杉田丘陵
山口県下関市彦島の杉田丘陵は、参考文献『知の探究シリーズ 世界超古代文明の謎』を参考に記して、ペトログリフ(古代岩刻文字)で、楔形(くさびがた)文字(シュメール文字)や古代バビロニア文字や中国の文字や弥生時代の国内文字などで書いたと記すが、弥生時代の国内文字がいつ存在したか証明できなくて、漢字以前の古代文字の神代(しんだい)文字と考えられる。
メソポタミア文明の最初にいたシュメール人は、5500年前頃に現れて、4千年前頃に突然姿を消して、シュメール人がどんな民族で白人か黄色人種かも分からなくて、杉田丘陵のペトログリフ(古代岩刻文字)が4千年前頃から西暦300年ぐらいの時期に文字を刻んだと考えられて、古代天皇家の時期が確答する。
参考文献の読み下し文は、「最高の女神・大地母神の司祭者であり、日の神の子である日子王が神主(かんぬし)となり、七枝樹にかけて祈(いの)る」だが、僕の自論が「最高位の蛇神を祈(いの)り奉(たてまつ)る司祭の大地母神がいて、七枝樹でその神霊を司祭の王を務(つと)める神主(かんぬし)が王と大地母神を奉(たてまつ)る」と解釈して、古代天皇家に当てはめたのが無理矢理だった。
「最高位の蛇神」は、古代太陽神の天照神(あまてるかみ)の蛇体で、大物主神(おおものぬしのかみ)や八岐大蛇(やまたのおろち)や滝祭神(たきまつりのかみ)で、「それを祭る大地母神」が豊受気媛神(とようけひめのかみ)で、「最高位の蛇神と大地母神を祭る神主(かんぬし)」が倭姫命(やまとひめのみこと)で、文字を刻んだのが古代中国の後漢王朝の使者である祖別命(みおやわけのみこと)などと解釈した。
天照神(あまてるかみ)は蛇体で、西暦176年に伊勢神宮内宮を倭姫命(やまとひめのみこと)が祭って、西暦181年に祖別命(みおやわけのみこと)が古代中国に向けて旅立ったが、この頃の豊受姫神(とようけひめのかみ)が男神(おがみ)で、7世紀後半に女神に性別変更して、最初の著書を出版した僕が未熟だった証拠である。
その要因は、弥生時代の国内文字の言葉で、弥生時代後期後半の時期の古代天皇家に当てはめた可能性があって、僕の認識力がすごい証明でもあるが、拡大解釈の想像力の行きすぎと考えられる。
西暦181年から191年まで祖別命(みおやわけのみこと)は、古代中国の後漢王朝の使者で、古代中国で製紙法や漢字を学んで、帰国した史実(歴史上の事実)から考えると、それと同時期の伊勢神宮の祭神と巫女(みこ)を杉田丘陵のペトログリフ(古代岩刻文字)と無理矢理に結び付けて、完全な考えすぎで、ずっと前に下地を記して、これを2024年6月16日の午後11時頃に記した。
<参考文献>
『日本書紀(上)(下)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『完訳秀真伝(上巻)(下巻)』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
インターネットの不明サイトから少々拝借
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