神様は存在するか!?
僕は神様の存在の有無を賛成や反対して、決して神様を信じないわけでなく、幼少から大人になっても神社にお参りして、日本神話の神々…八百万(やおよろず)の神々が実在した人物や物を神格化したと証明して、ずっと神様に固執して、無神論者でも有神論者でもある。
世界中で最も神様を知る人物は、僕以外に存在しなくて、世界中の神話の神様も関連性を示して、日本神話を完全解釈した功績が人類史上初めての神様の存在の証明で、論理的に神様の存在を証明した功績が偉大すぎて、決して誰も汚(けが)せない大異形である。
古代から現代まで日本人は、様々な人物や物を神格化して、神様の存在を証明したが、僕が人類史上初めて世界中の神話の一角である日本神話の神々を証明して、神様の存在を証明した事実が代わらない。
氏神(うじがみ)は、血縁的な関係の一族を神格化して祭って、一族の祖先神や守護神であって、古代日本からの独自の考え方で、日本神話の神々も実在した古代天皇家や古代豪族の人物を神格化して、氏神(うじがみ)と定義して間違いない。
現代日本人は、血縁的な関係の一族を氏神(うじがみ)に神格化して、昔から神様の存在を証明したが、日本神話の神々を証明して、神様の存在を証明した僕の功績が世界中の神話の神々を特定する「きっかけ」で、人類史上初めて神様の存在を証明したとも言える。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;3人の皇后を神格化)は、姉の天照大神(あまてらすおおみかみ;異母姉の倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)と弟の月読尊(つくよみのみこと;異母弟の景行(けいこう)天皇を神格化)を生んで、『三国志・魏志倭人伝』の卑弥呼(ひみこ)と男弟(だんてい)に当たる。
三貴子(みはしらのうずのみこ)の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)は、血筋が弟でなく、息子の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が正しくて、太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)殺しから、直系の系図から外(はず)された。
男系(父系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、一生独身で子孫がいなくて、男系男子天皇を否定して、女系(母系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;台与(とよ)の神功(じんぐう)皇后を神格化)の直系子孫が現在の皇室の女系男子天皇で、女系男子天皇を求めたのがもみじヶ丘病院に入院中の2021年11月9日である。
邪神の八岐大蛇(やまたのおろち)は、伊勢神宮横の五十鈴川(いすずがわ)の流れを神格化した蛇神の滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視した古代太陽神で、実在した物を神格化した証拠である。
出雲王国(物部(もののべ)氏)の直系子孫は、日本神話の雷神や火の神様や土の神様や水神や海神に神格化して、物部(もののべ)氏の養子の弟橘姫(おとたちばなひめ)と息子を火の神様に神格化せず、孫と曾孫を火の神様に神格化して、神名や神社などの名前の熊野(くまの)や可美(甘美;うまし)や謎(色;しこ)も物部(もののべ)氏に関係して、僕の研究成果が間違いない。
物部(もののべ)氏の栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)は、息子の初代・火明命(ほあかりのみこと;誉屋別皇子(ほむやわけのみこ)を神格化)と火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)、孫の火酢芹命(ほすせりのみこと;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を神格化)と火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)の4神が火の神様である。
出雲大社の大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)は、正妻が素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の一人娘の須勢理毘売(すせりひめ;布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化)で、息子が事代主神(ことしろぬしのかみ;盧濡渟(うかずくぬ)を神格化)である。
盧は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の祖先神・天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、古代天皇家の血筋が出雲王家(物部(もののべ)氏)と混血して、神々の血筋を信じて間違いないと考えられる。
建御名方神(たけみなかたのかみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)の息子だが、正しく求めると義父で、長野県の諏訪(すわ)大社の祭神で、日本武尊(やまとたけのみこと)が長野県とも関係する。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、出雲王国(物部(もののべ)氏)と深く関係して、日本神話が実話と証明して、神様を信じる人も信じない人も関係なくて、日本神話の史実・真実・事実を追求しただけである。
日本神話は、古代天皇家の実話を神話化して、考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)で証明して、僕の作った膨大な史料の全てを否定して、完全に嘘(うそ)や偽(いつわ)りとするなら、古代天皇家・・・現在の皇室の祖先神に対する侮辱(ぶじょく)で、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統・拡大解釈などを軽んじて、思い込みを否定することである。
日本神話の思い込みは、僕の膨大な史料から史実・真実・事実で、皇室そのものに喧嘩(けんか)をふっかけて、古代天皇家の歴史そのものを基本的に否定されたら、今の皇族でも怒って、僕も全てが否定されれば、怒るのが常識でないだろうか?
このように僕は、日本神話を完全解釈した証拠を示して、その史実・真実・事実を否定できず、僕の大偉業の凄(すさ)まじさを凡人(僕以外の人間)に理解できなくて、短ければ数秒から数分で、長ければ数日から数十年近く、日本神話の神々の領域…神域をひもとく僕の超感覚が誰にも理解できない未知の領域である。
僕が日本神話の神々の領域…神域をひもとく超感覚は、僕が日本に生まれて、幼少から神道や仏教やキリスト教など多くの宗教に触れて、死生観や宗教や超古代文明や古代信仰や禁忌(タブー)などに触れて、歴史研究で開花した超知識を研磨(けんま)して、人類史上最大最強最高の超天才として、蓄積した人生経験の結晶で、誰にもまねできない圧倒的な奇跡の結果である。
ギリシア神話は、オルフェウス神話と黄泉国下(よみのくにくだ)り神話との共通性、ゼウスの姉デメテルと弟ポセイドンとのアルカディア地方の一伝と天岩戸(あまのいわと)隠れ神話との共通性など、2つ以上のギリシア神話と日本神話が共通して、どちらも古代天皇家の先祖が神話を作って、それを忘れ去られて、現在の世界中の認識になったと考えられる。
朝鮮半島の神話は、朝鮮建国の祖の檀君(だんくん)神話が日向(ひうが;宮崎県)の天孫降臨神話との共通性、高句麗(こうくり)の朱蒙(しゅもう)神話も瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の神話との共通性、百済(くだら)の建国神話で温祚(おんそ)の出生が火火出見尊(ほほでみのみこと)の神話との共通性、高麗(こうらい)の建国の祖である王建(おうけん)も日本神話との共通性など、古代天皇家の先祖が古代朝鮮国家群の建国神話と共通性がある。
メキシコのトルテカ神話は、太陽神ケツァルコアトルが羽毛を持つ蛇神で、日本の古代太陽神も蛇神で、古代太陽神の「国照彦・天照(くにてるひこ・あまてる)」を文字(もじ)るとケツァルコアトルの呼び名になって、トルテカ文明の王家と古代天皇家の先祖が共通の祖先を持つと考えられる。
ギリシア神話や朝鮮半島の神話やトルテカ神話などは、古代天皇家の先祖が世界中を転々として、世界中の王家に隠れて、痕跡(こんせき)を残し続けた証拠で、共通性を示し続けて、隠し通せるはずもなかったと考えられる。
アインシュタイン博士は、哲学者で無神論者とも言われて、日本の八百万(やおよろず)の神々に近い考え方をして、僕も哲学者で、無神論者で有神論者でもあって、世界でただ一人の論理的に神様の存在を証明した人間で、僕の大偉業の功績が凄(すさ)まじすぎて、言葉で表現できないほどの出来事である。
キリスト教のヤハウェやイスラム教のアッラーなどの唯一神は、侵略や戦争などの血生臭(ちなまぐさ)い歴史を生み出して、多神教の日本神話が結果的に平和につながって、元々何も存在しない所から神様を生み出して、根本的な考え方が全く違って、根元(ねもと)を細かく追求しないが、考え方そのものが違うと考えられる。
『ホツマツタエ』景行(けいこう)天皇53年は、昔の教えにこうあって、『人は神であり、神は人である。神の名はその神の業績をほめ讃(たた)えたものである。神は人として道を立てる。人は素直な心でホツマの教え(『ホツマツタエ』に記す数々の教え)のままに生きれば、死後に真(まこと)の神となる』と記す。
つまり亡くなった人間は神様で、神様が亡くなった人間で、八百万(やおよろず)の神々が実在した人物を神格化して、それが過去でも現在でも変わりなく、ご先祖様を神様と考えて、僕の祖父母も神様で、また僕自身も死んだら神様で、ご先祖様を守護霊と言って、幽霊と言う存在自体が神様で守護神とも言える。
この考え方は、日本の神様の根本的な物で、神格化の基本の基本で、あまりにも単純明快な考え方で、『ホツマツタエ』の中に全部が語られて、現在までの神道の根幹が眠ると考えられる。
日本人の祖霊信仰は、遺伝的や肉体的や精神的につながる先祖を神様と崇(あが)めて、日本神話の神々が古代天皇家や古代豪族の実在の人物を神格化して、現代日本人の中に必ず日本神話の神々の子孫が存在して、先祖を祖先神に神格化する考え方そのものが祖霊信仰である。
自分の先祖を神格化する祖霊信仰は、日本神話や神道や祖霊信仰の本質的な考え方が日常の延長線上で、日本の建国(天皇家誕生)の西暦84年からずっと、国民(一般人)に基本的な考え方を根付かせて、徹底的な祖霊信仰を植え付ける民族的な大革命を起こしたと考えられる。
先祖を求める心や精神は、日本だけでなく世界中にあって、クロマニョン人やネアンデルタール人なども死者を葬礼して、ただ純粋に信じる神様や先祖に祈って、そこに宗教や色々な垣根が存在しなくて、自分の信じる者に対する無垢(むく)な思いである。
神道の霊魂の考え方は、霊魂を振り動かして活力を得る「魂振(みたまふり)」と人体から霊魂が離れようとするのを抑(おさ)える「鎮魂(みたましずめ)」の2つで、「魂振(みたまふり)」が新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)などと大きく関係して、鎮魂(みたましずめ)の力が離れた状態で、霊魂が飛び回って、祟(たた)りをもたらすのが怨霊(おんりょう)である。
神様の霊魂は、荒魂(あらみたま;荒(あら)ぶる魂)と和魂(にぎみたま;優しい平和的な魂)の2つに分かれて、神道で神様と霊魂が同義のような考え方で、霊魂の2面性や生きている霊魂の生霊(いきりょう)と死んだ霊魂の死霊(しりょう)などの霊魂も神様の考え方に影響する。
神道は、森羅万象(あらゆる物)に神様や霊魂が宿って、神様と霊魂が同義と錯覚(さっかく)して、日本の神様が世界中の神様と違って、神様と霊魂の立ち位置があまりに近すぎて、文化的や習慣的な違いや考え方を知ることが大切である。
生(い)き神は、人間の形でこの世に現われた神で、多くが教祖などを尊(とうと)んで呼んだりして、教祖が宗教の創始者のイエス・キリストやムハンマドや釈迦などを指して、神のような崇高(すうこう)な心を持つ徳の高い人のことで、生きたまま仏のように高徳な人物を生(い)き仏と言うが、生(い)き仏が僧侶のミイラの即身仏(そくしんぶつ)と別の意味である。
現人神(あらひとがみ)は、「この世に人間の姿で現われた神」を意味して、人間と同時に神様でもある天皇を指して、戦後の天皇の人間宣言で、公(おおやけ)の場所で現人神(あらひとがみ)の言葉を使わないが、今も天皇が現人神(あらひとがみ)を否定しないで、出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏も現人神(あらひとがみ)として、明治時代まで顕著(けんちょ)に尊敬して、日本神話の祖先神と同じ概念である。
ネパールに住む生きる女神クマリは、密教女神ヴァジラ・デーヴィーやヒンドゥー今日の女神ドゥルガーが宿って、ネパール王国の守護神の女神ターレジュやアルナプナルの生まれ変わりで、国内から選ばれた満月生まれの仏教徒の少女が初潮を迎えるまで、クマリの役割を務(つと)めて、50才を超えても初潮が来なくて、クマリを務(つと)めたこともある。
インド独立の父マハトマ・ガンジーは、死後に神格化されて、日本国内でも死後に神格化された人物神が多くいて、生前から現人神(あらひとがみ)の天皇や千家(せんげ)氏も同じ考え方で、死後に神格化した日本神話の神々・・・祖先神も同じ考え方である。
人間を神格化することは、生前も死後も同じ神格化で、深く考えなかっただけで、理論的に神格化・・・具体的な存在を神様として扱うことが証明されて、僕が理論的に証明した神様や神格化を否定するのが100%不可能である。
生(い)き神は、上記の神々などを指して、死に神が人を死に誘(さそ)う神や人に死ぬ気を起こさせる神で、生きている霊魂の生霊(いきりょう)と死んだ霊魂の死霊(しりょう)も神道の「魂振(みたまふり)」と「鎮魂(みたましずめ)」などで説明できて、それらを深く求めない。
神技(かみわざ)は、神様に関係した行為、神様の仕業(しわざ)やそのような超人的な技術や行為で、人間の超人的な技術や行為を指す神技(かみわざ)が大谷翔平や藤井聡太などの凄(すご)い実力を指すが、僕が日本神話の神々の領域・・・神域を完全解釈して、現代哲学理論「現象学」などを定義付けて、歴史上の偉人や自分の考え方などを分析したりして、神技(かみわざ)の中の神技(かみわざ)としか言えない。
僕が持つ神技(かみわざ)の中の神技(かみわざ)は、実在しない非実在説があるイエス・キリストや聖徳太子と違って、今を生きる僕の凄(すさ)まじい実力が圧倒的で、歴史上のどんな偉人よりも圧倒的すぎる超偉大な功績で、比較すること自体が勘違いも甚(はなはだ)だしい才能と気付くべきである。
僕の神域の完全解釈は、古代に実在した人物を何の神様に神格化して、その神様を色々と研究・分析して、日本神話の神々の系図や特徴などを詳細に史料作りして、誰も100%反論できない圧倒的な理論を作って、様々な神々の関連性や共通性などを見つけて、今まで頑張って来た僕の圧倒的な努力を他人(僕以外の人間)が簡単に理解できない。
僕は2004年5月8日に元伊勢籠(この)神社の海部光彦(あまべみつひこ)宮司と対話して、哲学の勉強を勧(すす)められて、現代哲学理論「現象学」を考え方の哲学と再定義して、僕の考え方のコペルニクス的転回「自己認識の再構築」を「現象学」で説明して、ノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士と僕の考え方がよく似ているとも分析した。
歴史上の偉人や自分の考え方などを分析したのは、高度な考え方のペルニクス的転回の地動説や進化論や相対性理論や僕の歴史研究の共通性などを研究・分析して、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチや発明王トーマス・エジソンや20世紀最高の天才アルバート・アインシュタイン博士などの超天才を分析して、無意識や自分の考え方などを分析して、神技(かみわざ)以外の言葉を思いつかない。
「お客様は神様」は、演歌歌手の三波春夫(みなみはるお)氏が「歌を披露(ひろう)する時に神前にある気持ちで歌を披露(ひろう)する」と言う意味で言った言葉で、他の馬鹿な凡人が「お店のお客様が神様のように接客されること」と勘違いして、傲慢(ごうまん)な態度のお客様を許せと誤解して、神様を本当に理解しない者に教えるため、2024年6月5日の午前4時半頃に記し終わった。
<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
戻る