僕の考え方の正体


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

僕は保育園年長組で恐竜に興味を持って、これが古代へのあこがれで、小学校中学年で天文学を学んで、物理的に証明して、小学校高学年で考古学を学んで、物的証拠が大事で、中学校で超古代文明を学んで、神道の古代信仰や神代(しんだい)文字などを考えて、高校生で祖父の死に目に会えず、命・魂・精神・戦争・平和を考えて、短大卒業後の半年で歴史研究を始めて、現在まで歴史研究が続く。
これに加えて僕は、日本に生まれて、幼少から神道の神社に参拝して、仏教の葬式をして、キリスト教のクリスマスなどを祝って、多神教の神道やギリシア神話、一神教のキリスト教やイスラム教などもいつ頃からか調べて、神様を深く考える土壌を作った。
このような成長過程は、僕が神様をいつの間にか考える土壌になって、知的な好奇心と探求心を成長させて、僕の超頭脳や歴史研究の根幹や死生観などにつながって、自殺未遂も繰り返して、多くの人生経験が僕の考え方を育てて、2023年2月24日に修正した。

僕の障害は、精神障害の自殺願望…統合失調症抑(とうごうしっちょうしょうよく)うつが判明して、判明していない発達障害や高次脳機能障害などの可能性があって、障害者が凡人よりも天才的な才能を持つ実例があって、僕も障害者だから超天才になったのかもしれない。
僕の考え方は、元々幼少から凡人(僕以外の人間)と全く一緒だが、いつからか人生経験が現実離れして、歴史研究の始まりで神域に触れて、研究成果の奇跡の連続で、考え方の限界を突破し続けて、凡人(僕以外の人間)を超越した超天才になった。
この簡単な表現は、あまりに短く片付けるが、本当に半生の22年近い人生で、初めての歴史研究の始まりから、さらに20年以上の歴史研究の経験値が積み上げられて、初めて語ることのできた奇跡の結晶で、誰にも経験できない人生の集大成で、二度と生まれない超感覚である。

僕の考え方の正体は、「記紀」を読んでの認識力を3段階に分けられて、これを明確に区別して、僕がいかに特別な神技(かみわざ)か教えよう。
凡人(僕以外の人間)の第1段階は、「記紀」を読んで、卑弥呼(ひみこ)が倭迹迹日百襲姫命(やまとととひもももそひめのみこと)で、日本武尊(やまとたけのみこと)が4世紀前半で、神功(じんぐう)皇后が4世紀後半で、倭(わ)の五王が応神(おうじん)天皇から雄略(ゆうりゃく)天皇と普通に考えて、異論でも邪馬台国(大和国;やまとこく)論争と倭(わ)の五王の上辺(うわべ)しか求められなくて、しょせんこのレベルである。
第2段階の僕の自論は、「記紀」を凡人(僕以外の人間)でも考古学(遺跡・遺物)と歴史学(歴史書解釈)を合致して、理解する認識力を持てるが、この2段階までが限度のレベルである。
僕の神技(かみわざ)の第3段階は、日本神話の神々の領域…神域を求めて、「記紀」の神様を把握した神技(かみわざ)で、自然に全ての神々を数秒から数分程度で理解して、求められてしまう僕のためだけに生み出された御技(みわざ)である。
人間の認識力の格差は、超天才の僕と凡人(僕以外の人間)の3段階の違う考え方で説明できて、世の中がどんなに不公平でも、僕の神技(かみわざ)が現実と言う非常識である。
神様を全く知らない凡人(僕以外の人間)は、何重にも神様をとことん知る僕に質問しても、全く理解できなくて当然で、神様の考え方の決定的な経験値の差で、それを全く理解しない無知である。

僕は日本神話の神々の領域…神域を無意識に深層心理などに働きかけて、凡人(僕以外の人間)を何段階も上回る超越した感覚で、それが根本的に説明できない未知の感覚で、長い人生経験の中で育てるしかないが、どんなに訓練しても一生身に付かないかもしれない。
神域を無意識に判断できる僕は、神々と人物の系図を偽装工作して、作為的につないだことを無意識に気付いて、本当の正しい系図を作り直して、この感覚を他人に説明できない。
また僕は、日本神話と古代天皇家の歴史も違和感に気付いて、作為的に作られたことを求めて、これらの感覚も他人に説明できない。
これは僕が自然に身に付けた超感覚で、それを意識的に分析できるはずもなく、長年の人生経験などで掴(つか)み取った僕の感覚で、無意識に経験して積み上げた物で、世の中にただ一人の感覚の僕を求められない。
何もできない無能な凡人(僕以外の人間)は、僕と言う奇跡の超天才に一生勝てなくて、日本神話の神々を証明できて、神々の領域…神域を求められない凡人(僕以外の人間)が僕と同じ土俵に立つ資格がない。

僕は日本神話を完全解釈して、史実を神話化したと結論付けて、古史古伝(こしこでん;「記紀」に反する書物)『ホツマツタエ』の16章まで完全解釈して、漢字以前の古代文字の神代(しんだい)文字を証明して、禁忌(タブー)の古史古伝(こしこでん)と神代(しんだい)文字を求めた。
僕の歴史研究は、禁忌(タブー)との戦いで、「記紀」の賛否両論や死生観、超古代文明や幽霊や未確認生物、禁忌(タブー)と言われる物を考えることが僕の考え方を拡大したと考えられる。
禁忌(タブー)は、一般的に触れない忌避する物で、悪い物が人間の勝手に作り上げたイメージで、その中に圧倒的な新しい発見があって、僕の人生経験などが実例で、理解が決して悪いことでない。

僕は2002年10月頃に歴史研究を始めて、「記紀」の記述に違和感を覚えて、『日本書紀』の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)が合致して、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争が合致して、歴史研究の最初の直感だった。
直感は、人間の本能的な感覚で、一々説明できない未知の感覚で、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争を結び付けた僕の本能的な感覚で、それを他人に説明できなくて、直感に頼るのが人間の本能で、これが歴史研究の史実・真実・事実の全てをひもといた。

歴史研究を2002年10頃に始めた僕は、2003年3月頃に神名と人名の末名の「尊(みこと)」と「命(みこと)」の違いに気付いて、4月頃に系図の祖先化を求めて、6月頃に邪馬台国(やまとこく;大和国)論争の自論を作って、7月頃に即位年干支法(そくいねんかんしほう)を求めて、8月頃に倭(わ)の五王の自論を作って、1年足らずで「記紀」の偽装工作の大半を求めて、知らず知らずのうちに偉業を起こした。
僕が歴史研究した1年足らずは、ノートパソコンで遊びながら片手間でやったが、今思えばどれほど僕が異常なレベルの超天才的な恐ろしさで、自分の偉大さを知らなくて、どんな日々だったかも思い出せない。
僕の異常なレベルの考え方は、これから考古学がどれだけ偉大な発見をしても無理で、数百年レベルで歴史学の考え方が成長しても無理で、わずか20年の僕の歴史研究で、僕の考え方の急成長がどんな歴史上の超天才よりもすさまじく、僕の偉大さを讃(たた)える表現が思い浮かばない。
僕の歴史研究は、まさに遊び感覚で、誰にも邪魔されず、強要しない環境で生まれて、幼少から自由に学んだ中で僕の超感性が育って、「好きこそ物の上手なれ」の結果である。
僕は学校教育が常識で仕方なく受けて、元々仕事の命令が嫌なようで働かず、自由にやりたい放題するのが好きで、人生経験も歴史研究もそんな環境で、奇跡の超知識(超感覚)が生まれた。
僕は人生経験で、色々な分野に興味を持って、日本神話の神々の領域…神域に及ぶ考え方を作って、歴史研究で数日から数ヶ月で、新しい発見を繰り返して、自分の好きなことを突拍子もなく簡単にやめたら、歴史研究の大成功がなく、僕の成果が凡人(僕以外の人間)の頭脳レベルで何百年以上も求められず、僕の体力が40才すぎで衰(おとろ)えを感じて、考え方がいまだに発展し続ける。

アインシュタイン博士は、19世紀の哲学者カントの定義したコペルニクス的転回の持ち主で、僕が地動説と進化論と相対性理論と僕の歴史研究を再分析して、僕が自分でコペルニクス的転回を再定義して、全く違う考え方にたどり着いて、自(みずか)らのコペルニクス的転回「自己認識の再構築」を分析して、現代哲学理論「現象学」を証明した。
それは僕の才能が哲学を証明して、歴史研究以外もできる可能性を示して、僕が20世紀最高の天才アインシュタイン博士以上の超天才と証明して、歴史や哲学の他にも才能を発揮するかもしれない。
コペルニクス的転回の考え方は、根底に僕が中学生頃に学んだ矛盾が下地で、矛盾の発展上にコペルニクス的転回があって、僕が一から人生経験を積み上げて、コペルニクス的転回を再定義して、学校教育の検討にも役立つかもしれない。

2004年5月8日に僕は、京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の海部光彦(あまべみつひこ)宮司に僕に哲学を勉強したらどうかと言われて、後日に参考文献『この一冊で「哲学」がわかる!』を購入して、後に自分の考え方を自己分析して、コペルニクス的展開(非常識な考え方の集合体)「自己認識の再構築」を発見して、考え方の哲学の現代哲学理論「現象学」を証明して、「思い込み(拡大解釈)」が人間の考え方の究極と考えられる。
現代哲学理論「現象学」は、1+1=2でも「思い込み(拡大解釈)」で判断して、考え方の二択(正しいか間違いか)が「確信(固く信じて疑わないこと)」で、「確信」も「思い込み(拡大解釈)」で、人間の考え方の全てが「思い込み(拡大解釈)」の結論になる。
人間の考え方は、現代哲学理論「現象学」で結論付けられて、考え方を証明した僕の功績が非常に大きい。

僕のやり方や考え方は、ノーベル物理学賞受賞者の中村修二博士とよく似て、僕のホームページでも紹介して、それが正しいか間違いか判断して、僕がアインシュタイン博士以上の超天才で後継者的存在でもあって、僕や中村修二博士が孤立や孤独と書き換えて、孤独な環境で、非常識的な考え方を生み出して、「ひらめき(インスピレーション)」を強めて、すばらしい考え方を生み出して、これを僕が分析して、公表したことの一部である。
考え方を定義した僕は、人間の思考パターンを分析して、誰もできなかったことで、人類の永遠のテーマと言える考え方を示して、これほどの偉業を分析して、考え方の難しさを終わらせて、あまりに簡単な問題に変えるかもしれなくて、僕の偉大さが伝わりにくいが、求める方法が後世に役立つ。

神様と考え方は、人間の考え方の2大テーマで、それをどちらとも僕が証明して、日本神話の神々が実在の人物と物を神格化して、それを圧倒的な論理的根拠を証明して、神様を論理的に定義付けた僕が人類史上初めての神様を最も知る人間で、歴史研究で2002年10頃に初めて神様に触れて、2004年5月頃に哲学を始めて、僕の偉大すぎる功績が誰にも汚(けが)せない。

高校の修学旅行で僕は、祖父の死に目に会えなくて、その後に命・魂・精神・戦争・平和などの分野を考えて、神道や仏教などの宗教の概念を学んで、僕が人間的に大きく成長したが、自殺願望を生み出して、リストカット(自傷行為)をして、人間が死生観に触れることが僕のように自殺願望を生むこともあるが、人間的に成長するのになくてはならない土壌である。
僕は日本神話を完全解釈して、神道などの宗教的概念を理解して、人間の死生観が個人の成長に良くも悪くも影響しやすく、諸刃(もろは)の剣で危険だが、絶対に生きていたら人の生死を見て、人として何を得るのか、先人(亡くなった人々)の残す最大の人生訓かもしれない。

僕は多くの情報を集めて、常に自分を進化させ続けて、成長がとどまることを知らず、どこまでも成長を続ける無限大の成果を残して、誰にも負けない自分の意思を固く守って、他人に教えていく役目を担(にな)いたい。

<参考文献>
『「バカになれる男が勝つ!」』
中村修二・著者 株式会社三笠書房・発行
『この一冊で「哲学」がわかる!』
白取春彦・著者 株式会社三笠書房・発行
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