家(物部(もののべ)氏)も日本神話を解釈して、一夫多妻制である。
『日本書紀』で7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)は、大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)に天日隅宮(あめのひすみのみや;出雲大社)を造(つく)って、天穂日命(あめのほひのみこと;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)の子孫の千家(せんげ)氏が祭れと命じて、3世紀後半の創建年代になる。
『出雲国風土記(いずものくにふどき)』で神魂命(かみむすびのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)は、天日栖宮(あめのひすみのみや;出雲大社)を所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ;大国主神:おおくにぬしのかみ)の宮として造(つく)れと述べて、3世紀後半の創建年代になる。
『日本書紀』で斉明(さいめい)天皇5年(西暦659年)は、出雲国造(いずもくにみやつこ)に命じて「神之宮(出雲大社)」を修造して、出雲国造(いずもくにみやつこ;島根県の統治者)の出雲叡屋(いずものえいや)が神主の世代である。
出雲広嶋(いずものひろしま)は、『出雲国風土記(いずものくにふどき)』を編纂(へんさん)した人物で、出雲国造(いずもくにみやつこ)が昔に神魂(かもす)神社に奉仕したが、それ以降の出雲国造(いずもくにみやつこ)が現在の出雲大社で奉仕したと伝えられて、後の出雲国造(いずもくにみやつこ)が後に千家(せんげ)氏を名乗るようになった。
古来より出雲大社は、島根県松江市大庭町の神魂(かもす)神社の地にあって、『出雲国造世系譜』で霊亀2年(西暦716年)に島根県松江市大庭町から島根県出雲市大社町杵築の地に移ったと記されて、斉明(さいめい)天皇5年(西暦659年)に島根県松江市大庭町から遷宮して、霊亀2年(716年)に今の島根県出雲市大社町杵築の出雲大社に遷宮したと考えられないか?
大化の改新は、皇極(こうぎょく)天皇4年(西暦645年)に起きて、藤原氏が勢力を強めて、千家(せんげ)氏の勢力を削(そ)ぐため、659年に島根県松江市大庭町にあった出雲大社を716年に今の島根県出雲市大社町杵築の出雲大社に遷宮したと考えれば辻褄(つじつま)が合う。
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、簡単にまとめたが、もっと多くの謎(なぞ)があって、これからの歴史研究に期待したくて、2024年3月31日に修正した。
<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『完訳秀真伝』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
『出雲大社と千家氏の秘密』
中見利夫・著者 株式会社宝島社・発行
『古代出雲』
著者・門脇禎二 発行・株式会社講談社
『新訂魏志倭人伝他三篇―中国正史日本伝(1)―』
著者・石原道博 発行・株式会社岩波書店
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