ケツァルコアトル
ケツァルコアトルは、「羽毛の蛇」と訳すアステカ文明(14世紀頃から1521年まで続いた文明)の神様で、ケツァルが鳥で、コアトルが蛇を意味して、羽毛を持つ蛇神とされて、文化や農耕の神で、風神でもあって、太陽神の一面もあって、アステカ文明でケツァルコアトルのために人身御供を捧(ささ)げた。
ケツァルコアトルのモデルは、中南米の山岳地帯に生息する鳥のケツァールで、世界一美しい鳥の一つとされて、地元で「幻の鳥」として、アステカ文明で神(ケツァルコアトル)の使いとされて、ずっと前に下地を記して、これを2024年6月16日の午後10時頃に記した。
ケツァルコアトルは、アステカ文明の神様だが、それ以前のトルテカ文明(7世紀頃から12世紀頃まで続いた文明)の神様が先で、トルテカの神話や伝承が大事で、太陽神ケツァルコアトルが呼吸を与える者で、風神でも創造神でもあって、実在したケツァルコアトル王(セ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトル;「1の葦」の日に生まれた我らの王子ケツァルコアトルの意味)も指して、信仰心から王や神官もケツァルコアトルを名乗った。
実在したケツァルコアトル王は、イギリスのアーサー王のような伝説的英雄で、トウモロコシの栽培や織物や石の磨(みが)き方や羽毛のマントの作成法を教えて、他人に時間の測(はか)り方や天体運動の研究法も教えて、暦(こよみ)を発明して、年中行事と祈(いの)りの日を定めた。
ケツァルコアトル王は、王位を追われて、必ず戻ると言い残して、わずかな部下と共に舟で東の海に去って、西暦987年にククルカンが西から来て、マヤ文明の諸都市を滅亡させて、チチェン・イツァに都を建築したと言う。
ケツァルコアトルは、マヤ文明で羽毛の蛇神ククルカンとして信仰されて、ケツァルコアトルとククルカンを同一視して、暦(こよみ)のピラミッドが春分の日と秋分の日の太陽が沈む時、蛇の姿の影ククルカンが姿を現す。
ケツァルコアトルは、トルテカ神話の蛇体の太陽神で、実在したケツァルコアトル王でもあって、神話の蛇体の太陽神と実在の人物を神格化した神様が神格の二重性である。
彦坐王(ひこいますのみこ)は、神格化した古代太陽神が天照神(あまてるかみ)と饒速日命(にぎはやひのみこと)と火明命(ほあかりのみこと)と初代の大物主神(おおものぬしのかみ)と天日槍(あめのひぼこ)などで、蛇体の太陽神が大物主神(おおものぬしのかみ)と滝祭神(たきまつりのかみ)と八岐大蛇(やまたのおろち)で、トルテカ文明のケツァルコアトルと神格の二重性で合致する。
実在の彦坐王(ひこいますのみこ)は、男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)を祭る初代宮司で、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)など複数の古代太陽神に神格化して、僕の自論の神格化が間違いない。
蛇体の古代太陽神は、崇神(すじん)天皇10年の小蛇の大物主神(おおものぬしのかみ)、伊勢神宮の横を流れる五十鈴川(いすずがわ)を神格化した蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)、その滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視した八岐大蛇(やまたのおろち)、蛇体の伝承を持つ天照大神(あまてらすおおみかみ)と一致する。
神格の二重性は、神話の蛇体の太陽神と実在の人物を神格化した神様の共通性で、日本の古代太陽神とトルテカ文明の合致が偶然でない。
ケツァルコアトルの名前は、ローマ字で文字(もじ)って書き直すと「くにてるひこ・あまてる」となって、古代太陽神の「天照国照彦(あまてるくにてるひこ)」と合致して、トルテカ文明の王家と古代天皇家の先祖が共通すると考えられる。
トルテカ文明と古代天皇家の共通性は、エジプト文明の太陽神ラーを飲み込む蛇アポピスとエジプト文明を起こした正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の伝承の共通性、世界中の神話や伝承との共通性などもあって、僕の歴史研究の公表がきっかけで、いずれ世界中で求められるだろう。
<参考文献>
インターネットの不明サイトから少々拝借
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