『宋書』の解釈3
これは僕の最初の本『古代日本史への挑戦』から抜粋して、元々2007年9月に出版しているので多少の解釈変更もある。
『宋書』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。
二十年、倭国王済、遣使奉献。復以為安東将軍倭国王。
元嘉20年(西暦443年;清寧(せいねい)天皇14年)に日本王の清寧(せいねい)天皇は、遣使して奉献した。また安東将軍・倭国王に任官された。
倭王(わおう;古代の日本王)の珍(ちん)と倭王(わおう)の済(せい)の血縁関係は記されないが、倭王(わおう)の済(せい)が清寧(せいねい)天皇で間違いない。
西暦443年(清寧(せいねい)天皇14年)に清寧(せいねい)天皇は、安東将軍・倭国王に任官されて、倭の五王が朝鮮半島まで勢力を持つことに固執したと考えられる。
二十八年、加使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東将軍如故、并除所上二十三人軍郡。
元嘉28年(西暦451年;清寧(せいねい)天皇22年)に(清寧(せいねい)天皇は)、使持節都督倭・新羅(しらぎ)・任那(みまな)・加羅(から)・秦韓(しんかん)・慕韓(ぼかん)を加えて、安東将軍が元のままで、ならびに具申する23人を軍郡に任官した。
西暦451年(清寧(せいねい)天皇22年)に清寧(せいねい)天皇は、新しい称号の将軍に任官されて、具申した使者も任官された。
清寧(せいねい)天皇の在位期間は、関連のページで検索してほしくて、僕の自論の在位期間が絶対に誰も否定できない。
<参考文献>
『新訂 魏志倭人伝 他三篇―中国正史日本伝(1)―』
石原道博・編訳者 株式会社岩波書店・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
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