三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

邪馬台国論争にとって三角縁神獣鏡は女王の卑弥呼の鏡と勘違いされていて考古学会期待の星だが、僕がひもといた史実・真実・事実を前にしてもまだ悪あがきするのか?
今年で邪馬台国論争109年目になってようやく古代日本史研究に一応の決着を見たが、三角縁神獣鏡は決して無用の長物(ちょうぶつ)というわけにいかない。
いくら邪馬台国論争が一応の決着をしたと言っても、『魏志倭人伝』に記された魏王朝の銅鏡かという点で放っておけない。

『魏志倭人伝』に記された魏王朝の銅鏡は百面で、今までに発掘された三角縁神獣鏡が四百面以上であって、明らかに多すぎて一部の古墳だけ発掘されたことを考えたら、何十倍か何百倍以上も出土する可能性がある。
この時点で偽物と考えてもおかしくないが、三角縁神獣鏡に魏王朝の元号の青龍三年(西暦235年)と景初三年(西暦239年)と景初四年(西暦240年)と正始元年(西暦240年)が記されて、三角縁神獣鏡が中国から一面だけ出土したとされる事実があるけれど、全て否定できるわけでもない。
魏王朝の元号が刻まれた三角縁神獣鏡は古代中国製で、景初四年の三角縁神獣鏡が魏王朝の元号に存在しないはずで、僕の暮らす京都府福知山市の広峯(ひろみね)15号墳から出土したのと宮崎県西都市の持田古墳群出土と伝えられる二面があって、三角縁神獣鏡の国産説が有力視される。
景初四年鏡は正始元年に古代大和朝廷の使者が帰国した時に魏王朝から銅鏡の技師を伴って帰って、その技師らが元号の変更を知らずに作ったものだとすればつじつまが合って、魏王朝の元号を刻んだ銅鏡の原型のオリジナルを古代天皇家に下賜されたと考えられないだろうか?
考古学で魏王朝の元号を刻んだ銅鏡の原型のオリジナルを発見するのは困難だが、発見できればチェックメイトになるのが確実である。

古代天皇家は魏王朝以外に呉王朝とも外交して、呉王朝の元号の赤烏元年(西暦238年)と赤烏八年(西暦244年)と元康?年(西暦291〜299年)の銅鏡が出土しており、景行(けいこう)天皇が「親魏倭王」の称号だけで満足しなかったのだろう。
韓国の都市の金海(キメ)辺りで3世紀後半頃から日本製の遺物が出土しなくて、神功(じんぐう)皇后時代に古代朝鮮国家群と外交関係をなくしたと考えられるが、元康?年の銅鏡の存在から古代朝鮮国家群と外交しなくても、古代中国の呉王朝との外交関係が続いていたと考えられる。
他の可能性として呉王朝系の渡来人が元康?年の銅鏡を国内に持ち込んだ可能性もあり、呉王朝との外交関係が断絶していたかもしれない。
三角縁神獣鏡は邪馬台国論争が決着しても謎の遺産で、いくらアインシュタイン博士以上の天才の僕でも分からないものが分かるはずもない。

<参考文献>
『三角縁神獣鏡の死角』
武光誠・著者 株式会社新講社・発行
『卑弥呼の居場所 狗邪韓国から大和へ』
高橋徹・著者 日本放送出版協会・発行
2015年3月2日の朝日新聞記事

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