神様は存在するか!?


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

僕は神様の存在を否定する人間だが、決して神様を信じていないわけでもなく、神社にお参りする時点で神様に固執している。
日本神話の神々…八百万(やおよろず)の神々は、おそらく実在した人物や万物を神格化している。
滝祭神(たきまつりのかみ)は伊勢神宮内宮横の五十鈴川(いすずがわ)の流れを神格化した蛇神で、八岐大蛇(やまたのおろち)がその滝祭神を怪物視した蛇神であり、おそらく実在した人物を神格化した八百万の神々と違って例外的な存在になる。

八百万の神々でも特に神格の高い三貴子(みはしらのうずのみこ)の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)と神功(じんぐう)皇后を神格化)と月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と素戔嗚尊(すさのおのみこと;皇太子の日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、皇祖神(天皇家の祖先神)であるから重視される。
『ホツマツタエ』によると、垂仁(すいにん)天皇の皇后・樺井月姫(かばいつきひめ)を死後に祭って筒木樺井月神(つつきかばいのつきのかみ)として、皇太子・日本武尊(やまとたけのみこと)を死後に祭って熱田神(あつたかみ)として、熱田(あつた)神宮の祭神・熱田大神(あつたのおおかみ)が日本武尊を神格化したと考えられる。
三貴子を始めとして八百万の神々の大半が古代天皇家や有力豪族の人間を神格化していて、僕ならばその正体を求めるのに苦労もしない。

出雲王国(物部(もののべ)氏)の直系子孫だけは、日本神話の雷神や火の神様に神格化された。
栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功皇后を神格化)は物部氏の出身で、その息子の火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと;皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)と孫の火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)が火の神様で、それ以前の古代天皇家に物部氏(火の神様)の血が流れていない。
素戔嗚尊(日本武尊を神格化)は、出雲大社の祭神である大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね))の父か先祖とされて、正しく求めると大国主神の義父で、八岐大蛇(やまたのおろち)退治など出雲に縁(ゆかり)の神様である。
天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊を神格化)は、出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の祖先神で、日本武尊の一人娘の布忍姫(ぬのおしひめ)が最後の出雲国王の飯入根との間にもうけた子孫が千家氏と考えられる。
建御名方神(たけみなかたのかみ;日本武尊を神格化)は大国主神の息子だが、正しく求めると大国主神の義父で、長野県の諏訪大社の祭神で、日本武尊が東海平定で長野県を制圧したけれど、正しく求めると長野県に行ってなくて、あくまで神話である。
出雲神話で主要な素戔嗚尊と天穂日命と建御名方神の3神は、共に日本武尊を神格化した神様で、日本武尊が出雲王国(物部氏)と深い関係を示す証拠で、日本武尊が一般的に出雲と関係ないと誤解するが、しょせん日本神話を完全解釈できない凡人の戯言(ざれがと)である。
世界でただ一人の日本神話を完全解釈できる僕は、この程度の特徴を求めることなどあまりにも容易(たやす)く、僕に対抗できない現代人など一生かかっても求められない。

世界中に神話があって神様が多様に存在するとき、全ての神々が八百万の神々と同じように神格化したとすると、神様の存在を否定する無神論こそが真実だと考えられる。
僕はアインシュタイン博士と同じ無神論を取るが、八百万の神々の神社を参拝していて、決して全てを否定するわけでない。
古く歴史をたどるとアトランティス大陸ではギリシア神話の海神ポセイドン(アトランティス大陸の海神の名前は分からない)を崇(あが)めてムー大陸が太陽神を崇めたとされて、古代から連綿と受け継がれてきた神様の存在があることが分かる。
キリスト教のヤハウェやイスラム教のアッラーなどの唯一神にしても、元々何も存在しない所から生み出されて神格化された存在と考えられる。
僕の存在によって八百万の神々が否定された今、世界中の神々さえ否定する方が正しいとすれば、何らかの奇跡的な所業は全て科学的に証明される事象と考えるべきでないのか?
僕が世界的にもたらした影響力は、あまりにも大きすぎる物となってしまったようである。

『ホツマツタエ』景行(けいこう)天皇53年に以下のように記してある。
昔の教えにこうあって、『人は神であり、神は人である。神の名はその神の業績をほめ讃(たた)えたものである。神は人として道を立てる。人は素直な心でホツマの教え(『ホツマツタエ』に記された数々の教え)のままに生きれば、死後に真(まこと)の神となる』と。
つまり亡くなった人間が神様で、神様が亡くなった人間であって、八百万の神々はおそらく実在した人物を神格化していて、それが過去でも現在でも変わりなく、ご先祖様が神様という考え方ができる。
僕のお祖父さんもお祖母さんも神様で、また僕自身も死んだら神様だということである。
ご先祖様を守護霊という言い方をするが、ある意味で幽霊という存在自体が神様で守護神ということも言える。

有神論も無神論もどちらも正しくて、実在した人物や万物を神格化する時、神様を信じる人も信じない人も全て真実・実である。
神様は人間の思いの表われで、存在すると信じれば存在するし、存在しないと信じれば存在しない。神様が存在するかしないかは、信じる人の思う心そのもので、神様の有無が矛盾する。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行

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