『宋書』の解釈1


これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『宋書』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

倭国在高麗東南大海中、世修貢職。

日本は高句麗(こうくり)の南東の大海中にあって、世々から貢物(みつぎもの)を収めてきた。

この記述は訳せる人間なら、誰でも同じ解釈になる。

高祖永初二年、詔曰、「倭讃万里修貢。遠誠宜甄、可賜除授。」

初代の武帝の永初2年(西暦421年)に天子が言うには、「日本の9代目・安康(あんこう)天皇が万里わざわざ貢物を収めた。遠方からの忠誠心をうまく表すため、官位を授け賜うだろう」と。

西暦421年に初めて南朝宋王朝に遣使した倭王「讃」は、定説だと応神(おうじん)天皇から履中(りちゅう)天皇の中にいるとするが間違いで、邪馬台国時代が正されて今だと安康天皇しか考えられない。

太祖元嘉二年、讃、又遣司馬曹達奉表献方物。

3代目の文帝の元嘉2年(西暦425年)に安康天皇がまた使者(司馬曹達;人名不明)を派遣して、上書を奉って地方の産物を献上した。

安康天皇が倭王「讃」であることは間違いなく、邪馬台国時代が古代天皇家であることを根本的に否定することになる。

『宋書』を完全解釈できない馬鹿な歴史学会が倭の五王を混乱させて、正しく解釈できる僕には重要な役回りとなった。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行

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