神道


神道とは日本古来の宗教で、山や川や岩などの自然や自然現象などの万物に神様が宿(やど)って、恨(うら)み辛(つら)みを残して死んだ者を怨霊(おんりょう)として祭って、日本神話に記される祖先神を祭り、それらに八百万(やおよろず)の神々を見い出す多神教とされる。
神道は宗教的に分類すると、皇室神道(宮中祭祀)と神社神道と古神道と民俗神道(民間神道)などもっと存在するが、日本神話に基づくのが皇室神道と神社神道と古神道である。
皇室神道は皇祖神(天皇家の祖先神)を始めとする日本神話の神々の神道で、崇神天皇即位の西暦84年以降の天皇家による国教の神道で、神社神道が神社を中心として氏子や崇拝者などの組織で祭祀儀礼をして、古神道が江戸時代の国学で儒教や仏教が日本に入ってくる以前の神道を仮想したもので、民俗神道が民間の信仰行事で鬼や河童(かっぱ)などの妖怪も含める。
神道は全て日本神話に基礎を置くわけでないが、神道の根本と言っても過言でないのが日本神話で、「記紀」と古史古伝『ホツマツタエ』の日本神話を僕が完全解釈した。
元々は日本神話が崇神(すじん)天皇から仁徳(にんとく)天皇の時代までのおそらく実在した皇族や有力豪族を神格化したもので、それを日本神話の神々の正体を求められるという意味で「神に最も近い人間」の僕がひもといた。
神道は他の宗教である仏教や儒教なども取り入れて成立していて、そこに神道という宗教や日本人の多様性を見い出すことができて、世界中の人々が見習うべきなのがその多様性かもしれない。

神道は多神教で根本的に2つに分かれて、高天原(たかまがはら)と言う天上界にいる天津神(あまつがみ)と地上に暮らす国津神(くにつがみ)がいて、これを僕が定義付けると天津神が古代天皇家の人間で国津神が出雲王国(物部(もののべ)氏)を中心とするが彦坐王(ひこいますのみこ)から始める古代太陽神氏族を神格化していると考えられる。
天津神と国津神の違いが分かる根拠は、僕の出版していない3冊目の本が出版されたときに確かめてほしい。
天津神と国津神の争いは見事に隠されているが、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の黄泉国(よみのくに)下り神話…2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱が最初で、『後漢書』と『魏志倭人伝』に記される倭国大乱に当たる。
天津神と国津神の争いは2度目が出雲の国譲り神話で、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)と婿(むこ)養子の大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)が戦死した出雲王国崩壊である。
出雲王国は崩壊で滅亡でないのは、物部氏の宗家が4代目出雲国王の物部十市根(もののべのといちね)の直系子孫が物部守屋(もののべのもりや)に続いて、飯入根の息子ウカツクヌが出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏に続くからで、物部氏が滅んでいないから滅亡でなく崩壊なのである。
その後に神仏戦争…神道派の物部守屋と仏教派の蘇我馬子(そがのうまこ)が争って、結果として物部氏の宗家が断絶したとされるが、蘇我(そが)氏が物部氏の血筋にある何代目かの武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫だから、物部氏の血筋同士のつぶし合いだったのが真相である。

第2次世界大戦前の教科書は日本神話を歴史として教えていたが、日本神話が史実だという根拠などどこにもなかったが、天皇を現人神(あらひとがみ)とあがめる教育の徹底にあったと言える。
現代の教科書でも日本神話の一部を載せて、賛否両論に分かれるが僕はむしろ良い傾向で、日本神話の国民的教育を行なうべきでないかと考える。
アインシュタイン博士以上の天才の僕によって日本神話が完全解釈された今、歴史教科書で西暦80年代から330年代までの崇神天皇から仁徳天皇の時代の史実を教えることになって、僕一人が起こした革命が世界中を震撼(しんかん)させることになる。
僕の求めた日本神話は世界中の神話が史実でないかと証明する事実で、世界中の神話が日本神話に似ているのが偶然でなく古代天皇家の先祖が残した物語の可能性があって、天皇家が世界中の文明を築き上げた可能性を否定できない。
天皇家の宗教で国教でもあった神道は、様々な歴史と融合や統合されて形を変えてきたけれど、その本質が変わっていなかったと信じることが大切で、信じる心が神様を実在させるのである。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
インターネット

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