僕の考え方の正体


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

僕の考え方の正体は、僕が障害者で凡人以上の超頭脳を持った可能性が一因で、精神障害の自殺願望…統合失調症抑(よく)うつが判明して、発達障害のアスペルガー症候群(現在の自閉症スペクトラム障害)と学習障害と高次脳機能障害の可能性が考えられる。
障害者は凡人よりも天才的な才能を持っていて、歴史上でも現代でもはっきりした事実で、僕が障害者である事実が揺るがない。
僕はまだ判明していない隠れた障害がある可能性があって、僕の頭脳に十分に影響を与えたかもしれない。
これだけの障害を列挙できる可能性の僕は、自分が障害者として超頭脳に影響する可能性を捨てきれない。
しかし僕が特別な考え方を持てた理由は、障害者以外にも間違いなく存在する。

僕の考え方の正体は、僕の人生経験…成長過程で身に着けた考え方が大きく関わる。
僕は幼稚園年長組で恐竜に興味を持って、これが古代へのあこがれになって、小学校中学年で天文学を小学校高学年で考古学、中学校で超古代文明、高校生で祖父の死に目に会えず、命・魂・精神・戦争・平和を考えて、短大卒業後の半年くらいして歴史研究を始めて、現在まで歴史研究が続く。
この成長過程で超頭脳や古代天皇家の歴史の重みや生と死など様々なものにあこがれと恐怖を抱いて、知的な好奇心と探求心を持って研究してきたことが大きいと思う。

僕はアインシュタイン博士と同じ考え方のコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を持つが、アインシュタイン博士が19世紀の哲学者カントの定義したコペルニクス的転回の持ち主である。
しかし僕は自分でコペルニクス的転回を再定義して、全く違う考え方にたどり着いて、自らのコペルニクス的転回を分析して「自己認識の再構築」と名付けて、現代哲学理論「現象学」を解明したようである。
それは僕の才能が歴史研究…古代天皇家の歴史以外にも及ぶ可能性を示して、僕が20世紀最高の天才アインシュタイン博士以上の超天才と証明する可能性が高く、歴史以外に哲学にも才能を発揮したかもしれない。
コペルニクス的転回の考え方の根底には、僕が中学生頃に学んだ矛盾が下地になっていて、矛盾の発展上にコペルニクス的転回があって、僕が一から積み上げて生まれた考え方である。

僕は自分のやり方や考え方がノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士とよく似ていて、僕のホームページでも紹介するが、それが正しいか間違いか判断するのが第三者である。
僕はアインシュタイン博士以上の超天才で後継者的存在でもあって、ノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士とよく似たやり方や考え方をして、僕や中村修二博士のやり方や考え方をまねするのが有効と考えられる。
中村修二博士は孤立で僕が孤独と言い換えるが、孤独な環境で考えるやり方が非常識的な考え方を生み出して、「ひらめき(インスピレーション)」を強めてすばらしい考え方を生み出す。
これは中村修二博士のやり方や考え方を僕が分析して、公表したことの一部にすぎない。

僕は日本神話を完全解釈して史実を神話化したと結論付けて、海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)の神話が『日本書紀』仁徳(にんとく)天皇時代の大山守皇子(おおやまもりのみこ)の反乱を神話化して、それ以前の天皇時代が全ての日本神話の基になったと証明した。
僕は古史古伝(「記紀」に反する書物)『ホツマツタエ』の16章まで完全解釈して、日本神話が史実を神話化したと間違いなく証明した。
これは僕が日本神話の神々の領域…神域を深層心理などに働きかけて、無意識に求められる考え方を身に着けて、凡人や専門家を何段階も上回る超越した感覚である。
それは根本的に説明できない無意識の感覚で、長い人生経験の中で培(つちか)うしかないと考えられる。

神域を無意識に判断できる僕は、神々と人物の系図が偽装工作して作為的につないだことを無意識に気付いて、本当の正しい系図を作り直すが、これをシロウトの凡人に分からせられない。
また日本神話と古代天皇家の歴史も僕は、記述の違和感に気付いて作為的に作られたことを求めるが、これらの無意識の違和感を他人に説明できない。
これは僕が自然に身に付けた無意識の感覚で、それを無意識に分からせることができるはずもなく、歴史研究のシロウトの専門家や凡人が口の出せる問題でない。
長年の人生経験などで掴(つか)み取った僕の感覚は、同じように経験して積み上げるもので、世の中にただ一人の感覚の持ち主である僕を否定したら何も残らない。
何もできない無能の専門家と凡人は、僕という奇跡の超天才に一生勝てないことを知って、大人しく見物して学ぶことである。
僕は日本神話の神々だけを証明したわけでなく、世界中の神話や宗教の神々にも影響を与えて、人類規模で神様に影響を与えられる世界唯一の人間である。

僕の2冊目の著書で2002年10月頃に歴史研究を始めて、『日本書紀』の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の黄泉国(よみのくに)下り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱を合致させて、日本神話と史実の合致をさせた最初のコペルニクス的転回の発動を記す。
同じく2冊目の著書で2002年12月頃に黄泉国下り神話(狭穂彦王の反乱)は、邪馬台国(やまとこく;大和国)論争の特に倭国大乱に当たるのでないかと直観を働かせたと記す。
直観は人間の本能的な感覚で、一々説明できない未知の感覚で、日本神話と邪馬台国論争と史実を直感で結び付けたのが僕の本能的な感覚だった。
直観に頼るのは人間の本能で、それを事細かに説明できる人間などいなくて、僕の本能が史実・真実・事実をひもといた瞬間である。

他にも僕は非認知能力や思い込み、専門家を当てにしないこと、常識・固定観念・先入観・理屈・伝統、専門家(考古学者と歴史学者と歴史家)とメディアなど、様々な理由が僕を並外れた考え方に導いたことを証明した。
僕の考え方は天文学的数値の上に作り上げられた障害者や人生経験などの様々な理由で超頭脳になったと考えられて、これが答えだと簡単に示せるようなものでない。
ただ僕は現実的に現代人より何重もの超天才である理由を列挙して、障害者の僕が凡人よりすぐれた考え方ができて当然で、さらに自分で考え方を進化させてきた事実があって、僕に歴史研究で勝てる人間が存在しないことを認めるしかない。
僕は世界最高の天才と言われてもおかしくなくて、それを否定する材料がおそらくなくて、受け入れられて当たり前の事実である。

<参考文献>
『「バカになれる男が勝つ!」』
中村修二・著者 株式会社三笠書房・発行
インターネット

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