他人がまねできない「自分の強み」


これは僕の4冊目の本に記している内容を抜粋している。

この勘働きは分析からは生まれない

中村修二博士は日本だと勘や直感に頼るのを嫌うところがあるが、自分の勘を大切にしていたのが大成功した理由だという。

僕は古代日本史研究を始めた22歳の誕生日頃にコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を発揮して、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の黄泉国(よみのくに)下り神話と垂仁(すいにん)天皇時代の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱を合致させて、日本神話が古代天皇家の史実を神話化していると考えたのが勘や直感だった。
僕は自分自身の勘や直感を信じて古代日本史研究をして、一大理論を完成させて大成功したのであり、勘や直感に頼ることが悪いことなどないのである。

万能の天才ダ・ヴィンチが多岐に渡る分野で才能を発揮して、発明王エジソンが千件以上の特許を取得して、20世紀最高の天才アインシュタイン博士が多くの物理学理論を認めさせたのは、全て自分自身の勘や直感を信じていたからに他ならない。
勘や直感は、他人のデータの分析などから生まれるものでなく、自分自身の中にある感性の問題であってそれに頼ることも大切である。

枝葉末節も軽視せず自分でやる

中村修二博士は成功に直結したことがとにかく全てを自分でやることで、多くの研究者が備品の作成などの細かい作業を業者にまかせて自分でやろうとせず、それが大きな違いを生み出す理由になったという。

僕は友達を作らずコミュニケーション下手な人間であり、周囲に古代日本史研究をしている知り合いもいなくて、孤独だったからとにかく自分自身だけが頼りだったのだが、そのことが大成功した理由である。
古代日本史研究は考古学と歴史学が別々に研究して根本的に合致せず、元早稲田大学の吉村作治教授の分野であるエジプト考古学のようにうまくいくものでもないが、学者のやっていること自体に何の信頼性もなかった。
僕は歴史上でも類稀(たぐいまれ)な才能の持ち主であり、決して何者にもおかすことのできない八百万(やおよろず)の神々…神様の領域まで求めて、禁忌に触れた何者も恐れない人間である。
古代日本史研究はそもそも時代の頭脳や知識が根本的に追いついておらず、あまりに才能のずば抜けすぎた僕だから求められたのであって、他の人間が何をやっても求められるはずなどなかったのである。
僕ほどの才能のある人間の登場を待つのは問題外であり、根本的に全て自分でやる努力をしてみるべきで、それもしないで何の意味・価値があるのだろうか?

ドグマに毒されてはならない

中村修二博士は定説や常識というドグマ(独断的な考えのこと)に捕らわれないことが、新しい発明や発見につながるのだという。

邪馬台国論争の考古学界の定説は北九州4ヶ国で、末盧国(まつろこく)が佐賀県松浦郡で、伊都国(いとこく)が福岡県糸島郡で、奴国(ぬこく)が福岡市で、不弥国(ふみこく)が福岡県粕屋郡宇美町とされていたが、方角が完全に違って間違っていた。
倭の五王の歴史学会の定説は応神(おうじん)天皇から雄略(ゆうりゃく)天皇までの7人の中にいて、応神天皇から雄略天皇の国風諡号(しごう)を倭王の名前に当てはめているとしていたが、無理矢理のこじつけに過ぎない完全な間違いだった。
常識に捕らわれた人間は、考古学界と歴史学会の定説を信じ込んで根本的に疑うことをせず、古代日本史研究の進展など全くあり得なかった。

僕は古代日本史研究でそもそも定説や常識に捕らわれないコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)という考え方をしていたから答えが見えて、圧倒的な一大理論を組み立てることに成功したのである。
定説や常識に捕らわれていては、根本的に疑うことを忘れてしまって、何が正しいか間違いか見誤ってしまうことがある。

どん底の状況に失望して終わるかはい上がれるか

人間は希望の光が見えなくなってどん底になると誰でも失望して、やる気をなくして酒に溺れるか別の道を探して旅立つことなどがある。
しかし中村修二博士は、失敗して落ち込めば落ち込むほどますます成功することを考えて、この状態になることがきっと良いアイデアが出ると信じたのだという。

僕は古代日本史研究を進める過程で、何度も難問にぶち当たってそのたびにどん底を味わったが、決して諦(あきら)めることなく何度もリトライしてチャンスをうかがって、そのたびに何十回もコペルニクス的転回(非常識な考え方の集合体)を起こして打破した。
僕は普段からコペルニクス的転回を使いこなせる人間で、360度の発想転換と言っても良いものを何十回と起こしており、根本的に凡人の発想転換とわけが違うのである。
古代日本史研究で答えを出すには人生で2回以上コペルニクス的転回を起こせる人間でなければ100%不可能で、僕以外の人間など論外で勝負になるはずのない人間離れした才能であり、非常識な考えの集合体コペルニクス的転回を使いこなせたからできたのである。
僕の場合だとどん底にぶち当たっても、根本的に凡人よりはるかにすぐれた発想転換が幾らでも可能で、それほど難問と言うほどに苦労しなかったというのも理由だろう。
人は希望がなくなってどん底になると誰でも失望するが、そのまま逃げ出すか逆境にあえて立ち向かって行って成功するか、その二者択一でめげずに頑張る精神力を身に付けるべきだと思う。

すぐに法則を求めようとするな

中村修二博士は日本人に多いのが理論や法則を求めたがることで、発明や発見をする者にとって実験結果を重視すべきだという。

僕は古代日本史研究で『古事記』より『日本書紀』を重視して、約40年間に渡って偽装工作の「嘘・偽り」を研究してきた『日本書紀』に、理論や法則が通用するなど一切考えていなくて、むしろそんなものがある可能性など全く考えてもいなかった。
『古事記』は国内で2番目に古い書物で、日本書紀』が西暦720年に完成した3目に古い書物で、後世の『続日本紀』に記されて正しく、西暦507年に即位した継体(けいたい)天皇以降の時代が正史(正確な事実の歴史)とされて、それ以前が『魏志倭人伝』や『百済記』など中国と朝鮮の歴史書の記述を含ませて、「記紀」の西暦507年以前の歴史を混乱させるように見事に偽装工作している。
しかし僕からするとそんな偽装工作も意味がなく、歴史書の記述と数々の日本各地の考古学的証拠を合致させて、一つ一つの問題点を小豆に取り除いていって解決した。
そんな行為に法則や理論など通用するはずもなく、そもそも偽装工作を作成するために規則性を持たせる方がおかしく、そんなことをすれば簡単に解明されることなど目に見えている。
僕はすぐに理論や法則を求めるのが、悪いことだと言わないがなるべくやめて、研究結果を重視する方が効率的だと思う。

仕事には独断しないといけない時がある

専門家たちは独断的なやり方が駄目だと言うが、自分にとって分かりやすい方法で理解する自己流が中村修二博士のやり方だという。

日本武尊(やまとたけのみこと)は「記紀」で特別扱いの皇子であること、日本武尊が「記紀」以外の書物で天皇と記されていること、日本武尊が出雲建(いずもたける)を討伐したこと、日本武尊が東海平定したと記されることなどが根本的に歴史上であったことか分からない人が多いだろう。
僕は日本武尊に関する多くの参考文献を読んだが、他人の結論に左右されないから自分の意見を持てて、確実に正しいだろう解答を求めたのである。
古代天皇家の悲劇的英雄とされる日本武尊は、謎だらけの人物とするが僕から見ればまやかしの存在にすぎず、何が正しいか間違いか自分自身の判断にゆだねられていて、結果的に見れば僕の下した結論が根本的に間違っていると否定しにくい。
どんなことでも自分自身の判断で動かなければいけない時があって、他人の意見を聞かず自分で決める独断が良くないと思うかもしれないが、独断は「ひらめき」…特に独創性を高めるのに最適だと考えられる。

<参考文献>
『「バカになれる男が勝つ!」』
中村修二・編者 株式会社三笠書房・発行

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