天照玉命(あまてるたまのみこと)神社


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

天照玉命神社は京都府福知山市今安にあって古代太陽神のアマテルカミを主祭神とするが、アマテルカミを祭る近畿地方を中心とした神社と少し事情が違う。
天照玉命神社の主祭神は正式名を天照国照彦火明天櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこほあかりあめのくしたまにぎはやひのみこと)で、古代太陽神のアマテルカミと火明命(ほあかりのみこと)と饒速日命(にぎはやひのみこと)の3神が合体した神名である。
京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社の宮司家である海部(あまべ)氏の先祖の大倉岐命(おおくらきのみこと)が今安に祭ったと伝えられている。
アマテルカミが卑弥呼の倭姫命(やまとひめのみこと)と台与(とよ)の神功(じんぐう)皇后が神格化されて、火明命と饒速日命が倭姫命と神功皇后の直系先祖の彦坐王(ひこいますのみこ)が神格化されていると考えられて、僕自身はアマテルカミが彦坐王も神格化していると信じたいがその可能性が低い。
アマテルカミが倭姫命と神功皇后で火明命と饒速日命が彦坐王を神格化しているが、天照玉命神社の主祭神に関しては事情が異なるのである。

天照玉命神社の伝承では成務(せいむ)天皇時代に主祭神を大倉岐命が今安に祭ったと言うが、成務天皇が逆賊の日本武尊(やまとたけのみこと)を仮の天皇とした在位しない天皇で、正しく求めると仲哀(ちゅうあい)天皇時代か神功皇后時代に祭ったと考えられて、3世紀中頃から後半の時期に当たる。
国宝『海部氏系図』と照らし合わせてみても大倉岐命は、景行(けいこう)天皇時代から神功皇后時代の人物と考えられて、天照玉命神社の伝承が正しい可能性を大いに示唆している。
しかし問題になるのは天照国照彦火明天櫛玉饒速日命の神名で祭られたのが3世紀で、アマテルカミが彦坐王を神格化している点である。
神功皇后が亡くなったのは西暦329年の4世紀前半で、倭姫命と神功皇后をアマテルカミに神格化しているのがさらに後の仁徳(にんとく)天皇時代以降で、『ホツマツタエ』が『三国志・魏志倭人伝』をヒントに倭姫命と神功皇后を神格化したと考えられることから事情が変わってくる。

アマテルカミは倭姫命と神功皇后を神格化しているのは確かだが、『ホツマツタエ』編纂(へんさん)の時期が4世紀中頃以降と考えられて、天照玉命神社の天照国照彦火明天櫛玉饒速日命が祭られたのが3世紀なのが不動で、天照玉命神社に祭られる以前のアマテルカミが彦坐王を神格化していることが確実となる。
『ホツマツタエ』の16章まで完全解釈をした時に僕は、アマテルカミが倭姫命と神功皇后を神格化した以外の解釈ができなかったが、それ自体が僕の固定観念や先入観などに捕らわれた考え方で、絶対に彦坐王を神格化したと解釈できることにつながるわけでない。
「天照」の称号は彦坐王を神格化した古代太陽神の天照神(あまてるかみ)から倭姫命と神功皇后を神格化した現在の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)に継承して、最高神で太陽神としての最高の称号であると考えられて名誉あるものである。
アマテルカミは先祖の彦坐王と子孫の倭姫命と神功皇后を神格化したのが間違いないと考えられて、天照玉命神社の伝承がその問題提起になっていたということである。

天照玉命神社は福知山市で一二を争う古社で、その伝統や伝承を大切に守り受け継いで後世に伝えるべきで、僕の存在によって封印から解き放たれたことが偶然でなく必然だった。
天照玉命神社はかつて僕の暮らす福知山市大門など下豊富(しもとよとみ)などの幾つかの地区を氏子として、奉納相撲(ずもう)や雨ごいなどの神事を行なわれていたと記録に残っている。
今は今安や地域の人たちが集まる小さなお祭りが行なわれているだけのようだが、天照玉命神社の封印が解かれて歴史が復活したことから、かつての氏子たちに呼びかけて神事を復活させるのも良いと思う。
僕が大門に生まれて今安に天照玉命神社で大江町に元伊勢内宮が祭られて、僕が天照神と天照大神のご加護を受けていていたのが必然で、いずれ来るべき時が来ると定められてひもとかれる時だった。

天照玉命神社はアマテルカミを祭る神社でも倭姫命と神功皇后を神格化したのでなく、彦坐王を神格化した数少ない貴重な神社として後世に渡って重宝(ちょうほう)されることになる。
僕にかかればこの程度のことを求めるなど造作もなく、古代と現在の太陽神のご加護があるから尚更(なおさら)だった。

<参考文献>
『ひっぱり壁』
田辺弘・著者 株式会社オカムラ・発行
天照玉命神社の伝承
インターネット

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