神様と霊魂


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。
世界中の神様は、信仰の対象として尊敬・畏怖(いふ;恐(おそ)れ慄(おのの)くこと)して、神道の神様が自然現象などを対象に信仰や畏怖(いふ)して、世界中の神様と神道の神様が全く違って、日本だけが特別な思想を持つ。
これは古代天皇家が国教の神道で統治して、1900年以上の歴史を持って、その間に色々変化があったかもしれないが、その長期間に国民全体の思想として神道が根付いたと考えられるためだろう。
日本独自の思想の神道は、世界中の神話や民話や伝説などの神様と全く違う考え方で成立して、簡単に分かってもらおうと思わないが、日本と世界中の考え方が基本から異なることを知らなければならなくて、2022年11月30日に修正した。

世界中で霊魂は、肉体と別の精神体で、肉体から離れたり、死後も存在し続けたりして、体と別のそれだけで実体を持つ非物質的な存在で、人間が生きる間なら体内にあって、命や精神の原動力で、個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在などと考えられる。
日本の霊魂は、仏教と神道の考え方が根本的に違って、仏教の霊魂が成仏(じょうぶつ)して極楽浄土へ生まれ変わるか、成仏(じょうぶつ)できなかったら六道(ろくどう;輪廻転生(りんねてんせい)した6つの世界)へ生まれ変わるとするが、民間信仰だと生まれ変わりの期間を霊魂と混同する場合もある。
神道の霊魂は、森羅万象(あらゆる物)に神秘的な力が宿(やど)って、肉体から離れたり、物に取り付いたり(憑依;ひょうい)して、区別や概念があいまいで分類や定義付けをせず、強弱や主従などの区別が存在して、大きい物や古い物や長生きした物が大きな力を持って尊敬した。
優秀な功績を残した人物の霊魂は、日本神話の人格神(人と同じ姿形と人の心を持つ神)かそれ以上の存在とされて、明治以降の戦死者の霊魂を尊敬する場合なら「英霊(えいれい)」と呼ぶ。
古来の神道は、霊魂の2面性を荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)と呼んで、荒魂(あらみたま)が「荒(あら)ぶる魂」とか「暴(あば)れる魂」で、和魂(にぎみたま)が「おだやかな魂」とか「平和的な優しい魂」などと理解する。
幕末に生まれた霊魂の考え方は一霊四魂説で、直霊(なおひ)と言う真ん中の霊魂の周りに荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)と幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)の4つの霊魂があって、荒魂(あらみたま)が勇で、和魂(にぎみたま)が親で、幸魂(さきみたま)が智で、奇魂(くしみたま)が愛をつかさどって、神道の霊魂の荒魂と和魂(にぎみたま)を発展させた考え方で、幸魂(さきみたま)が「幸福をもたらす魂」で、奇魂(くしみたま)が「奇跡をもたらす魂」と考えられる。
ちなみにアニメの犬夜叉は、戦国時代に四魂(しこん)の玉が存在して、一霊四魂説に基づくが、後世の幕末に一霊四魂説が生まれて、しょせんアニメにすぎない。

霊魂の荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)は、古来の神道の考え方だが、神様や霊魂や人間の感情の考え方に通じると僕は考える。
守護神は、「おだやかな魂」の和魂(にぎみたま)で守護して、怨霊(おんりょう)が怨(うら)み辛(つら)みをつのらせて祟(たた)りを生んで、「荒(あら)ぶる魂」の荒魂(あらみたま)が暴走して、災厄をもたらす考え方である。
守護神は、霊魂がその場から動かずにとどまり続けて安定して、怨霊(おんりょう)がその場から霊魂が離れて、自由気ままに動き回って暴れる状態で、霊魂を動き回らないように鎮(しず)めるのが鎮魂(みたましずめ)の役割である。
守護神は、和魂(にぎみたま)で守護して平和的で、荒ぶる神や怨霊(おんりょう)が荒魂(あらみたま)を暴走させて危険で、神様のおだやかさと荒々(あらあら)しさの2面性を示して、人間の感情もおだやかさと荒々(あらあら)しさの2面性があって、それぞれ和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)がぶつかり合うと考えられる。
生きている霊魂の生霊(いきりょう)と死んだ霊魂の死霊(しりょう)は、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)を持っていて、和魂(にぎみたま)を持つ生霊(いきりょう)と死霊(しりょう)が守護霊で、荒魂(あらみたま)を持つ生霊(いきりょう)と死霊(しりょう)が怨霊(おんりょう)や怨念(おんねん)と考えられないか?
つまり神様や霊魂や人間の感情は、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)を持っていて、相対的な2面性を持つ考え方で、これを基本とすると考えられる。

神道の和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)は、古代から連綿(れんめん)と受け継ぐ日本独自の伝統で、世界に類を見ない特別な考え方で、これを世界中に発信する必要がある。
世界中に発信するのは、日本独自の神様や霊魂や人間の感情などの考え方が独特で、世界中の人々に理解されないためである。
日本独自の考え方は、神道や仏教を始めとして民間信仰だけでなく、水に流す禊(みそぎ)の清潔感や潔癖症にも当てはまって、日本人の綺麗好きの理由が外人に理解しがたいもので、日本人と外人が簡単に理解しにくい理由を探る必要がある。

<参考文献>
インターネット

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