『宋書』の解釈1
これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『宋書』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。
倭国在高麗東南大海中、世修貢職。
日本は高句麗(こうくり)の南東の大海中にあって、世々から貢物(みつぎもの)を収めてきた。
この記述は訳せる人間なら、誰でも同じ解釈になる。
高祖永初二年、詔曰、「倭讃万里修貢。遠誠宜甄、可賜除授。」
初代の武帝の永初2年(西暦421年;安康(あんこう)天皇26年)に天子が言うには、「日本の9代目・安康(あんこう)天皇が万里わざわざ貢物を収めた。遠方からの忠誠心をうまく表すため、官位を授け賜うだろう」と。
西暦421年(安康(あんこう)天皇26年)に初めて南朝宋王朝に遣使した倭王(わおう;古代の日本王)の讃(さん)は、定説だと応神(おうじん)天皇から履中(りちゅう)天皇の中にいるとするが間違いで、邪馬台国(大和国;やまとこく)時代を求めて、安康(あんこう)天皇しかあり得なくて、南朝宋王朝の遣使が遣宋使(けんそうし)で、遣隋使や遣唐使に基づいた僕の造語である。
安康(あんこう)天皇19年(西暦413年)に安康(あんこう)天皇は、東晋(とうしん)王朝の義煕(ぎき)9年(西暦413年)に倭王(わおう)の賛(さん)として、初めて遣使して、遣東晋使(けんとうしんし)で、遣隋使や遣唐使に基づいた僕の造語で、讃(さん)と賛(さん)が同一人物の安康(あんこう)天皇である。
太祖元嘉二年、讃、又遣司馬曹達奉表献方物。
3代目の文帝の元嘉2年(西暦425年;安康(あんこう)天皇31年)に安康(あんこう)天皇がまた使者(司馬曹達;人名不明)を派遣して、上書を奉って地方の産物を献上した。
西暦425年(安康(あんこう)天皇31年)の倭王(わおう)の讃(さん)は、安康(あんこう)天皇で間違いなく、邪馬台国(大和国;やまとこく)時代が古代天皇家であることを根本的に否定することになる。
安康(あんこう)天皇の在位期間は、関連のページで検索してほしくて、僕の自論の在位期間が絶対に誰も否定できない。
<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
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