狭穂彦王(さほひこのみこ)

『日本書紀』で彦坐王(ひこいますのみこ)の息子が狭穂彦王と記さず、狭穂彦王と狭穂姫(さほひめ)が兄妹と記す。
『古事記』で日子坐王(ひこいますのみこ)は、春日建国勝戸女(かすがのたけくにかつとめ)と結婚して娘の沙本之大闇見戸女(さほのおおくらみとめ)が生まれて、娘の沙本之大闇見戸女とも結婚して、長男の沙本毘古王(さほひこのみこ)と次男の袁邪本王(おざほのみこ)と長女の沙本毘売(さほひめ)と三男の室毘古王(むろびこのみこ)が生まれた。
饒速日尊(にぎはやひのみこと;彦坐王を神格化)は、長髄彦(ながすねひこ;誰を神格化したか不明)の妹の御炊屋姫(みかしやひめ;沙本之大闇見戸女を神格化)を妃にして、産む時に饒速日尊がすでに亡くなって、宇摩志麻治命(うましまじのみこと;狭穂彦王を神格化)が誕生した。
河内(かわち;古代の大阪府東部)の天孫降臨は、饒速日尊に彦坐王を神格化したのが確かである。

彦坐王の息子の狭穂彦王は2代目出雲国王で、狭穂彦王の反乱(倭国大乱;倭の邪馬台国(やまとこく;大和国)の大乱)の時に息子で、後の3代目出雲国王で野見宿禰(のみのすくね)が大人で、狭穂彦王が戦死するまでに娘の高田媛(たかだひめ;欝色謎命(うつしこめのみこと)に祖先化)が生まれて、高田媛が3代目の景行(けいこう)天皇の妃で、10才以上の年上女房(にょうぼう)である。
つまり狭穂彦王と狭穂姫の同母兄妹は、年が離れていて同じ名前が入っていても、年齢的に関係ないということである。
狭穂彦王の反乱を神話化した『ホツマツタエ』の黄泉国下り神話には、軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王を神格化)と娘の菊桐姫(ここりひめ;高田媛を神格化)の親子を記す。
彦坐王と息子の狭穂彦王の直系子孫は物部(もののべ)氏(出雲王家)で、物部氏が古代の男性の太陽神である天照神(あまてるかみ)を祭る古代太陽神氏族である。
歴代の出雲国王は、古代天皇家の古代太陽神を祭る宮司の役割を担(にな)ったと考えられる。

垂仁(すいにん)天皇4年9月1日(西暦155年10月上旬頃)に狭穂彦王は、実妹で皇后の狭穂姫に垂仁天皇を殺すことを頼(たの)み込んだ。
垂仁天皇5年6月1日(西暦156年7月上旬頃)に狭穂彦王の反乱の計画を狭穂姫が告白して、狭穂彦王の従兄弟の垂仁天皇が討伐命令を出した。
垂仁天皇の父の崇神(すじん)天皇時代に三種の神器は、八重垣剣(やえがきのつるぎ)と八咫鏡(やたのかがみ)のレプリカ(複製品)を作って、狭穂彦王が三種の神器の剣と鏡を強奪して、玉をはぶいて皇位継承権争いを起こすことを計画したと考えられる。
三種の神器が古代に2種類あったのは、2020年9月16日に考えて出した結論である。

狭穂彦王は、二種の神器で強行即位して、狭穂彦(さほひこ)天皇になって、大和国(邪馬台国)の即位の法律に介入したと考えられる。
狭穂彦王は、直接に天皇家の即位の法律に介入できたか、大和まで侵攻して法律を変えさせたか分からないが、出雲から大和まで攻めたのが確かで、三重県熊野市で戦死した理由が分かった。
邪馬台国(大和国)の垂仁天皇と出雲王国(物部氏)の狭穂彦天皇それぞれに味方が二分したと考えられて、戦場が出雲から大和に近づいて、最終決戦の地が三重県熊野市だったと考えられる。
狭穂彦天皇は、稲を積(つ)んで稲城(いなき)として、城に立てこもって防御態勢をととのえて、狭穂姫が息子の誉津別命(ほむつわけのみこと)を連れて稲城に入った。
結果として最後は、誉津別命を狭穂姫が垂仁天皇に渡して託(たく)して、狭穂彦王と狭穂姫の兄妹が炎上する稲城の中で亡くなった。
兄妹の遺体は、燃えて残らなかったから、三重県熊野市有馬の石を祭る古代信仰の花の窟(いわや)神社に祭って、伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫を神格化)と息子の軻遇突智(狭穂彦王を神格化)として祭ったと考えられる。
狭穂姫は、炎上する稲城で亡くなって、伊弉冉尊が息子の軻遇突智を生んで火傷(やけど)を負(お)って、互いに火にまつわる死去で、軻遇突智が火の神様で、伊弉冉尊も火に関わる神様で、物部氏の直系を神格化したのが火の神様で、狭穂彦王と狭穂姫が物部氏の先祖である。
崇神天皇7年2月3日が正しく求めると、垂仁天皇7年2月3日(西暦158年3月上旬頃)に垂仁天皇は、自分の治世(ちせい)の汚(けが)れをなくすための夢を見て、この日までに狭穂彦王の反乱が終わったと考えられる。

狭穂彦王の反乱の後で、奈良県桜井市の御神体山の三輪山(みわやま)を祭って、2代目・大物主神(おおものぬしのかみ;狭穂彦王を神格化)が国家守護の神様とされた。
出雲王国(物部氏)の狭穂彦王は、三種の神器の片方を強奪して天皇になって、歴史上から天皇になったことも出雲と関係あることも抹消された。
しかしアインシュタイン博士以上の超天才の僕は、消された正史を完全に再現して、世界中に真実を公表することになった。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
『日本の神様読み解き事典』
川口謙二・編著者 柏書房株式会社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

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