即位年干支(そくいねんかんし)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

「記紀」や他の歴史書でも古代日本史研究するのに西暦年は必須で、西暦年特定に統治者の使う「元号」があって、日本なら孝徳(こうとく)天皇の大化(たいか)元年(西暦645年)から令和元年(西暦2019年)まで使っているが、それ以前の特定ができなくて不可能だろうか?
「元号」のない時代の西暦年特定を可能にするのが干支(えと)で、干支は60年周期で一周して60年に一度しか同じ年が来ない暦法で、「記紀」でも使われているのを専門家が気付いたのが『古事記』で歴代天皇の崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)年に干支が使われて、崩御年干支を略して崩年干支(ほうねんかんし)と呼んで、過去の考古学会で使われていた。
しかし歴代天皇の崩年干支が飛び飛びで使われて西暦年に対比できず、当てにならないことから忘れ去られた。

僕は崩年干支をヒントにして、『日本書紀』の弘文(こうぶん)天皇を除く歴代天皇全員の即位年に干支が使われて、僕自身で即位年干支と名付けて西暦年に対比することにして、不確定要素の多い崩年干支よりもはるかに信頼できる。
干支は60年周期で一周するから60年を足し算引き算できると気付くべきだが、こんな単純な方法で歴代天皇の在位期間が100年以上におよぶ理由も分からなかった。
即位年干支は専門家が邪馬台国時代などを『日本書紀』を参考にしても西暦年を求められず、アインシュタイン博士以上のコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を持つ僕でなければ求められなかった。
歴代天皇数人を例にして、即位年干支を西暦年に対比して求めたものを示す。

初代の神武(じんむ)天皇即位年は干支の辛酉(かのととり)で、建国記念日が紀元前660年2月11日(西暦年月日に直すとこの日らしいが正しいか不明)とされて、60年周期で引き算すると紀元前240年が正しいと考えられる。
10代目の崇神(すじん)天皇即位年は干支の甲申(きのえさる)で、西暦2004年も甲申で計算すると60年掛ける32回で1920年さかのぼって、実質の初代の崇神天皇即位年が西暦84年となる。
実質の2代目の垂仁(すいにん)天皇即位年は干支の壬辰(みずのえたつ)で西暦152年になって、実質の3代目の景行(けいこう)天皇即位年が干支の辛未(かのとひつじ)で西暦191年になる。
成務(せいむ)天皇即位年は干支の辛未で、成務天皇が皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)と同一人物で在位せず、引き算すると一年未満で西暦251年が天皇不在の年に当たる。
実質の4代目の仲哀(ちゅうあい)天皇即位年は干支の壬申(みずのえさる)で西暦252年となる。
神功(じんぐう)皇后の摂政(せっしょう)元年は干支の辛巳(かのとみ)で西暦261年になって、神功皇后死去の干支が己丑(つちのとうし)で西暦329年になる。

応神(おうじん)天皇は在位せず母の神功皇后より先に死去して、その息子で実質の5代目の仁徳(にんとく)天皇が西暦330年代に即位したが、これ以降の天皇即位年がいくら僕でも干支が分からなくて把握できない。
武烈(ぶれつ)天皇8年12月8日(西暦507年1月上旬頃)に実質の14代目の武烈天皇が崩御して、継体(けいたい)天皇元年2月4日(西暦507年3月5日;西暦年月日に直すとこの日らしいが正しいか不明)に新しい血筋で実質の15代目の継体天皇が即位されて、これが現在の天皇家の直系先祖とされているが、継体天皇が古代天皇家の子孫か不明である。
専門家の認識力で西暦年把握は不可能で、アインシュタイン博士以上の天才の僕がはじき出した古代天皇家の西暦年以外に正しい年代など存在しなくて、これが超天才の実力結果である。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行

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