その他の古史古伝


『カタカムナ』はカタカムナ人という縄文人とも弥生人とも違う民族で、独自の文明や技術を伝える書物を残したとされるが、あやしさ全開の偽書と考えられる。
『カタカムナ』は電磁波や物質など物理原理を説明していて、この書物を解析すれば現代よりはるかな超技術が手に入るというが、まゆつばものであることに変わりない。

『美社神字解(うつくしのもりしんじかい)』は、日本武尊(やまとたけのみこと)の東海平定で長野県を訪れて、オモイカネ(物部十市根(もののべのといちね)を神格化)の子孫のアカズヒコから歓待(かんたい)されたことを伝えるが、史実でないので偽書である。
皇太子の日本武尊は、東海平定から途中で引き返して太陽神殺しの天皇として逆賊になって、出雲王国に亡命して出雲王国の崩壊で戦死している。
日本武尊を神格化した建御名方神(たけみなかたのかみ)は、出雲の国譲り神話で逃げ出して長野県の諏訪湖(すわこ)で降伏して、建御名方神が長野県を訪れたのである。
4代目出雲国王の物部十市根の子孫であるアカズヒコは、長野県を訪れたこともない日本武尊の作り話を書物に残したのが真相である。

『真澄探當證(ますみたんとうしょう)』は、顕宗(けんそう)天皇と仁賢(にんけん)天皇の兄弟が殺されないために、潜伏している時の秘史を語る書物である。
顕宗天皇と仁賢天皇の兄弟は、父の磐坂市辺押羽皇子(いわさかのいちのべのおしわのみこ)の殺害の知らせを受けて、山城や丹波や丹後や近江や美濃を巡って、尾張(おわり;古代の愛知県西部)の真清田(ますみだ)神社にかくまわれたと言う。
仁賢天皇は尾張の滞在中に継体(けいたい)天皇をもうけて、仁賢天皇の実子が武烈(ぶれつ)天皇で、仁賢天皇と継体天皇が実の親子のはずがなく偽書である。

『秋田物部文書(あきたもののべもんじょ)』は、物部(もののべ)氏の祖先神の饒速日命(にぎはやひのみこと)が降臨したのが鳥海山(ちょうかいさん)で、十種(とくさ)の神宝(かんだから)の奥津鏡(おきつかがみ)と辺津鏡(へきつかがみ)が金属製でなく、黒曜石を磨(みが)いたものと伝えている。
饒速日命が降臨したのは河内(かわち;古代の大阪府東部)で、奥津鏡と辺津鏡が京都府宮津市の元伊勢(この)籠神社に伝わる前漢時代と後漢時代の2つの銅鏡が正しくて、『秋田物部文書』が偽書である。

他にも古史古伝は多く存在するが、正当な歴史書もあれば偽書も存在して、正しいか間違いかはっきり論理的根拠を示せば、正当な歴史書か偽書か判明する。

<参考文献>
『『古史古伝』異端の神々』
僕・原田実 株式会社ビイング・ネット・プレス:発行
インターネット

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