高田媛(たかだひめ)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

実在した3代目・景行(けいこう)天皇の妃の高田媛(たかだひめ)は、父を阿部氏木事(あべうじのこごと)で、息子を武虎別皇子(たけこわけのみこ)とする。
孝元(こうげん)天皇の妃の欝色謎命(うつしこめのみこと)は、兄を物部(もののべ)氏の欝色雄命(うつしこおのみこと)で、長男を阿部氏の始祖の大彦命(おおびこのみこと)で、次男を少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)とする。
欝色謎命(うつしこめのみこと)と姪(めい)の伊香色謎命(いかがしこめのみこと)は、名前が互いに「色(しこ)」が共通して、出雲王家(物部(もののべ)氏)の根拠と考えられる。
景行(けいこう)天皇と高田媛(たかだひめ)は、孝元(こうげん)天皇と欝色謎命(うつしこめのみこと)に祖先化して、系図が作られたのが明白で、実在系譜が簡単に求められて、2022年7月22日にまとめ直した。

2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)は、垂仁(すいにん)天皇7年(西暦158年)までに亡くなって、娘の高田媛(たかだひめ)が本名(ほんみょう)と考えられて、垂仁(すいにん)天皇20年真冬(西暦170年12月から171年2月頃)に生まれた景行(けいこう)天皇の妃で、10才以上の年上女房である。
狭穂彦王(さほひこのみこ)の娘の高田媛(たかだひめ)は、景行(けいこう)天皇を夫で、長男を武虎別皇子(たけこわけのみこ)で、次男を少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)で、狭穂彦王(さほひこのみこ)が阿部氏木事(あべうじのこごと)で、夫の景行(けいこう)天皇が孝元(こうげん)天皇で、兄の野見宿禰(のみのすくね)を欝色雄命(うつしこおのみこと)で、息子の武虎別皇子(たけこわけのみこ)を大彦命(おおびこのみこと)に祖先化した。
息子の武虎別皇子(たけこわけのみこ)は、妻が不明で、長女が神功(じんぐう)皇后で、長男が武渟川別(たけぬなかわわけ)で、次男が比古伊那許士別命(ひこいなこしわけのみこと)で、次女が虚空津比売命(そらつひめのみこと)である。
高田媛(たかだひめ)は、早ければ西暦180年代に景行(けいこう)天皇と結婚して、孫娘の神功(じんぐう)皇后が228年頃に生まれたと考えられる。
高田媛(たかだひめ)の血筋は、出雲王国(物部(もののべ)氏)の系譜が詳細に判明して、邪馬台国(大和国;やまとこく)と深く関係する。

昔に僕は、高田媛(たかだひめ)が狭穂彦王(さほひこのみこ)でなく、息子の野見宿禰(のみのすくね)の娘と考えて、景行(けいこう)天皇と高田媛(たかだひめ)の年齢差に違和感を抱(いだ)いたが、『ホツマツタエ』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話で、軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)の娘の菊桐姫(ここりひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)を求めて、僕の感じた違和感を払拭(ふっしょく)した。

菊桐姫(ここりひめ)は、別名を「きくきりひめ」や「くくりひめ」で、言葉を聞く切り姫で、菊桐姫(きくきりひめ)と呼んで、白山姫(しらやまひめ)の別名もある。
6代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と菊桐姫(ここりひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)の子供は、7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)と少彦名命(すくなひこなのみこと;少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)を神格化)で、神様の少彦名命(すくなひこなのみこと)と人物の少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)の名前や特徴などが合致する。
白山神(しらやまかみ)は、6代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と菊桐姫(ここりひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)の夫婦を指して、石川県と岐阜県にまたがる霊山の白山(はくさん)を御神体山で、白山神(しらやまかみ)の夫婦神(めおとがみ)が死後にネノクニ(北陸)の統治者になって、ネノクニが後世に地獄の根(ね)の国になった。

7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)は、妻が不明で、栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)と太玉命(ふとだまのみこと;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)と三穂津姫(みほつひめ;誰を神格化したか不明)が子供である。
三穂津姫(みほつひめ)は、2代目・大物主神(おおものぬしのかみ)の事代主神(ことしろぬしのかみ;濡渟(うかずくぬ)を神格化)の妻で、出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の直系先祖と考えられる。
は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
藤原氏の祖先神の興台産霊(こごとむすび;誰を神格化したか不明)は、経津主神(ふつぬしのかみ;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)の妹の浅加姫(あさかひめ;誰を神格化したか不明)を妻にして、三穂津姫(みほつひめ)か浅加姫(あさかひめ)が虚空津比売命(そらつひめのみこと)を神格化したと考えられる。
『古事記』で神功(じんぐう)皇后の妹は、虚空津比売命(そらつひめのみこと)だけで、他に妹が記されず、確実に三穂津姫(みほつひめ)か浅加姫(あさかひめ)に神格化したと考えられる。
菊桐姫(ここりひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)の系図は、ここまで求めて、確実に正しいと証明した。

『ホツマツタエ』で天照神(あまてるかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と入れ替わって、妻の速秋津姫秋子(はやあきつひめあきこ;高田媛(たかだひめ)を神格化)が天津彦根命(あまつひこねのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)を生んで、諱(いみな)が直杵(ただきね)である。
天照神(あまてるかみ)のもう一人の妻である豊姫紋子(とよひめあやこ;高田媛(たかだひめ)を神格化)は、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと;少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)を神格化)を生んで、諱(いみな)が額直(ぬかただ)である。
2神の諱(いみな)は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)が直杵(ただきね)で、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)が額直(ぬかただ)で、実の兄弟だから合致して、神様の特徴なども共通する。
豊姫紋子(とよひめあやこ;高田媛(たかだひめ)を神格化)は、邪馬台国(大和国;やまとこく)論争の台与(とよ)が孫娘の神功(じんぐう)皇后で、神功(じんぐう)皇后の隠された名前が豊姫命(とよひめのみこと;台与卑弥呼:とよひみこ)である。

 高田媛(たかだひめ)は、出雲王家(物部(もののべ)氏)の血筋だが、出雲を感じさせる特徴が捕らえにくくて、難しい存在でも超天才の僕なら簡単に求められる。
「記紀」と『ホツマツタエ』は、物部(もののべ)氏を隠すために徹底的な偽装工作をして、そう簡単に打ち破れない鉄壁を施(ほどこ)したが、日本神話も邪馬台国(大和国;やまとこく)論争も僕の考え方なら簡単で、完全解明など朝飯前である。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼編・著者 八幡書店・発行
『古事記(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
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