天皇家の竜神と太陽神

天皇家と竜神は、古くから大きく関係して、古代日本で竜が蛇を表して、蛇が太陽神と最高神で、蛇神(竜神)信仰が太陽信仰と一致する。京都府福知山市の元伊勢内宮は、天龍(てんりゅう)・八岐龍(やまたのりゅう)神社の祠(ほこら)に八岐大蛇(やまたのおろち)を祭って、伊勢神宮内宮の横に流れる五十鈴川(いすずがわ)を神格化した古代信仰の滝祭神(たきまつりのかみ)が蛇体で、滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視したのが八岐大蛇(やまたのおろち)で、滝祭神(たきまつりのかみ)を竜神とする。
日本で太陽神と竜神(蛇神)は、同一神と考えるべきで、中米のトルテカ神話の太陽神ケツァルコアトル(「羽毛の蛇」と訳す)が蛇体で、男性の古代太陽神の名前「国照彦(くにてるひこ)・天照(あまてる)」をもじって、トルテカ王家が天皇家の派生氏族で間違いなくて、いずれ世界中に天皇家の痕跡(こんせき)が見つかるだろう。
国民的ゲームのFFとドラゴンクエストは、竜が強い存在で、古代日本で蛇神(竜神)が太陽神で最高神でもあって、間違った考え方でない。

『ホツマツタエ』は、男性の太陽神が天照神(あまてるかみ)で、別名をアマテラスともヲヲンカミとも呼んで、天照大神(あまてらすおおみかみ)に語源変化したと考えられて、天照(あまてらす)の呼び名が5世紀以前にあって、太陽神の性別が変化したことを証明する。
鎌倉時代の京都にいた通海(つうかい)と言う僧は、伊勢神宮内宮の神(天照大神)が蛇で、斎宮(さいぐう;巫女)がその后(きさき)で、その証拠に大神(天照大神)が毎晩斎宮(さいぐう)の元に来て、斎宮(さいぐう)の布団に蛇の鱗(うろこ)が落ちたと『通海参詣記』に記した。
中世の神道家たちは、天照大神(あまてらすおおみかみ)が蛇と言う考え方がだんだん作られて、15世紀の『元長修祓記』に「伊勢神宮の御神体は蛇体にて御座(ござ)す」と記した。このように天照大神(あまてらすおおみかみ)は、蛇体の男性の伝承が幾らでもあって、男性から女性に性別を変更して、決して隠し通せるはずがない。

伊勢神宮内宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、伊勢神宮内宮で石そのものを滝祭神(たきまつりのかみ)と呼んで祭るが、内宮の横を流れる五十鈴川(いすずがわ)そのものを神格化した古代信仰の蛇神で、滝祭神(たきまつりのかみ)を竜と記す。
滝祭神(たきまつりのかみ)は、同じ蛇神の大物主神(おおものぬしのかみ)や八岐大蛇(やまたのおろち)と同一神で、天照大神(あまてらすおおみかみ)とも同一神と考えられる。
日本最大の太陽神は、日本全土の土地神の倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)で、倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)が『ホツマツタエ』で2代目の大物主神(おおものぬしのかみ)として、2番目に大きい太陽神が五十鈴川(いすずがわ)を神格化した滝祭神(たきまつりのかみ)と八岐大蛇(やまたのおろち)と考えられる。
滝原宮(たきはらのみや)は、伊勢神宮の別宮で遥宮(とおのみや)と呼ばれて、内宮と外宮に次(つ)ぐ3番目の社格で、この神社の神様が正式に天照大神(あまてらすおおみかみ)だが、本当の神が水戸神(みなとがみ)つまり雨水をつかさどる川の神様で、滝原宮の神様と滝祭神(たきまつりのかみ)が同一神と考えられる。
滝祭神(たきまつりのかみ)は、昔も今も伊勢神宮内宮で丁寧に祭って、昔から続く伊勢神宮内宮の大事な祭りの前に、別宮に準じた待遇で丁重に祭って、滝祭(たきまつり)をする気持ちが天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭るのと変わらないほどで、その重要性から天照大神(あまてらすおおみかみ)と同格ほどの隠れた古代太陽神と考えられる。
滝祭神(たきまつりのかみ)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)と同格ほどの古代太陽神で、非常に大切に祭られて、忘れ去られた悲しい神様である。

竜神の八岐大蛇(やまたのおろち)は、『ホツマツタエ』で早子(はやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)の怨念(おんねん)だが、蛇体の天照大神(あまてらすおおみかみ)、滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視した蛇神、伊勢神宮を神格化、7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)を蛇神の大物主神(おおものぬしのかみ)に神格化、出雲大社の龍蛇神(りゅうじゃしん)に当たるなど、どのようにも解釈できて、これが一般的な僕の解釈である。
出雲大社の神在祭(かみありさい)は、旧暦の10月11日から17日の7日間、全国の神々が出雲大社に集まって、出雲大社の境内の19社に宿泊して、出雲大社と稲佐(いなさ)の浜に近い上宮(うえのみや)で、神議(かみはか)りと言う首脳会議をして、他にも人々を幸福にする龍蛇神(りゅうじゃしん)を祭る龍蛇神講大祭(りゅうじゃしんこうたいさい)や縁結(えんむす)び大祭などをする。
出雲大社の海蛇の龍蛇神(りゅうじゃしん)は、蛇体の古代太陽神の大物主神(おおものぬしのかみ;歴代の出雲国王を神格化)で、7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)も神格化して、蛇体の天照大神(あまてらすおおみかみ)とも解釈できて、古代天皇家と出雲王国(物部(もののべ)氏)の両方の蛇神を指すと考えられる。
出雲大社の御神体は、天皇陛下も出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の宮司も知らなくて、松江城主の松平直政(まつだいらなおまさ;1601年から1666年)が宮司の制止を聞かず、御神体を見ると九穴の鮑(あわび)が鎮座して、大蛇に変化したと記して、一説に御神体が大蛇と考えられるが、誰も見ていないと言う。

崇神(すじん)天皇時代の出雲の平定は、丹波(たんば;京都府北中部)で、子供が「出雲の人が祀(まつ)っていた鏡」と歌って、日本武(やまとたけ)天皇が持ち去った三種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)とも、出雲王家(物部(もののべ)氏)が祭った十種(とくさ)の神宝(かんだから)の神鏡2枚が京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社宮司家の海部(あまべ)氏が持つ古代中国の銅鏡2枚と一致する。
皇室と出雲王家(物部(もののべ)氏)は、先祖が同じ太陽神で、太陽神が蛇体だから、伊勢神宮も出雲大社も蛇神の伝承があって、156年の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)と260年の日本武(やまとたけ)天皇の反乱(出雲の国譲(くにゆず)り)神話)の皇位継承権争いで、神宝の伝承が遠縁の海部(あまべ)氏の関連性なども証明できる。
出雲王家(物部(もののべ)氏)と海部(あまべ)氏は、始祖を彦坐王(ひこいますのみこ)とする遠縁で、古代天皇家とも遠縁で、姻戚関係もあって、皇室も出雲王家(物部(もののべ)氏)も蛇体の太陽神を祭って、その蛇神の伝承が現代まで伝わって、謎(なぞ)だらけだが、ひもとけばあまりに簡単である。

長野県の諏訪(すわ)大社の建御名方神(たけみなかたのかみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、諏訪(すわ)湖に住む竜神で、色々な場所に出現して、水の神様などともされる。
太陽神で蛇体の竜神は、彦坐王(ひこいますのみこ)を始祖とする古代太陽神氏族の血筋を神格化して、男性の天照神(あまてるかみ)と女性の天照大神(あまてらすおおみかみ)に神格化した彦坐王(ひこいますのみこ)と子孫の倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后、彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫である歴代の出雲国王、彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫の日本武尊(やまとたけのみこと)などを神格化した。
あまり深く掘り下げないが古代天皇家の太陽神は、蛇神(竜神)の太陽神で最高神でもあって、それを否定する材料が見つからなくて、これから多くの人々の研究材料になった。

2代神社の伊勢神宮と出雲大社は、共に蛇神の太陽神を祭って、日本神話の蛇神の古代太陽神が多く登場して、僕の歴史研究の成果が蛇神の正体を暴(あば)いて、古代天皇家の秘史を特定した。
2024年は、干支(えと)の辰年(たつどし)で、竜神が蛇神を表わして、古代太陽神や天照大神(あまてらすおおみかみ)を指して縁起が良くて、彦坐王(ひこいますのみこ)を先祖とする出雲王国(物部(もののべ)氏)や日本武尊(やまとたけのみこと)などを竜神に神格化した。
彦坐王(ひこいますのみこ)は、古代太陽神の天照神(あまてるみかみ)に神格化して、竜神と考えられて、子孫の倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を天照神(あまてるみかみ)と天照大神(あまてらすおおみかみ)に神格化して、竜神と考えられなくて、ここまでを2024年5月8日に修正した。

天照大神(あまてらすおおみかみ)は、蛇体や男性とする説があって、出雲大社も御神体が蛇とする説や龍蛇(りゅうじゃ)を祭って、古代太陽神が蛇の大物主神(おおものぬしのかみ)や八岐大蛇(やまたのおろち)や滝祭神(たきまつりのかみ)などを証明して、蛇体や男性が古代太陽神と証明されて、出雲大社の神様も蛇体の可能性を示したが、また別の議論である。
蛇体の男性から女性に変化した太陽神は、女系天皇や女性天皇の権威付けもあるが、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の女系男子天皇を隠して、正統化する極秘の考え方があったと考えられる。
「記紀」を国家規模で編集した文官や当時の有識者は、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ)の女系男子天皇を把握して、情報をまとめたか不明だが、そのような考え方があることも理解して、「記紀」を編集して、まとめて作ったと考えられる。

男性から女性に性別変更した神様は、天照大神(あまてらすおおみかみ)以外に伊勢神宮外宮の豊受大神(とようけおおかみ)など幾らでもいて、『ホツマツタエ』や「記紀」や『風土記(ふどき)』など日本各地で見られて、性別を今昔の歴史書の比較で、間違いや勘違いをして、製本して文章に残したか、口伝(くでん;言葉で伝えること)で間違いを広めるなど、色々な事情で間違いが起きた。
しかし天照大神(あまてらすおおみかみ)の性別変更は、明らかにワザとの故意で、何らかの意図が存在したが、誰も知らない大昔の出来事で、完全に予測するしかなくて、あくまで僕自身の思いつきにすぎない。
それでも僕は、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の女系男子天皇を支持して、誰も見てないし知らない大昔の考え方を目指して、過去を予測して歴史を作るのが考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)の本質で、正しく向き合うことが大事である。
しょせん僕らは、過去の人間がどのように考えて、法律や道具などを改良して、進化して来た歴史を調べて、それを学問で発表して、歴史を作るのが僕ら現代人の役目で、女系男子天皇も僕の独りよがりの考え方かもしれないが、誰かに馬鹿にされる謂(いわ)れがない。

男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)は、男性を強調して、子孫の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を神格化)の女性を強調して、天照大神(あまてらすおおみかみ)が男性の彦坐王(ひこいますのみこ)の存在を消すためでもあった。
天照神(あまてるかみ)は、男性の彦坐王(ひこいますのみこ)と女性の倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后の3人を神格化したのに対して、天照大神(あまてらすおおみかみ)が女性2人を神格化して、男性と女性の性別の強調が神格化の違いの目的と考えられる。

今となっては、男性と女性と蛇体の太陽神が理由を特定できなくて、僕の予測にすぎないが、最も納得できる可能性をひもといて、後世に託したいと思って、これを2024年6月16日の午前10時頃にタイトルを変えて、追加で記した。

<参考文献>
インターネットの不明サイトから少々拝借

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