『宋書』の解釈2


これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『宋書』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

讃死弟珍立。遣使貢献、自称使持節都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王、表求除正。詔除安東将軍倭国王。

安康天皇が崩御(天皇が亡くなること)して、弟の10代目・雄略(ゆうりゃく)天皇が即位した。(雄略天皇は)遣使して貢献して、使持節都督倭・百済(くだら)・新羅(しらぎ)・任那(みまな)・秦韓(しんかん)・慕韓(ぼかん)6国諸軍事・安東大将軍・倭国王を自称して、上表文を申し上げて任官するように求めた。天子が言われて安東将軍・倭国王に任官された。

倭王「珍」は雄略天皇で、定説の反正(はんぜい)天皇が間違いで、雄略天皇が六国の王に任官してほしいと求めたが、安東将軍・倭国王にとどまった。
仁徳(にんとく)天皇から武烈(ぶれつ)天皇までの在位期間を即位年干支法で求められず、倭の五王の天皇は在位期間を把握することが100%不可能である。

珍、又求除正倭隋等十三人、平西征虜冠軍輔國将軍号。詔竝聴。

雄略天皇はまた使者(倭隋、人名不明)たち13人を、平西・征虜・冠軍・輔國将軍の号に任官するように求めた。天子が言われて同じように認めた。

雄略天皇は使者を日本国内や朝鮮半島の将軍に任官してほしいと求めて、南朝宋王朝の皇帝が任官を認めたことになる。

この『宋書』の解釈は倭王「珍」に関わるもので、雄略天皇の在位期間が『宋書』の解釈から短いと分かって、「記紀」の記述など当てにならない。

<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行

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