三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)

邪馬台国(やまとこく;大和国)論争で三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は、女王の卑弥呼の鏡と勘違いされて考古学会期待の星だが、僕がひもといた史実・真実・事実を前にしてもまだ悪あがきするか?
2020年は、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争110年目で、今年にようやく古代日本史研究に一応の決着を見たが、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が決して無用の長物(ちょうぶつ)でない。
いくら邪馬台国(やまとこく;大和国)論争が一応の決着をしても、『三国志・魏志倭人伝』に記す魏王朝の銅鏡か放っておけない。

『三国志・魏志倭人伝』に記す魏王朝の銅鏡は百面で、今までに発掘された三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が四百面以上で、明らかに多すぎて一部の古墳だけ発掘したことを考えると、何十倍か何百倍以上も出土する可能性がある。
この時点で偽物と考えてもおかしくないが、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)に魏王朝の元号の青龍三年(西暦235年)と景初三年(西暦239年)と景初四年(西暦240年)と正始元年(西暦240年)が記されて、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が中国から一面だけ出土して全て否定できない。
魏王朝の元号が刻まれた三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は古代中国製で、景初四年の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が魏王朝の元号に存在せず、僕の暮らす京都府福知山市の広峯(ひろみね)15号墳出土と宮崎県西都市の持田古墳群出土と伝える二面があって、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)の国産説が有力視される。
景初四年鏡は、正始元年に古代大和朝廷の使者が帰国した時に魏王朝から銅鏡の技師を伴(ともな)って帰って、その技師らが元号の変更を知らずに作った国産鏡とすればつじつまが合って、魏王朝の元号を刻んだ銅鏡の原型のオリジナルを古代天皇家に下賜されたと考えられないか?
考古学で魏王朝の元号を刻んだ銅鏡の原型のオリジナルを発見するのは困難だが、発見できればチェックメイトになる。
魏王朝の元号が刻まれた三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は、『三国志・魏志倭人伝』の記す古代中国産の魏王朝の銅鏡で、他が全て日本国内の国産鏡と考えられる。

魔鏡(まきょう)とは、並行光線や点光源からの拡散光線を反射すると、反射面のわずかな歪(ゆが)みで反射光の中に濃淡が現れて、像が浮かび上がる鏡(特に銅鏡)で、現在確認する最古の魔鏡(まきょう)が紀元前1世紀頃の前漢時代の銅鏡で、日本国内で17世紀に隠れキリシタンが隠れ切支丹(きりしたん)鏡を作って、禁止した十字架やマリアの像などを隠して浮かび上がらせて崇拝(すうはい)した。
魔鏡(まきょう)は裏面の鏡面に目に見えないわずかな凹凸(おうとつ)や文字や像を描(か)いたりして、光を当てて像を浮かび上がらせる鏡で、普通に魔鏡(まきょう)と気付かない。
2014年1月29日に愛知県犬山市の東之宮(ひがしのみや)古墳で出土した三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は、レプリカ(複製品)を作ってこの日に公開して、鏡面に太陽光を当てて壁に反射すると、裏面の文様を映(うつ)し出す魔鏡(まきょう)と分かって、京都国立博物館が発表した。
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が全て魔鏡(まきょう)かは不明で、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)の新たな可能性を示したが、倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)が天照大神(あまてらすおおみかみ)に神格化したことと関係すると考え難(にく)い。
『ホツマツタエ』の編纂(へんさん)は4世紀後半以降で、古代の男性の太陽神である天照神(あまてるかみ)も現在の女性の太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)も倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)を神格化したが、日本神話の完成が4世紀後半以降と考えられて、古代天皇家の太陽信仰と結び付けるのが無理矢理すぎる。
邪馬台国(やまとこく;大和国)時代と倭姫命(やまとひめのみこと;卑弥呼)は、明確に同時代で関わり合うが、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が魔鏡(まきょう)で、興味深い研究対象ができたことを意味する。

古代天皇家は、魏王朝以外に呉王朝とも外交して、呉王朝の元号の赤烏元年(西暦238年)と赤烏八年(西暦244年)と元康?年(西暦291〜299年)の銅鏡が出土して、景行(けいこう)天皇が「親魏倭王」の称号だけで満足しなかったのだろう。
韓国の都市の金海(キメ)辺りで3世紀後半頃から日本製の遺物が出土しなくて、神功(じんぐう)皇后時代に古代朝鮮国家群と外交関係をなくしたと考えられるが、元康?年の銅鏡の存在から古代朝鮮国家群と外交しなくても、古代中国の呉王朝との外交関係が続いたのかもしれない。
他の可能性として呉王朝系の渡来人が元康?年の銅鏡を国内に持ち込んだ可能性もあり、呉王朝との外交関係が断絶していたかもしれない。

三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争が決着しても謎の遺産で、いくら超天才の僕でも分からない物が分かるはずもない。

<参考文献>
『三角縁神獣鏡の死角』
武光誠・著者 株式会社新講社・発行
『卑弥呼の居場所 狗邪韓国から大和へ』
高橋徹・著者 日本放送出版協会・発行
2015年3月2日の朝日新聞記事
インターネットの不明サイトから少々拝借

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