日本神話の誕生時期


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

日本神話の誕生時期は、「記紀」の成立時期の7世紀後半から8世紀前半か、それ以前なのか現代人(僕以外の人間)に求められないが、日本神話を完全解釈できる僕なら答えを示せる。
2002年10月頃に歴史研究を始めた僕は、「記紀」の現代語訳本を購入して、数日後に『日本書紀』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)を合致して、日本神話と邪馬台国(やまとこく;大和国)論争が合致した運命的な瞬間で、日本神話を完全解釈した実力が必要だった。
現代人(僕以外の人間)は、「記紀」を始めとする一般的な歴史書の日本神話しか知らなくて、「記紀」の成立時期の7世紀後半から8世紀前半が日本神話の誕生時期と考えるが、超天才の僕が『ホツマツタエ』の日本神話が「記紀」よりも古くて、『ホツマツタエ』の日本神話の誕生時期が特定できれば、根本的に解決できる物でなく、天照大神(あまてらすおおみかみ)の女系男子天皇が重要な答えで、2023年3月11日に修正した。

「記紀」の作成は、天武(てんむ)天皇(西暦673年から686年在位)が命じて、西暦712年に『古事記』ができて、西暦713年に『風土記(ふどき)』編纂(へんさん)を命じて、西暦720年に『日本書紀』ができて、西暦733年に『出雲国風土記(いずものくにふどき)』ができて、ほぼ同時期に日本各地の『風土記(ふどき)』ができて、7世紀後半から8世紀前半が日本神話の誕生時期のヒントである。
「記紀」と『風土記(ふどき)』は、成立時期がほぼ同年代で、「記紀」が天皇家中心の日本神話で、『風土記(ふどき)』の地域性の日本神話を記して、7世紀後半から8世紀前半よりも前に日本神話が成立して、全国的な神話が出来上がったと考えられる。
つまり「記紀」と『風土記(ふどき)』の成立時期は、すでに日本各地に共通した神話が広がって、7世紀後半以前に日本神話が成立して、日本最古の書物の『ホツマツタエ』が「記紀」より古い歴史書で、『ホツマツタエ』の成立時期がヒントである。

『ホツマツタエ』の日本神話の誕生時期は、編纂(へんさん)の3段階に答えを求めて、男性の古代太陽神の天照神(あまてるかみ)が天皇家誕生(日本の建国)よりも前に神格化したと考えられる。
『ホツマツタエ』の天照神(あまてるかみ)の誕生は、初代の崇神(すじん)天皇時代までさかのぼって、他の日本神話の神々も幾つかが崇神(すじん)天皇時代に祭られて、日本神話の成立と神様の神格化が合致しないと考えられる。
天照大神(あまてらすおおみかみ)と月読尊(つくよみのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、三貴子(みはしらのうずのみこ)と言う3人姉弟の高貴な子供で、『三国志・魏志倭人伝』に登場する人物の卑弥呼(ひみこ)と台与(とよ)と男弟(だんてい)と男王(だんおう)を神格化した。
卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)と台与(とよ)の神功(じんぐう)皇后は、天照大神(あまてらすおおみかみ)で、男弟(だんてい)の景行(けいこう)天皇を月読尊(つくよみのみこと)で、男王(だんおう)の日本武尊(やまとたけのみこと)を素戔嗚尊(すさのおのみこと)に神格化して、『ホツマツタエ』を編纂(へんさん)した編者が『三国志・魏志倭人伝』を読んだのが間違いない。
古代天皇家は、摂政(せっしょう)46年3月1日(西暦366年4月上旬頃)に百済(くだら)との外交関係を再開して、これ以降に古代中国と外交を再開して、『三国志・魏志倭人伝』を読んだはずで、4世紀後半から5世紀中に『ホツマツタエ』の日本神話を作ったと考えられる。

『ホツマツタエ』の第1段階は、6代目・大物主神(おおものぬしのかみ)と子孫の2代目・大田田根子(おおたたねこ)が出雲王国(物部(もののべ)氏)の崩壊までまとめて、藤原氏の先祖の大鹿島(おおかしま)が花押(かおう;自著の代わりに使う記号)で署名(しょめい)して、神櫛皇子(かんぐしのみこ)と稲背彦皇子(いなせひこのみこ)と2代目・武内宿禰(たけのうちのすくね)の3人を神格化と祖先化して、『ホツマツタエ』に出雲王国の崩壊まで記した。
出雲王国(物部(もののべ)氏)の崩壊は、3世紀後半に出雲の国譲(くにゆず)り神話として成立したか不明で、『ホツマツタエ』を3世紀後半に神功(じんぐう)皇后に献上した時に出雲神話が成立したと断言できない。
『三国志・魏志倭人伝』の把握は、西暦366年の百済(くだら)との外交関係を再開した後で、4世紀後半から5世紀中に日本神話が成立して、日本神話の成立が『ホツマツタエ』の第2段階である。
女系(母系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)は、神功(じんぐう)皇后の孫の5代目・仁徳(にんとく)天皇から14代目・武烈(ぶれつ)天皇まで女系男子天皇で血筋が途絶(とだ)えて、神功(じんぐう)皇后の直系子孫の15代目・継体(けいたい)天皇から115代目・今上(きんじょう)天皇(現在の天皇陛下)まで女系男子天皇の血筋が途絶(とだ)えてないと伝える。
仁徳(にんとく)天皇から今上(きんじょう)天皇(現在の天皇陛下)までは、即位できた理由が女系(母系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の直系子孫である女系男子天皇だからで、日本神話が西暦507年3月頃までに完成して、『ホツマツタエ』の第2段階が証明された。
『三国志・魏志倭人伝』の台与(とよ)は、女系(母系)の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)で、神功(じんぐう)皇后の直系子孫の継体(けいたい)天皇が女系男子天皇だから、新しい血筋の天皇と認められて、日本神話がすでに成立したと考えられる。
6世紀から7世紀中に西暦年を採用した『ホツマツタエ』の第3段階は、6世紀から7世紀中に日本神話が成立したと考えにくくて、日本各地の『風土記(ふどき)』が地域性のある日本神話を作成する期間が短すぎて、もっと早い段階で全国に古代天皇家の日本神話が伝わって、それを基にして地域性のある日本神話を作ったと考えられる。

参考文献『正統『竹内文書』の謎』で、アー大陸とウン大陸があった時代、古代天皇家の先祖が海洋民族で、世界中を巡った雑伝があって、出雲王家の直系子孫の竹内(たけうち)氏に伝わる伝承だが、アー大陸とウン大陸の伝承がアトランティス大陸とムー大陸の伝承が伝わった後に作られた可能性があって、超古代文明と天皇家の関連性をほのめかす。
同じく『正統『竹内文書』の謎』は、縄文時代に古代天皇家の先祖が日本にいて、この頃に農耕が起こって、世界中のエジプト文明やメソポタミア文明などを起こした後、日本に帰って来た伝承もあって、古代天皇家と縄文時代や四大文明などの伝承が嘘(うそ)と断言できなくて、アー大陸とウン大陸の伝承と同類である。
『ホツマツタエ』16章は、胎児が何ヶ月目にこうなっていると、現代医学も真っ青の成長記録を記して、精子が骨や脂肪で、卵子が血液や内臓を作るのが遺伝子レベルの知識と考えられて、古代天皇家が超古代文明と関係ないと証明できない。
超古代文明と天皇家は、関係ないと古史古伝(こしこでん;「記紀」に反する書物)や正統『竹内文書』などで証明できなくて、圧倒的な超技術や超知識を伝えて、誰も証明できない未知の分野である。

初めて朝鮮の国号を作った檀君(だんくん)は、朝鮮建国の祖とする神様で、平壌(ピョンヤン)に都を置いて、紀元前2333年に建国して、檀君(だんくん)神話が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の神話とよく似ている。
天の至高神である天王桓因(かんいん)の息子の桓雄(かんゆう)は、父から天符印(鏡と剣と鈴でないかとされる)と言う三種の神器を授けられて、太伯山(たいはくさん)に降臨して、そこで山の精霊で、美の神の熊女(うんにょ)と結婚して、檀君(だんくん)を生んだ。
桓雄(かんゆう)は、熊女(うんにょ)の姉妹で、山の精霊の虎女が醜(みにく)いので結婚しなかった。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に三種の神器を授けて、天界の高天原(たかまがはら)から高千穂峰(たかちほみね)に降臨させて、日向(ひうが;宮崎県)で花の神の木花開耶姫(このはなさくやひめ)と結婚して、火火出見尊(ほほでみのみこと)を生んだ。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉妹で、岩の神の磐長姫(いわながひめ)が醜いので結婚しなかった。
檀君(だんくん)神話は、建国が紀元前2333年として、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の神話が西暦263年頃だから檀君(だんくん)神話が日本神話よりも後に朝鮮半島に伝わって、天皇家の先祖が朝鮮半島で建国した可能性が考えられる。
檀君(だんくん)神話と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の神話は、偶然で片付けるほど僕が馬鹿でなく、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の神話と檀君(だんくん)神話の共通性が偶然と考えられない。
高句麗(こうくり)の朱蒙(しゅもう)神話も瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の神話との共通性が見られて、百済(くだら)の建国神話で温祚(おんそ)の出生が火火出見尊(ほほでみのみこと)の神話と共通性が見られて、高麗(こうらい)の建国の祖である王建(おうけん)も日本神話との共通性が見られて、全て古代天皇家と共通の先祖を持つ可能性が説明できる。

ギリシア神話のゼウスの姉デメテルが弟ポセイドンとのアルカディア地方の一伝は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が原因で起きた天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話との共通性があって、偶然で片付けられなくて、また伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話とギリシア神話のオルフェウス神話の共通性も偶然で片付けられない。
黄泉国下(よみのくにくだ)り神話とオルフェウス神話の共通性の確立は、何十万分の一の可能性と書かれて、日本神話と古代朝鮮国家の神話の共通性も確率的に同様であるはずで、ギリシア神話を生み出したのが天皇家の先祖と考えるしかない。

ケツァルコアトルは、「羽毛の蛇」と訳す太陽神で、トルテカ文明(7世紀頃から12世紀頃まで続いた文明)の神話の神様で、トルテカ文明の太陽神ケツァルコアトルが呼吸を与える者で風神でも創造神でもあって、実在したトルテカ文明の都市トランの9代目皇帝でもある。
日本神話の古代太陽神は、蛇体の者がいて、実在した太陽神の宮司の彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化して、太陽神ケツァルコアトルが神話の羽毛の蛇で、実在した9代目皇帝を神格化して、古代太陽神の神名の「国照彦・天照(くにてるひこ・あまてる)」をケツァルコアトルの神名にもじったと証明できる。

このように世界中の神話は、古代天皇家が世界中の神や王家の血脈で、世界中に隠した痕跡(こんせき)を僕が求めて、現在の皇室が世界的盟主にふさわしくて、世界中が地球温暖化や環境汚染などで、問題だらけの世界を導く希望となるのだろう。
女系男子天皇は、現在の男系男子天皇の皇室が生まれ変わる大きなきっかけで、僕の歴史研究の集大成として後世まで語り継ぐ永遠の希望で、誰も否定できない神様の血筋である。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『歪められた日本神話』
萩野貞樹・著者 PHP研究所・発行
『世界神話辞典』
アーサー・コッテル:著者 柏書房株式会社・発行
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