素戔嗚尊(すさのおのみこと)

素戔嗚尊(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は『ホツマツタエ』によるとスサノヲやソサノヲと記されており、ソサノオと呼ばれているのが『ホツマツタエ』だけだと考えられる。
『ホツマツタエ』によるとヤマトタケはスサノヲの生まれ変わりとする思いがあってと書かれるが、ヤマトタケを神格化したのがスサノヲだから間違いでない。
『ホツマツタエ』と『日本書紀』によれば素戔嗚尊の親は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の夫婦か伊弉諾尊の片親だけとされるが、正しく求めると月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子で忍穂耳尊(おしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)の父親となっている。
天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)と月読尊(景行天皇を神格化)と素戔嗚尊(日本武尊を神格化)の3人姉弟を三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼んで、3人とも皇祖神(天皇家の祖先神)に当たるというのが僕の考えになるけれど、系図を見る限りまず間違いなく正しいと考えられる。
三貴子とも皇祖神に当たって実在の人物を神格化したはずだが、それが現在の天皇家の先祖として血筋がつながるとは限らない。
三貴子とも皇祖神に当たるのは僕の出した結論で、現在の天皇家でさえ考えられなかった答えだが、僕の著書2冊を宮内庁京都事務所に送ったりしたため今上(きんじょう)天皇(今の天皇陛下)もご存知かもしれない。

『ホツマツタエ』のスサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、母のイサナミから橘(たちばな)の木を意味する「ハナキネ(花杵)」と名付けられて、日本武尊(やまとたけのみこと)と不倫して正妻にした弟橘姫(おとたちばなひめ)を指して、橘(たちばな)が合致した。
弟橘姫(おとたちばなひめ)は、日本武尊(やまとたけのみこと)の父である景行(けいこう)天皇の妾(めかけ)で、日本武尊(やまとたけのみこと)と不倫をして正妻に迎えて、『ホツマツタエ』が7人の息子をもうけたと記して、「記紀」が息子を一人と記す。
アマテルカミ(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、ツキヨミ(景行(けいこう)天皇を神格化)と入れ替わって、その息子がスサノヲ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)である。

『日本書紀』に天照大神が神衣を織るために神聖な機殿(はたどの)に入るのを見て、素戔嗚尊がまだら毛の馬の皮をはいで御殿の屋根に穴をあけて投げ入れて、天照大神が大変に驚いて機織(はたおり)の梭(ひ)で身体をそこねられたと記される。
同じく『日本書紀』に素戔嗚尊の同様の行為で、稚日女尊(わかひるめのみこと)が驚いて機から落ちて持っていた梭で身体を傷つけて死んでしまったと記されている。
機殿が伊勢神宮で、稚日女尊が「尊」と付いていることから天照大神自身で、馬の死骸が素戔嗚尊自身にたとえると考えられる。
西暦251年に日本武尊は、父親の景行天皇の崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)と皇位継承権争いを知って大和に戻って、伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、太陽神に仕える巫女を殺すことが太陽神殺しとも言える愚行であった。
この後に怒った天照大神が天岩戸(あまのいわと)に隠れるのだが、その真相が日本武尊による暴挙だとは誰も予想できなかった。

素戔嗚尊が出雲と関わりがあるとされるのは、八岐大蛇(やまたのおろち)退治や素戔嗚尊の息子か子孫とされる出雲大社の祭神の大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)などの話があるからで、全て素戔嗚尊として神格化された日本武尊が重要な鍵を握っている。
素戔嗚尊の邪神である八岐大蛇退治は、正しく言うなら素戔嗚尊の方が邪神と言うべきで、八岐大蛇が神聖な古代太陽神に当たる。
『日本書紀』によると高天原(たかまがはら)で暴虐して天照大神を天岩戸に隠れさせて、天照大神が天岩戸から出てきた後に高天原を追放された素戔嗚尊は、出雲に降臨してそこで奇稲田姫(くしいなだひめ)を妻にすると言う条件で、頭と尾がそれぞれ8つある怪物の八岐大蛇を斬殺して、その尾から三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を入手したと記される。
八岐大蛇が川を表すのでないかという考え方があり、それに従って僕が求めると五十鈴川(いすずがわ)の流れを神格化した滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視した姿に当たるのでないかと考えられる。
伊勢皇大神宮内宮に五十鈴川の手洗い場があって、そのすぐ脇に石が安置されてそれを滝祭神としているが、古代には五十鈴川の流れそのものを滝祭神と呼んでいた。
『坂十仏参詣記』という書物に滝祭神の「神体は水底に御座あり、すなわち竜宮である」と記されて、京都府福知山市大江町の元伊勢皇大神社内宮に天龍・八岐龍神社という祠(ほこら)があり、八岐大蛇を龍と呼ぶように日本で竜が蛇を指すから、滝祭神も蛇の神様だと考えられる。
そうすると全てが日本武尊の行動を表して、高天原での暴虐が日本武尊の反乱、八岐大蛇退治が日本武尊の伊勢神宮襲撃、天照大神の天岩戸隠れが日本武尊の倭姫命の殺害、高天原追放が日本武尊の出雲王国への亡命だと解釈する。

八岐大蛇退治が伊勢神宮襲撃を示すと考えるのは、かつて草薙剣が伊勢神宮に納められていたとする書物の存在にある。
『倭姫命世記』によると「崇神(すじん)天皇6年秋9月に天照大神と草薙剣を倭国の笠縫邑(かさぬいむら;所在地不明)にうつした」と記されており、笠縫邑が所在地不明で最古の伊勢神宮遷宮に当たるのだが、その後も草薙剣は伊勢神宮遷宮と共に移動していって、現在の伊勢皇大神宮内宮の地に遷宮された時まで一緒だったと考えられる。
日本武尊が三種の神器の3つを入手して強行即位して日本武(やまとたけ)天皇となって、現在の三種の神器の一つである草薙剣も強奪して出雲王国に持ち去ったと考えられる。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)は、強行即位して太陽神殺しの大罪で、直系系図から外(はず)して、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』が「倭武天皇命(やまとたけのすめらみこと)」で、『阿波国風土記(あわのくにふどき)』が「倭健(やまとたけ)天皇」で、『住吉大社神代記』が「父天皇」と記して、特別扱いの皇子でなく、皇太子と天皇である。
倭武天皇命(やまとたけのすめらみこと)と倭健(やまとたけ)天皇と父天皇は、日本武尊(やまとたけのみこと)が異母兄弟の成務(せいむ)天皇と同一人物で、逆賊の日本武(やまとたけ)天皇の蛮行(ばんこう)を超天才の僕が暴(あば)いた。
八岐大蛇退治は『出雲国風土記』を始めとして出雲の古伝承に全く出てこないことから、大和朝廷内部での話として流出しなかったと考えるべきで、僕の考え方が正しい可能性を示唆してくれていると思う。

『古事記』に大国主神が須佐之男命(すさのおのみこと;日本武尊を神格化)を訪ねて根(ね)の堅州国(かたすくに)へ行って、そこで須佐之男命の娘の須勢理比売(すせりひめ;布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化)に迎えられて、与えられた試練をしている時に須佐之男命が寝ており、須勢理比売を連れて神宝の生太刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)と天詔琴(あめののりごと)を盗んで帰り、須勢理比売を正妻としたと記されている。
日本武尊が出雲国王の飯入根の所に亡命した時、十拳剣(とつかのつるぎ)か草薙剣(生太刀)と天鹿児弓(あめのかごゆみ)と天羽羽矢(あめのははや;生弓矢)と天瓊矛(あめのぬぼこ;天詔琴)を持っていたのだと考えられる。
『古事記』のこの神話は『ホツマツタエ』に記されていなくて、『古事記』の編者が日本神話の意味を理解していたということであって、『古事記』の編纂(へんさん)が僕らの考える以上に高度な知識があったと考えられる。
素戔嗚尊は謎に包まれた神様と捕らえられるが、僕からすると大罪をおかした日本武尊を神格化したとしか考えられず、トリックスターの素戔嗚尊と日本武尊にふさわしい末路である。

<参考文献>
『ホツマ辞典―漢字以前の世界へ―』
池田満・著者 ホツマ刊行会・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『アマテラスの誕生』
筑紫申真・著者 株式会社講談社・発行
『古代海部氏の系図<新版>』
金久与市・著者 株式会社学生社・発行
『古事記(上)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借

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