『竹内文書(たけのうちもんじょ)』

はじめに
僕は2015年8月13日に参考文献『正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の謎』を購入して、それを参考に僕の自論を展開して、まだ常識・固定観念・先入観・理屈・伝統に捕らわれることに気付いた。
『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、一般的に古史古伝(「記紀」に反する書物)で、茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』と正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』に分かれて、窓口や担当が違うような物で、明確にどちらが元祖と言えなくて、竹内(たけうち)氏の宗家や分家が多くあって、両方が本物の歴史書と考えられるが、どちらも僕が間違いを指摘した。
武虎別皇子(たけこわけのみこ)の子孫で陰陽師の安倍晴明は、陰陽師の宗家と木火土金水(もっかどごんすい)の6家に分かれるらしいが、それぞれの得意分野を各家々が継ぐようで、ラーメン屋の元祖がここだと騒ぐのと一緒で、茨城と正統の『竹内文書(たけのうちもんじょ)』が喧嘩(けんか)する必要がないらしい。
景行(けいこう)天皇45年11月15日(西暦235年12月中旬頃)生まれの初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)は、直系子孫の竹内(たけうち)氏が歴代の武内宿禰(たけのうちのすくね)の名前を襲名して、73代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が2020年1月13日に亡くなって、正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の分析が僕の歴史研究で必要になった。
竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が公表した正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、一部の口伝(くでん;言葉で伝えること)と本の記録があって、ユーチューブのコヤッキースタジオで、『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の原本を写真で紹介して、完全な事実と考えられて、以降に分析した内容を記す。
ユーチューブのコヤッキースタジオの『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、2023年6月10日に投稿されて、6月13日か14日に僕が初めて見て、2つ目と3つ目を一気にいつ見たか不明で、2024年5月20日の午後9時半頃に3回目を見て、全体の記述を修正し終わった。

『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の古さ
茨城と正統の『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、共に日本最古の伝承を含んで、日本の建国(天皇家誕生)の崇神(すじん)天皇元年(西暦84年)を上回るかもしれないが、日本に漢字と紙が景行(けいこう)天皇元年(西暦191年)に伝わって、紙に記録され始めて、6世紀から7世紀中に成立した『ホツマツタヱ』より古い記録と僕が証明したのも含む。
しかし『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、日本の建国(天皇家誕生)以前の弥生時代中期よりも前から、現代の竹内(たけうち)氏までの家系図も伝えるため、日本最古の書物と名乗れなくて、天皇家誕生以前から現代までの情報を加筆して、時代区分のできない書物で、歴史書と分類できるかも疑問の余地があって、これを2024年6月28日の午前10時頃に記した。

竹内(たけうち)氏について
崇神(すじん)天皇の実兄の彦坐王(ひこいますのみこ)は、孝昭(こうしょう)天皇45年5月15日(西暦45年6月中旬頃)に生まれて、出雲王国(物部(もののべ)氏)の建国を崇神(すじん)天皇12年3月11日(西暦95年4月中旬頃)に崇神(すじん)天皇に報告して、彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫を全て古代太陽神氏族の和珥(わに)氏と定義付けた。
僕は物部(もののべ)氏と海部(あまべ)氏を研究して、両氏族が和珥(わに)氏に属して、統一名にすることを決めて、4代目出雲国王の物部十市根(もののべのといちね)の子孫が物部(もののべ)氏の宗家の物部守屋(もののべのもりや)まで続いて、別の系譜が竹内(たけうち)氏と出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の共通する近縁氏族で、物部(もののべ)氏の宗家よりも近縁氏族と系図で特定した。
僕の研究結果は、物部(もののべ)氏と海部(あまべ)氏を総合して和珥(わに)氏と証明したが、僕の定義通りに彦坐王(ひこいますのみこ)の子孫を全て和珥(わに)氏と定義付けるか、議論の余地があって、他人の意見を聞きたい。

4代目出雲国王の野見宿禰(のみのすくね)は、母の花橘(はなとちばな)が生んだ弟橘姫(おとたちばなひめ)を養子にして、弟橘姫(おとたちばなひめ)が景行(けいこう)天皇の妾(めかけ)になって、景行(けいこう)天皇16年1月3日(西暦206年2月上旬頃)に九州で、神櫛皇子(かんぐしのみこ)を生んで、6代目出雲国王の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)と同一人物である。
神櫛皇子(かんぐしのみこ)は、6代目出雲国王の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)で、物部(もののべ)氏の女性(名前が不明)と結婚して、7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)を生んで、子孫が千家(せんげ)氏である。
神櫛皇子(かんぐしのみこ)は、物部(もののべ)氏の女性(飯入根(いいいりね)の実母か別人か不明で、名前も不明)と結婚して、景行(けいこう)天皇30年(西暦220年頃)に屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)を生んだ。
屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)は、阿備柏原(あびかしわばら;和歌山市相坂・松原の付近か?)で、紀(き)氏(和歌山県の統治者の一族)の菟道彦(うじひこ)の妹である倭影媛(やまとかげひめ)と結婚して、景行(けいこう)天皇45年11月15日(西暦235年12月中旬頃)に初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を生んで、直系子孫が竹内(たけうち)氏である。
つまり神櫛皇子(かんぐしのみこ)は、息子の飯入根(いいいりね)と屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)を生んで、母親が同じか別人か分からないが、物部(もののべ)氏の宗家よりも系図で、千家(せんげ)氏と竹内(たけうち)氏が近縁と証明できた。

初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の曾曾曾孫の平群真鳥(へぐりのまとり)は、竹内真鳥(たけうちのまとり)で、平群(へぐり)氏が竹内(たけうち)氏と同一氏族で、武烈(ぶれつ)天皇24年12月(西暦499年1月頃)に平群真鳥(へぐりのまとり)が戦死して、「記紀」が平群(へぐり)氏と竹内(たけうち)氏を別の氏族とした。
8代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内真鳥(たけうちのまとり)の子孫は、73代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が竹内(たけうち)氏の神主家(神職)で、武内宿禰(たけのうちのすくね)の名前を襲名して、他にも武術を伝える家柄や和歌の家柄や職人の家柄や『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を伝える家柄など、竹内(たけうち)氏の分家が多くて、各家々が正統性を主張しても否定できない。
歴代の武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫は、紀(き)氏や葛城(かつらぎ)氏や平群(へぐり)氏や巨勢(こせ)氏や蘇我(そが)氏で、「記紀」で初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)一人の子供から多くの氏族が出て混乱したが、先祖と子孫の何人もの武内宿禰(たけのうちのすくね)から分家したのが各氏族で、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)が物部(もののべ)氏と同じく子孫が多い理由である。
蘇我(そが)氏は、『古事記』で武内宿禰(たけのうちのすくね)の息子の蘇我石川宿禰(そがのいしかわのすくね)を記して、『日本書紀』で記さず、信憑性(しんぴょうせい)が疑われるが、正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の記述に正解があって、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫が蘇我(そが)氏と証明されるだろう。

初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫の竹内(たけうち)氏は、極秘伝承の『竹内文書(たけのうちもんじょ)』などの記録を厳重に守る家柄や武内宿禰(たけのうちのすくね)の名前を襲名する神主家(神職)の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏など多くの分家があって、僕の歴史研究の公表で、竹内(たけうち)氏が表舞台に出るはずで、非常に重大な役目や意味を持つ。

天の巻(まき)と地の巻(まき)と人の巻(まき)など
古文書の『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は一つでなく、他にも多くの神宝や伝承や記録があって、それらをまとめて竹内(たけうち)氏の神職たちが「竹内(たけのうち)文献」と呼んで、古代の天皇たちが時代ごとに残した神宝なども含めて、「竹内(たけのうち)文献」と総称して、現代人が知るのが天の巻(まき)と地の巻(まき)と人の巻(まき)の3つと考えられる。
戦前に「竹内(たけのうち)文献」の数百点は、靖国神社の遊就館(ゆうしゅうかん)に預けた記録があるが、神宝のある場所を神職が知っていても、命がけで守る物が多くあって、場所を絶対に口外できなくて、預けた神宝が戦争の空襲で焼けたか、空襲のどさくさで、日本国政府が没収して、ごまかしたか不明である。
その後に茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を伝える北茨城市の皇祖皇太(こうそこうたい)神宮は、戦時中か戦後すぐかふめいだが、宮内庁や東久邇宮(ひがしくにのみや)様が何度も参拝して、神代(しんだい)文字を研究されたと言う。

神代(しんだい)文字は、神様や天皇(すめらみこと)が使ったエネルギー(力)がある文字で、神宝に彫(ほ)ったり神社のお札(ふだ)などに書いたりして、竹内(たけうち)氏が現代人の知る数の数十倍から数百倍の神代(しんだい)文字を残して、カタカムナ文字や象形文字やモールス信号のような物まであって、文字を読むための対比表もあって、今も秘伝を伝える。
カタカムナ文字は、丸と和歌が書いてあって、神職なら気付くと思われるが、術事の内容が全て書かれて、よく見て考えれば良くて、神代(しんだい)文字そのものが強いエネルギー(力)があって、カタカムナ文字の中に術事の内容のヒントが全て書いてあるらしい。
神代(しんだい)文字は、言霊(ことだま)と音霊(おとだま)と色霊(いろだま)数霊(かずだま)の4種類に分かれて、言霊(ことだま)が言葉のエネルギー(力)で、音霊(おとだま)が周波数で、色霊(いろだま)が波動で、数霊(かずだま)が規則を意味する感じで、全部が合わさったのが神代(しんだい)文字で、宇宙的なエネルギー(力)と関係すると考えられる。
神代(しんだい)文字は、ワザと使わなくなって、漢字より前に文字がなかったと断言して、賛否両論で混乱させて、僕がホツマ文字を古代文字と証明して、竹内(たけうち)氏に伝わる神代(しんだい)文字が公表されるかも知れない。

茨城と正統の『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、違いがあるが天の巻(まき)と地の巻(まき)と人の巻(まき)の3つにまとめられて、それぞれが圧倒的な量の記述を何十万ページにもなる内容で、簡単に調べて伝えられなくて、極秘伝承も多く含まれる。
天の巻(まき)は、宇宙開闢(かいびゃく)から惑星や地球や神様の歴史を記して、宇宙の始まりが(無)から存在する物(有)が生まれて、宇宙の始まりの神様が神名に目一(めひと)つで、一(ひと)つ目小僧を思わせて、神職が神様を体に降臨させるために読む祝詞(のりと)が惑星の名前の神名が多く書かれている。
宇宙開闢(かいびゃく;宇宙の始まり)は、存在しない物(無)から存在する物(有)が生まれて、人や文字がなくて、人間が考えた作業で、宇宙の意識体とつながる人や出来事や何かで、まとめた段階で人が記録して、原子や分子の結晶と雪の結晶などが神代(しんだい)文字とつながって、宇宙の奇跡が残した象形文字のような『竹内文書(たけのうちもんじょ)』とつながると考えられる。
量子力学は、無いと有るが同時に存在して、深いようで浅くて、浅いようで深くて、神技(かみわざ)としか思えない奇跡で、量子力学的な存在を神様と言うのか、どのように起きた奇跡を神様と考えると、神社に行かない人も神様が分かりやすいかも知れない。
このような考え方は、何か宇宙の共感(気が合うこと)を感じて、神様や神技(かみわざ)のような物と考えて、『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の理解や日本人の感覚だろう。

地の巻(まき)は、オカルト好きのムー大陸やアトランティス大陸など地球の地上に関係する歴史を記して、茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』のミヨイ大陸とタミアラ大陸が海底に沈没した伝承などがあって、人の巻(まき)が天皇家や人の起源に関係した歴史を記して、民族がどのように移動したなどを記すが、『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の信憑性(しんぴょうせい)を基本的に疑う必要がある。

神秘秘伝の術の巻(まき)は、現代人の誰も知らないと思われて、竹内(たけうち)氏の神主家の神職しか知らなくて、上位の神職だけが見られて、本当の謎(なぞ)の秘伝書で、どのような内容か全く分からなくて、悪用をすれば最悪な出来事が怒るらしく、上位の神職でも見るのをためらう完全に門外不出の口伝(くでん;言葉で伝えること)である。
世界中の口伝(くでん;言葉で伝えること)は、必ず一つ書物があるのが定説で、『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の口伝(くでん)が何十万ページで無理だから、基本となる記録が必ず存在するはずである。
竹内(たけうち)氏の家系図は、竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が公表したのを僕が分析して、正しい情報と考えられて、皇族や古代豪族や武家なども養子や不倫など当然で、竹内(たけうち)氏の家系図が詳しく公表しても、血筋が守られたか疑問が残る。

呪術(じゅじゅつ)
呪術(じゅじゅつ)は、神様や精霊などの超自然的な力や神秘的な力に働きかけて、色々な願望を叶えようとする行為や信念で、呪(まじな)いや魔術や魔法などのことで、悪魔や外道や災厄を祓(はら)ったり、神様とつながる霊力を増やしたり、念(ねん)を相手に倍返ししたり、開運や健康安全や大切な人を守るために唱(とな)えたり、色々種類がある。
神歌(しんか;かみうた)は、神様を讃(たた)えて、神力(しんりき)を高めるように期待して歌う歌で、和歌や神様の唄(うた)だから、神歌(しんか;かみうた)と言って、神代(しんだい)文字のカタカムナ文字によく似て、カタカムナ文字をイメージしたら良くて、祝詞(のりと)が神様や宇宙とつながる儀式で、読むのでなく、歌ったり奏上(そうじょう)して、祝詞奏上(のりとそうじょう)と言う。
神歌(しんか;かみうた)は、言葉のエネルギー(力)の言霊(ことだま)と周波数の音霊(おとだま)が融合して、何か(神降(かみお)ろし的なこと)が起きて、京都御所を守るのが冷泉家(れいぜいけ)で、和歌の名家で、竹内(たけうち)氏と関係するようで、和歌が天狗から習った術とよく似て、口伝(くでん;言葉で伝えること)が分かる人だけに分かるようで、口伝(くでん)が日本だけの独特の仕掛けである。

和歌について
和歌は、『ホツマツタエ』の和歌姫(わかひめ;大中姫(おおなかひめ)を神格化)と関係して、思兼神(おもいかねのかみ;物部十市根(もののべのといちね)を神格化)の妻で、息子が天手力神(あめのたぢからのかみ;物部夏花(もののべのなつはな)を神格化)で、『ホツマツタエ』に興味深い和歌を残している。
和歌は、呪術そのもので、分かる人にだけ分かるように仕組んで、季語や景色が「歌」で思い浮かぶが、竹内(たけうち)氏の神主家(神職)の茨城と正統の『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を伝える家柄が「神事(かみごと;神様の仕業(しわざ)や神技(かみわざ)」を専門にして、神事や術事が全て口伝(くでん;言葉で伝えること)で、メモを残すことがない。
学校で習得する和歌は、呪術を教えられたということで、かごめかごめの歌がイスラエル(ユダヤ人)や伊勢神宮と元伊勢籠(この)神社などと関係するサイトや動画があって、皇室によって来る邪気を払い清める毎夜の午前0時から3時にあちこちの神社仏閣で、日本刀を振り続ける秘密結社があって、ネットなどで見聞きしない秘密結社が色々あって、国際社会やネット社会になっても、竹内(たけうち)氏のように秘密を守る家柄があって、秘密が暴露された秘密結社もある。

八咫烏(やたがらす)
日本最古の金庫の竹内(たけうち)金庫は、金庫の紋章が八咫烏(やたがらす)と八咫鏡(やたのかがみ)で、日本神話や皇室や竹内(たけうち)氏が「八」や「八咫(やた)」の言葉が関係する。
「八咫鏡(やたのかがみ)」は、皇室と天皇を表現する紋章の菊家紋・・・特に「十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてきく)」の中が「八咫(やた)」で、八拍手など数霊(かずだま)が規則を非常に重視して、竹内(たけうち)氏の神主家の管長が座る場所も八角形で、出雲大社の御神体も八角形の物に乗せると伝えて、「八」が非常に重要な数字である。
竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、京都市の鞍馬山(くらまやま)のさらに山奥で、1000日修行した時、天狗から色々な術を習得した記録があって、今の竹内(たけうち)氏神職もその術を使って、竹内巨麿(たけうちきよまろ)に鳥が教えてくれたり、自然の鳥と会話した話もあって、鞍馬山(くらまやま)の山奥に烏天狗(からすてんぐ)がいて、八咫烏(やたがらす)と共通する。
原始ユダヤ教の聖典『タナッハ』の成文は、古代イスラエル人がシナイ山で、神様から『トーラーロール』をもらって、虎(とら)の巻(まき;兵法の極意書)の意味で、鞍馬山(くらまやま)の伝承で、源義経が天狗から虎(とら)の巻(まき)をもらって、虎(とら)と烏天狗(からすてんぐ)が共通する。

茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』
北茨城市の皇祖皇太(こうそこうたい)神宮は、竹内(たけうち)氏の神主家の養子である竹内巨麿(たけうちきよまろ)が茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を1928年(昭和3年)3月29日に公表して、竹内巨麿(たけうちきよまろ)が作った新宗教(明治時代より後にできた宗教を指すが、江戸時代にできたのも含む)天津教(あまつきょう)の経典に位置付ける。

茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、神代(しんだい)文字で記して、超古代文明時代から天皇家が存在したと言う。
茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の上古4代目は、天之御中主神身光天皇(あめのみなかぬしかみみひかるすめらみこと)と言う名前で、『古事記』の始源神の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)に当たるが、崇神(すじん)天皇を神格化した神様と考えられて、系図的に間違っている。
茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の上古14代目は、国之常立身光天津日嗣天日天皇(くにのとこたちみひかりあまつひつぎあめのすめらみこと)と言う名前で、『日本書紀』の始源神の国常立尊(くにのとこたちのみこと)に当たるが、おそらく神武(じんむ)天皇を神格化した神様と考えられて、系図的に間違っている。
茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の上古22代目は、天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇(あまさかりひにむかいつひめのみひかりあまつひつぎあめのすめらみこと)と言う名前で、『日本書紀』の天照大神(あまてらすおおみかみ)に当たるが、倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化した神様と考えられて、系図的に間違っている。
上古22代目の天皇は、弟の速進男尊(はやすさのおのみこと;素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同一)の子供らを養子にして、皇統を継がせたのが天照大神(あまてらすおおみかみ)の血筋が月読尊(つくよみのみこと)と入れ替わって、その子の素戔嗚尊(すさのおのみこと)とさらにその子の忍穂耳尊(おしほみみのみこと)へと受け継がれたことに重なって、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の血筋と入れ替わった。
茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の古代天皇家の系図は、間違いだらけだが、正当な伝承も受け継ぐと僕が証明した。

茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、日本に世界最初のピラミッドが作られたこと、釈迦(しゃか;ゴータマ・シッタルタ)やイエス・キリストなどが来日したことを記すが、その全てが作り話か分からない。
茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の編集者は、武内宿禰(たけのうちのすくね)の孫で、武烈(ぶれつ)天皇時代の家臣の平群真鳥(へぐりのまとり)だが、初代・武内宿禰が孝元(こうげん)天皇として祖先化されている景行(けいこう)天皇の曾孫である。
初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)は、西暦334年に98才で、孫の平群真鳥(へぐりのまとり)が武烈(ぶれつ)天皇時代(5世紀後半)に生きて間違いで、竹内(たけうち)氏の養子の竹内巨麿(たけうちきよまろ)がまとめた茨城『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の嘘(うそ)である。

正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』
竹内(たけうち)氏の神主家の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏は、正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を主張して、正統な歴史の主張か分析が必要で、「神事(しんじ;神様を祭る儀礼や祭り)」や「神事(かみごと;神様の仕業(しわざ)や神技(かみわざ)」や「術事(じゅつじ;あやしい不思議なことをする術)」が正統かもしれなくて、分家の多い竹内(たけうち)氏に色々な専門分野があって、専門性の違いがある。

正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の雑伝は、1万2千年前に沈んだ「アー大陸」と「ウン大陸」が存在した時代に海洋民族の古代天皇家の先祖が世界中を巡ったと言う。
中米のトルテカ文明の太陽神ケツァルコアトル(「羽毛の蛇」の意味)は、古代天皇家と共通の先祖から分かれた王家が伝えた神様の可能性が高く、正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の雑伝が古代天皇家を超古代文明時代からの子孫の可能性を考えさせる。
超古代文明ムー大陸は、太陽神をあがめて、アトランティス大陸が海神ポセイドン(アトランティスの海神が不明)を崇(あが)めたと伝承して、ムー大陸かアトランティス大陸の王家の末裔(まつえい)が古代天皇家の先祖で、世界中の文明発祥に関わって、世界中の神話の太陽神や光の神が古代天皇家の太陽神と関係すると疑いたくなる。
エジプト神話のオシリス(ひげをたくわえた白人)は、超古代文明時代の遺産ギザの3大ピラミッドやスフィンクスなどを築いた文明の始祖で、中南米に文明を伝えたビラコチャ(あごひげをはやした白人)も白人で、古代天皇家の先祖が白人の可能性もあるが、白人至上主義の考え方で、正しい考え方でない。
古代天皇家の子孫や遠戚関係の千家(せんげ)氏や海部(あまべ)氏や竹内(たけうち)氏は、弥生時代後期から古墳時代の人骨を遺伝子鑑定して、皇室や古代豪族の血筋の参考にしてほしい。
現代日本人は、モンゴロイドと言う固定観念・先入観があって、白人や黒人が存在しないと思い込むが、遺伝子鑑定で存在してもおかしくなくて、「アー大陸」と「ウン大陸」の伝承がアトランティス大陸とムー大陸の伝承が伝わった後に作られた可能性もある。
常識・固定観念・先入観・理屈・伝統を排除できない人間は、しょせん僕に勝てなくて、古代天皇家の先祖が超古代文明の伝承を残すのが謎である。

正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、日本に世界最古の文明があって、それが世界中を巡って、エジプト文明やメソポタミア文明などを起こして、そこから再び日本に戻って来たと言う。
この世界最古の文明は、1万6千年前から栄えた縄文文明で、そこから農耕が始まったと記して、エジプト文明やメソポタミア文明と古代天皇家の共通性を僕が示して、それが嘘(うそ)か真(まこと)か分からない。

神武(じんむ)天皇の実兄の三毛入野命(みけいりののみこと)は、日本各地で人工造山(ピラミッド)を作って、「みけいりの」と言う名前が世襲制で、当時の建設大臣に当たると言う。
エジプトでピラミッドを最初に作った王の名前は、「ミケイリヌス」と伝えて、「みけいりののみこと」と名前が重なるのを偶然で片付けられない。正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、「飛来御堂(ひらいみどう)」と言う言葉があって、ピラミッドを思わせるのが偶然で、飛来御堂(ひらいみどう)がピラミッドと合致させて、拡大解釈しただけの可能性もある。
神武(じんむ)天皇のもう一人の実兄・稲飯命(いなひのみこと)は、朝鮮半島に渡って、新羅(しらぎ)国王になったと記して、そのことを『但馬国司文書(たじまこくしもんじょ)』も記して、新羅王朝が古代天皇家を先祖とすると言う。
神武(じんむ)天皇は、確実に実在した崇神(すじん)天皇と仁徳(にんとく)天皇を祖先化した作られた人物で、正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』を全て否定できない。

正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、ユダヤ人のイエス・キリストが日本に来て、日本神話の神様の猿田彦(さるたひこ)と同一神と言う。
猿田彦(さるたひこ)は、垂仁(すいにん)天皇25年(西暦176年)に登場する神様で、西暦263年頃の天孫降臨神話にも登場して、猿田彦(さるたひこ)に神格化した人物が2人いると考えられて、日本神話が西暦80年代から330年頃までの時代で、イエス・キリストの時代より後世で間違いである。
イエス・キリストが所属したユダヤ教のエッセネ派は、『死海文書(しかいもんじょ)』が詳しく、朝に起きて塩水で身を清(きよ)めて、太陽を拝(おが)むと記して、古神道のやり方に似るが偶然の一致の可能性も捨てきれない。
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も古神道の亜流で、バラモン教も仏教もヒンドゥー教も古神道の流れを組んで、「万象同根(ばんしょうどうこん)」で「万教帰一(ばんきょうきいつ)」にできるのが竹内(たけうち)神道と言うが、少々強引すぎる気がする。
イエス・キリストの墓や色々な伝承は、青森県三戸郡新郷村にあって、全てを否定できなくて、日ユ同祖論(どうそろん;日本人とユダヤ人が共通の先祖とする説)が公表してない正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』に多くの理由があるかもしれない。
竹内(たけうち)氏の雑伝は、世界同祖説やピラミッドに関する口伝(くでん)や宇宙の創造に関する物もあって、僕が古代天皇家の歴史を公表して、本として残すべき状況になった。

正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、事代主神(ことしろぬしのかみ)の系譜を伝えて、出雲系神道の流れを組んで、出雲王国(物部(もののべ)氏)の直系子孫が歴代の武内宿禰(たけのうちのすくね)だから何もおかしくない。
竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏は、欠史(けっし)八代の天皇が実在で、成務(せいむ)天皇と初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)が双子と言うが、間違いであり得ない。
成務(せいむ)天皇は、景行天皇5年11月15日(西暦195年12月中旬頃)生まれで、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)が景行天皇45年11月15日(西暦235年12月中旬頃)生まれで、成務(せいむ)天皇が初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の誕生日を隠すために作られて、欠史(けっし)八代も創作で、子孫の竹内睦泰(たけうちむつひろ)氏が勘違いして、僕が真実を解明した。

崇神(すじん)天皇陵の最有力候補は、奈良県橿原市の瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)で、2016年に発見して、前方後円墳の形で、埋葬者が見つからず、2世紀中頃から後半頃の築造年代で、前方後円墳をネット検索して、2022年10月18日に求めた。
正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、前方後円墳の形の不明な伝承を伝えて、歴代天皇陵が全て前方後円墳の形と伝えるなら、西暦152年葬礼の崇神(すじん)天皇陵が瀬田(せた)遺跡の円形周溝墓(えんけいしゅうこうぼ)と確定して、正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』が古墳時代の前方後円墳の呼び名を伝える可能性も考えられる。
垂仁(すいにん)天皇陵は、最古の前方後円墳の纏向(まきむく)石塚古墳で、奈良県から大阪府の前方後円墳の衰退が6世紀後半から末頃で、衰退時期が欽明(きんめい)天皇から崇峻(すしゅん)天皇の辺りで、全ての歴代天皇陵が前方後円墳の形と考えられて、蒲生君平(がもうくんぺい;1768年から1813年)が前方後円墳と名付けた。

6代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の若子宿禰(わかごのすくね)は、允恭(いんぎょう)天皇と同一人物とする口伝が名前と年代の一致する可能性が高くて、生まれたる間違いと考えられて、歴代天皇が誰かと入れ替わる伝承や説が皇室に対するやっかみにすぎない。

古代天皇家(天津神;あまつがみ)は、日本を征服して、国津神(くにつがみ)系の神道の秘儀を奪って、古代天皇家(天津神;あまつがみ)が彦坐王(ひこいますのみこ)から始まる古代太陽神氏族(国津神;くにつがみ)の出雲王国(物部(もののべ)氏)を崩壊させて、出雲系神道の秘儀を吸収して、何もおかしなことでない。
木花開耶姫(このはなさくやひめ;仲姫(なかひめ)を神格化)の時と後醍醐(ごだいご)天皇に付いた山民は、古代日本史から忘れ去られた古部族サンカのことか?
正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、神々の名前が役職名で世襲制と記すが、僕の自論の歴代タカミムスビと歴代オオモノヌシなどを差すと考えられる。 古神道は、正(せい)か邪(じゃ)か善悪の判断がないらしいと記して、僕が古代太陽神の八岐大蛇(やまたのおろち;滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視)を退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)を邪神と立場が逆転して、儒教や仏教の伝来による考え方だろうと言う。

僕は武内宿禰(たけのうちのすくね)が約100才で、息子の葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)が約50才で、孫娘の磐之姫命(いわのひめのみこと)が約20才と考えた。
しかし初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の息子は、2代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の息子が葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)で、曾孫の磐之姫命(いわのひめのみこと)が仁徳(にんとく)天皇の皇后で、年齢的に自然と考えられる。
『古事記』で武内宿禰(たけのうちのすくね)の息子は、紀(き)氏や葛城(かつらぎ)氏や平群(へぐり)氏や巨勢(こせ)氏や蘇我(そが)氏の先祖と記して、正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の系図の方がしっくりきて、歴代の武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫から各氏族が出たと考えられる。

仁徳(にんとく)天皇に仕えた初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)は、西暦334年に98才で、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を武甕槌神(たけみかづちのかみ)と饒速日命(にぎはやひのみこと)と塩土老翁(しおつちのおじ)の3神に神格化して、海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)の神話と神武(じんむ)東征に登場して、これを完全解釈すれば解明できる。
「記紀」の武内宿禰(たけのうちのすくね)は、300才以上の年齢が歴代の武内宿禰(たけのうちのすくね)数人と初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)が98才まで生きて、双方の理由で長寿と勘違いしたと考えられる。
4代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の実弟で讒言(ざんげん)した甘美内宿禰(うましうちのすくね)は、正統『竹内文書』の伝承が正しいと考えられるが、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の父も甘美内宿禰(うましうちのすくね)の名前で、讒言(ざんげん)したのが先祖の可能性もある。

予言
正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の「日本は世界の雛形(ひながた)である。日本が世界の模範(もはん)となって神政復古を実現したとき、争いのない世の中、高天原(たかまがはら)が顕世(うつしよ)に顕現(けんげん)する」と言う予言は、僕が示したアインシュタイン博士の予言の世界的盟主に当たるのか?
正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』の「日本を外国の手先が8つに分けようとする企(たくら)みが起こる」と言う予言は、1つが天皇皇后両陛下を除いて、僕が示した聖徳太子の予言から、皇室が女性宮家を新設して、悠仁(ひさひと)様も含めて、7つの宮家に分かれるが、秋篠宮様の都市伝説が不義の子で天皇になれず、悠仁(ひさひと)様が皇族でないなら、6つの女性宮家に分かれて、1つの男性宮家を排除して、合計7つの予言通りで、これを2024年6月23日の午前8時頃に追加した。

まとめ
正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、彦坐王(ひこいますのみこ)が出雲王国(物部(もののべ)氏)を建国して、崇神(すじん)天皇12年3月11日(西暦95年4月中旬頃)に崇神(すじん)天皇へ出雲王国の建国を報告して、歴代の武内宿禰(たけのうちのすくね)が1900年以上に渡って、守り抜いた第一級史料で、その価値や意味が測(はか)り知れない。
僕が記した『竹内(たけうち)氏の系図』は、歴代の武内宿禰(たけのうちのすくね)の系図が正しくて、年代的に考えても「記紀」の記述も正しくて、僕の自論が間違いないと証明した。
正統『竹内文書(たけのうちもんじょ)』は、『ホツマツタエ』と「記紀」にも勝(まさ)るとも劣(おと)らない歴史書で、まだまだ公表してない情報の塊(かたまり)である。

<参考文献>
『正統『竹内文書』の謎』
竹内睦泰・著者 株式会社学研パブリッシング・発行
『『古史古伝』異端の神々 太古日本の封印された神々』
原田実:著者 株式会社ビイング・ネット・プレス:発行
『神々の指紋』
グラハム・ハンコック:著者 株式会社翔泳社・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古事記(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
ユーチューブのコヤッキースタジオの動画3本

戻る