滝祭神(たきまつりのかみ)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

伊勢神宮内宮に五十鈴川(いすずがわ)の手洗い場があって、そのすぐ脇に石が安置されてそれを滝祭神と呼んでいる。
平安時代初期に伊勢神宮から朝廷に差し出された報告書が『皇太神宮儀式帳』で、滝祭(たきまつり)神社や滝祭社は「大神宮の川辺にあり、御殿なし」と記されており、滝祭神が五十鈴川の流れを御神体として社殿を持たない古代信仰の神様であると考えられる。
『坂十仏参詣記』という書物に滝祭神の「神体は水底に御座あり、すなわち竜宮である」と記され、京都府福知山市大江町の元伊勢内宮に天龍・八岐龍神社という祠(ほこら)があり、八岐大蛇を龍と呼ぶように日本で竜が蛇を指すから、滝祭神も蛇の神様であると考えられて、すなわち滝祭神が竜神と考えられる。
中国では竜がヨウスコウワニを指すが、日本だと竜が蛇を指すから大物主神(おおものぬしのかみ)も蛇で古代太陽神が竜神でもある。

『ホツマツタエ』の滝原宮に関する記述を記す。

景行(けいこう)天皇20年2月4日(西暦210年3月中旬頃)に14歳の五百野皇女(いものひめみこ)を新しい伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕える未婚の皇女)にして、アマテルカミ(天照神)に九州平定の報告と祝いをして、48歳になった倭姫命(やまとひめのみこと)は喜んで、「私は歳をとったので斎王としてもはや不足です。わが八十物部(やそもののべ)と十二司(そふつかさ)を五百野皇女に引き渡し仕えさせましょう」と言われた。
五百野皇女を新しいアマテルカミの斎王にして、多気(たけ;三重県度会郡大紀町にある滝原宮)の宮居にてつつしみ仕えさせて、倭姫命は宇治機殿(うぢはたどの)の磯宮(いそのみや;伊勢市にある磯神社)にて静かに余生をすごされ、アマテルカミを日々お祭りすると、長く神のご威光もとどこおらずに照り輝いたのだった。


滝原宮は伊勢神宮の別宮で遥宮(とおのみや)と呼ばれて、内宮と外宮に次いで3番目の実力を持つ神社である。
この滝原宮の神様は正式に天照大神(あまてらすおおみかみ)とされているが、実際に古い言い伝えで水戸神(みなとがみ)とされていて、水戸神が雨水をつかさどる川の神様だと言う。
滝原宮の神は五十鈴川の流れを御神体とする滝祭神と同一神と考えられて、滝原宮の「滝(たき)」と滝祭神の「滝」が共通して同一の存在とすべきだろう。
滝祭神は伊勢神宮内宮の横を流れる五十鈴川の流れを神格化した蛇神で、滝祭神を伊勢神宮が大変丁寧に祭っていて、滝祭神が天照大神と同格ぐらいで古代太陽神だとすれば当然である。
滝祭神と滝原宮は『ホツマツタエ』の成立した頃から存在していたと考えられて、滝祭神が蛇神であることが忘れられて石を神格化しているが、古代太陽神だったのが間違いないと考えられる。
滝祭神は伊勢神宮内宮に祭られる由緒(ゆいしょ)ある古代太陽神である。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『アマテラスの誕生』
筑紫申真・著者 株式会社講談社・発行
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