但馬国司文書(たじまこくしもんじょ)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

『但馬国司文書』という書物は古史古伝(超古代文書、偽史)と呼ばれて、正当な歴史書「記紀」に反する内容…つまり偽物として書かれた歴史書だと考えられている。
しかしそれは正当な判断ができない者が勝手に偽物としただけで、僕のように「記紀」を正当にひもとける実力者であれば、それが正しいか間違いか判断することなどわけがなく、正当な歴史書として再評価させようと考えている。
『但馬国司文書』は但馬(兵庫県北部)の伝承を中心に集めた書物で、「記紀」の内容を補正する部分も間違いなく存在すると見ている。
ちなみに「記紀」は正当な歴史書とするが、根本的に間違っていて嘘を述べていたり偽装工作をしている点などで、正当な歴史書という点は誤解があるのを現代日本人が理解していない。

『但馬国司文書』によると最初に但馬を開いた神様は国作大己貴命(くにつくりおおなむちのみこと)と記されて、出雲大社の祭神である大国主神(おおくにぬしのかみ)と同一神に他ならないが、大国主神が初代オオモノヌシ(彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)と7代目オオモノヌシ(飯入根(いいいりね)を神格化)を同一神として滅茶苦茶になったと考えられる。
最初に但馬を開拓した神様は大国主神でなく、初代の丹波国造(たにはくにみやつこ)の彦坐王を神格化した火明命(ほあかりのみこ)や初代・大物主神(おおものぬしのかみ)とすべきで、常識に捕らわれる人間ほど答えが見えない。

『但馬国司文書』に国作大己貴命(飯入根を神格化)は出雲国(島根県東部)を出て伯耆(ほうき)国・因幡(いなば)国(二国を合わせて鳥取県)を越え、兵庫県の出石郡(いずしぐん)に至り白石として化生(けしょう)した因幡の八神姫(やがみひめ)という女神と出会って、その女神との間に子供をもうけてその子孫が出石の県主(あがたぬし)になったと記す。
『古事記』の大国主神(飯入根を神格化)の神話に因幡の白うさぎがあり、大国主神は因幡の八上比売(やがみひめ)と結婚して木俣神(きまたのかみ)またの名を御井神(みいのかみ)をもうけるが、八上比売が大国主神の正妻の須勢理毘売(すせりひめ;布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化)の嫉妬(しっと)を恐れて子供を連れて因幡に帰ったと記す。
八神姫も八上比売も因幡に由来すると分かり、子供をもうけたことが共通することから同一神とすべきで、須勢理毘売を意識して因幡に帰った点が重要である。
因幡の白うさぎ神話で大国主神(飯入根を神格化)が白うさぎ(日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)を助けて、八上比売(誰を神格化したか不明)と結婚して木俣神(出石心大臣命(いずしこころおおおみのみこと)を神格化)をもうけて、出石心大臣命が出石の県主になり、須勢理毘売(布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化)の嫉妬を恐れて因幡に出石心大臣命を連れて帰ったということだろう。

『ホツマツタエ』の物部(もののべ)氏系図にイヅモシコの子のイヅシココロと記されていて、現代の物部氏系図の出雲醜大臣命(いずもしこおおおみのみこと)と兄弟の出石心大臣命が完全な間違いで、イヅモシコが7代目オオモノヌシとして神格化された飯入根と同一人物と考えられて、イヅシココロが出石の県主になったと考えられて、『ホツマツタエ』と『但馬国司文書』が正しいと証明される。
大国主神(飯入根を神格化)が出石郡で因幡の八神姫(誰を神格化したか不明)と結婚できたのは、出雲国王の飯入根が日本武尊の反乱に巻き込まれる西暦251年以前で、出雲王国と古代大和朝廷の関係が良好だった時代だと考えられるが、確実に正しいと証明できるわけでない。

『但馬国司文書』に国作大己貴命の次に但馬を開いたのが火明命(彦坐王を神格化)だと記す。
『ホツマツタエ』にニニキネとコノハナノサクヤヒメの間に生まれた長男が2代目ホノアカリ(彦坐王を神格化)で、その長男のクニテル(狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)が別名をニギハヤヒと呼び初代ホノアカリの養子となってその子孫が物部氏で、次男がタケテル(丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を神格化)でその子孫が尾張(おわり)氏であると記す。
彦坐王は初代の崇神(すじん)天皇の実兄で、その子孫が神功(じんぐう)皇后でその息子の品夜和気命(ほむやわけのみこと)を初代ホノアカリとして神格化されて、2代目ホノアカリを先祖として、『ホツマツタエ』が無理矢理に創作された神話だと分かる。
しかし『日本書紀』に記されず、『古事記』に記される品夜和気命が存在しなければ、初代ホノアカリとして神格化された人物がいないことになる。
『但馬国司文書』に火明命(彦坐王を神格化)は国作大己貴命から丹波国(たにはのくに;古代の京都府北中部)の比治(ひじ;京都府京丹後市方面)を授かり、国作大己貴命の命令で三タン(丹波・丹後・但馬)地域を開いたと記す。
大国主神でなく初代オオモノヌシ(彦坐王を神格化)が大国主神と同一神の大物主神で、丹波王国平定後にその領土を崇神天皇からもらったと考えられて、彦坐王が三タン地域を開拓した最初の人物なので間違いなく信頼できる伝承である。

『但馬国司文書』に火明命は「…饒速日天日明命(にぎはやひあめのほあかりのみこと)」と記されて、『先代旧事本紀』に「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」と記されて、火明命と饒速日命(にぎはやひのみこと)が同一神として扱われる。
『ホツマツタエ』で2代目ホノアカリとニギハヤヒが親子とされて、尾張氏と同族の海部(あまべ)氏が物部氏とも共通の祖先神なのが間違いない事実で、親子の神様が後世に同一神とされただけで別におかしなことでもない。

『但馬国司文書』に彦坐王が丹波国王の陸耳御笠(くがみみのみかさ)と言う敵将を追って、但馬に行き水軍を繰り出して海戦までしてようやく討伐し、戦後すぐに出雲に行き杵築(きづき)大神(大国主神)に勝利を報告して、その功績から丹波と但馬を与えられて「大国主(おおくにぬし)」と呼ばれたと記す。
『日本書紀』に崇神天皇10年9月9日(西暦93年10月上旬頃)に丹波平定将軍として丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)を派遣して、崇神天皇11年4月28日(西暦94年5月下旬頃)に将軍が敵を倒して報告したと記す。
『古事記』に崇神天皇時代に日子坐王(ひこいますのみこ)を旦波(丹波)に派遣して玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を殺させたと記す。
『ホツマツタエ』と『古事記』と『但馬国司文書』の記述から彦坐王の子供が丹波道主王だと分かり、丹波平定の総大将が彦坐王で息子の丹波道主王が付き従う武将の一人だと分かる。

丹波平定を証明すると考えられる考古学的証拠があり、京都府北部と兵庫県北部にかけて弥生時代中期の大規模集落遺跡の大半が消滅か断絶し、弥生時代後期初頭(西暦100年前後)に小規模集落遺跡が急増するという事実がある。
西暦94年と西暦100年前後はごくわずかな年代差で、崇神天皇の命令で支配下に置いた土地を整備したと考えられて、これと共通する同年代の考古学的証拠が奈良県から大阪府にかけても出ている。
彦坐王が陸耳御笠を討伐して、戦後すぐに出雲に行き大国主神に勝利を報告したと記されて、丹波を平定してから1世紀末から2世紀前半に彦坐王が出雲まで統治下に置いて、出雲王国を建国した可能性が考えられる。
彦坐王が丹波平定の功績から丹波と但馬を与えられて後に出雲王国建国もしたと考えられて、京都府北中部と兵庫県北部と鳥取県と島根県を手中にしたことから「大国主」と呼ばれたことは、初代オオモノヌシ(彦坐王を神格化)と大国主神が同一神とされるから間違っていない。

『但馬国司文書』に天日槍命(あめのひぼこのみこと)は孝安(こうあん)天皇時代に日本に来て、筑紫(つくし;九州)・播磨(はりま;兵庫県南部)・近江(おうみ;滋賀県)・若狭(わかさ;福井県南部)を巡って但馬に滞在して、大和からの使者に自分が新羅(しらぎ)の王子で、先祖が秋津洲(あきつしま;日本のこと)の皇子の稲氷命(いなひのみこと)だと言ったと記す。
『日本書紀』に天日槍(あめのひぼこ)は2代目の垂仁(すいにん)天皇3年3月に日本に来た新羅の王子だと記す。
『ホツマツタエ』にアメヒボコは崇神天皇39年に播磨にいたことが記される。
孝安天皇は歴史の欠けた架空の天皇で崇神天皇を祖先化しており、総合すると天日槍が崇神天皇時代に日本にいて、初代の崇神天皇時代に筑紫(九州)が統治下になく、播磨・近江・若狭を巡って但馬に滞在した可能性が十分にある。
天日槍は神武(じんむ)天皇の兄である稲飯命(いなひのみこと)が先祖だと言って、新羅王朝と古代天皇家が共通の先祖から分かれた王朝とするが、僕の見解を述べると実に面白い伝承である。

神武天皇は初代の崇神天皇と5代目の仁徳(にんとく)天皇を祖先化した架空の天皇で、つまり天日槍の先祖が稲飯命だとあり得ないが、崇神天皇の実兄と考えられる彦坐王が天日槍と同一人物と考えられる。
天日槍は朝鮮半島の生まれだとされるが、明らかに日本語読みの名前であることから明らかに日本人だとすれば朝鮮人であるはずがない。
古代天皇家と共通の先祖を持つ王朝が世界中に散らばっていた可能性があって、新羅王朝が古代天皇家と共通の先祖を持っていてもおかしくない。
参考文献『徹底検証 古史古伝と偽書の謎』の記述の解釈をこれで終えるが、今まで僕が解釈した内容だけでも十分に検討して再評価できるのでないかと考えられる。
これがアインシュタイン博士以上の天才として何百年から何千年も先を見据える僕の考え方で、凡人との決定的・絶対的な格差である。

<参考文献>
『徹底検証 古史古伝と偽書の謎』
叶V人物往来社・発行
『古代日本史への挑戦』
僕・著者 株式会社オカムラ・発行
『古事記(上)(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『ホツマ辞典』
池田満・著者 ホツマ刊行会・発行

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