日向(ひうが;宮崎県)の天孫降臨神話


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。
『記紀』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

京都府宮津市から火火出見尊(ほほでみのみこと)は、雪の中で塩土老翁(しおつちのおじ)が作った籠船(かごふね)で海神(わたつみ)の宮に送った。

京都府宮津市から火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)の父の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)は、雪の中で塩土老翁(しおつちのおじ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が作った船で、宮崎県に行かせた。

天孫降臨神話は3つあって、河内(かわち;大阪府東部)の饒速日尊(にぎはやひのみこと)の天孫降臨神話、丹波(たには;京都府北中部)の火明命(ほあかりのみこと)の天孫降臨神話、そして一番有名な日向(ひうが;宮崎県)の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)天孫降臨神話で、時代も場所も特徴なども僕が正しく特定した。

京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社は、火火出見尊(ほほでみのみこと)を祭って、雪の中で塩土老翁(しおつちのおじ)作った籠船(かごふね)で、火火出見尊(ほほでみのみこと)を海神(わたつみ)の宮に送った伝承がある。
塩土老翁(しおつちのおじ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)を宮崎県の天孫降臨に送り出して、その場所が京都府北部の海で、あくまで神話である。
摂政(せっしょう)3年1月3日(西暦263年2月上旬頃)に2歳弱の誉田別尊(ほむだわけのみこと)を奈良県で立太子(りったいし;皇太子になること)して、1月で冬だから雪景色で、大阪府の港から宮崎県に行かせて、京都府北部の海と入れ替わった神話と考えられる。

高天原(たかまがはら)の高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)と天照大神(あまてらすおおみかみ)の命令で、忍穂耳尊(おしほみみのみこと)を葦原中国(あしはらなかつくに)に降臨させようとした時、忍穂耳尊(おしほみみのみこと)と栲幡千千姫(たくはたちちひめ)が結婚して、生まれた息子の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を降臨させることになった。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、三種の神器を与えられて、天児屋命(あめのこやねのみこと)と太玉命(ふとだまのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)と石凝姥命(いしこりどめのみこと)と玉屋命(たまやのみこと)の全てで五部(いつとものお)の神を配して、付き従わされた。
まず天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、最初に地上に降りて、そこで猿田彦神(さるたひこのかみ)と出会って道案内して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日向(ひうが)の高千穂(たかちほ)の山に降臨して、後に猿田彦神(さるたひこのかみ)が伊勢(三重県中部)の狭長田(さなだ)の五十鈴(いすず)の川上に着いて、そこまで天鈿女命(あめのうずめのみこと)が付き添って、結婚して猿女(さるめ)氏の名字(みょうじ)を与えられた。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘の木花開耶姫(このはなさくやひめ)と結婚して、火酢芹命(ほすせりのみこと)と火火出見尊(ほほでみのみこと)が生まれた。
しばらくたって瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は隠れて、日向(ひうが)の可愛山(えやま)の陵に葬られた。


高天原(たかまがはら;大和)の7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)と娘の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)の命令で、忍穂耳尊(おしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)と栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が結婚して、生まれた息子の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)を宮崎県に降臨させた。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)は、三種の神器を与えられて、叔父(おじ;母の弟)の太玉命(ふとだまのみこと;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)を護衛の将軍として、付き従わされた。
天児屋命(あめのこやねのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)と石凝姥命(いしこりどめのみこと)と玉屋命(たまやのみこと)の4神は、一体誰を神格化したか資料がなくて全く分からないが、皇太子の世話や教育などに色々な家臣が付き従われたと考えられる。
天鈿女命(あめのうずめのみこと;誰を神格化したか不明)は、猿田彦神(さるたひこのかみ;誰を神格化したか不明)と出会って道案内して、後に猿田彦神(さるたひこのかみ)が伊勢(三重県中部)の五十鈴川(いすずがわ)の川上に着いて、結婚して猿女(さるめ)氏の名字(みょうじ)を与えられた。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)は、大山祇神(おおやまつみのかみ;五百城入彦皇子(いもきいりひこのみこ)を神格化?)の娘(孫娘?)の木花開耶姫(このはなさくやひめ;仲姫(なかひめ)と高城入姫(たかぎいりひめ)の姉妹を神格化)と結婚して、高城入姫(たかぎいりひめ)の子の火酢芹命(ほすせりのみこと;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を神格化)と仲姫(なかひめ)の子の火火出見尊(ほほでみのみこと;仁徳(にんとく)天皇を神格化)が生まれた。


皇位継承物の三種の神器は、逆賊の日本武(やまとたけ)天皇の反乱で出雲に渡って、出雲の国譲(くにゆず)り神話で奈良県に戻って、2種類の八重垣剣(やえがきのつるぎ)から1種類の草薙剣(くさなぎのつるぎ)に変更して、皇位継承権争いを止めようとして、神功(じんぐう)皇后が皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと)を宮崎県に行かせた。

姉の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)は、息子の護衛将軍に弟(同母か異母か不明)の(ふとだまのみこと;武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)に命じて、父親を軍事の総指揮官の7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)で、自(みずか)ら仲哀(ちゅうあい)天皇の左大臣を務めた優秀な武官と考えられる。

猿田彦神(さるたひこのかみ;誰を神格化したか不明)と天鈿女命(あめのうずめのみこと;誰を神格化したか不明)の夫婦は、猿田彦神(さるたひこのかみ)の子孫だから猿女(さるめ)氏を名乗って、猿田彦神(さるたひこのかみ)を求められないのに拘(こだわ)る馬鹿がいる。
猿田彦神(さるたひこのかみ)は、宮崎県を道案内して、三重県中部の五十鈴川の上流に帰って行ったから、九州の地理に詳しい古代天皇家の人間を神格化したと考えられる。
垂仁(すいにん)天皇23年1月1日(西暦174年2月上旬頃)に倭姫命(やまとひめのみこと)の髪の毛をゆい上げた天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話に猿田彦(さるたひこ)の妻の天鈿女命(あめのうずめのみこと)で登場して、猿田彦神(さるたひこのかみ)も垂仁天皇26年(西暦177年)に登場して、猿田彦神(さるたひこのかみ)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)の夫婦が2組を神格化した証拠である。
つまり西暦170年代と西暦263年頃の天岩戸隠(あまのいわとかく)れ神話は、時代的に考えておかしくて、2組の猿田彦神(さるたひこのかみ)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)の夫婦を神格化したと考えられる。
日本神話の主要な神々は、主役の僕に任(まか)せて、端役(はやく)の猿田彦神(さるたひこのかみ)さえ僕でも求められず、拘(こだわ)らないのに凡人(僕以外の人間)の感性がおかしい。
勘違いも甚(はなは)だしいとは、日本神話を完全解釈できる世界でただ一人の僕と自分の立場を理解しない現代人(僕以外の人間)のどっちを指すのだろうか?

天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)は、父方の祖父が素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)で、母方の祖父が7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)で、母が天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后を神格化)で、父方でなく母方の天照大神(あまてらすおおみかみ)に入れ替わる。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化)の正式名称に天津彦根火瓊瓊杵根尊(あまつひこねほのににぎねのみこと)があって、祖父の天津彦根命(あまつひこねのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)が登場して、「天津彦根(あまつひこね)」の呼び名が共通して、2人の関係が祖父と孫である。
火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)と息子の火火出見尊(ほほでみのみこと)が火の神様で、物部(もののべ)氏の神功(じんぐう)皇后の息子と孫で、間違いなく出雲王家(物部(もののべ)氏)の血筋である。

大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘の木花開耶姫(このはなさくやひめ)と結婚して、異母兄弟の火酢芹命(ほすせりのみこと)と火火出見尊(ほほでみのみこと)が生まれて、僕が求めて神格化した人物が正しいことを意味する。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の陵墓は、皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと)陵で、箸墓(はしはか)古墳の相似形の生目(いきめ)1号墳が有力候補である。
高千穂(たかちほ)の山は、霧島高千穂峰と宮崎県西臼杵郡高千穂町の高千穂の2つがあって、霧島高千穂峰が勢力的に祭って、難しく考える必要などないと考えられる。
宮崎県は天皇家の故郷で、誉田別尊(瓊瓊杵尊)が育って、息子の仁徳天皇(火火出見尊)を生み育てた所で、全く何の根拠もない神話でない。

日向(ひうが)の天孫降臨神話は、『日本書紀』を基(もと)にして、皇太子の宮崎県行きを神話化した。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古事記(上)(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼編・著者 八幡書店・発行
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