天孫降臨神話


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。
『記紀』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)か天照大神(あまてらすおおみかみ)の命令で、忍穂耳尊(おしほみみのみこと)を葦原中国(あしはらなかつくに)に降りさせようとして、その時に忍穂耳尊と栲幡千千姫(たくはたちちひめ)が結婚して生まれた息子の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を降ろすことになった。
京都府宮津市から火火出見尊(ほほでみのみこと)は、塩土老翁(しおつちのおじ)が海神(わたつみ)の宮に送った。
瓊瓊杵尊は三種の神器を与えられて、天児屋命(あめのこやねのみこと)と太玉命(ふとだまのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)と石凝姥命(いしこりどめのみこと)と玉屋命(たまやのみこと)の全てで五部(いつとものお)の神を配して、付き従わされた。
まず天鈿女命が最初に地上に降りて、そこで猿田彦神(さるたひこのかみ)という神と出会って道案内をさせて、瓊瓊杵尊は日向の高千穂(たかちほ)という山に降りられて、後に猿田彦神が伊勢(三重県中部)の狭長田(さなだ)の五十鈴(いすず)の川上に着いて、そこまで天鈿女命が付き添ったことから猿女(さるめ)氏の姓を与えられた。
瓊瓊杵尊は大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘の木花開耶姫(このはなさくやひめ)と結婚して、火酢芹命(ほすせりのみこと)と火火出見尊(ほほでみのみこと)が生まれた。
しばらくたって瓊瓊杵尊は隠れて、日向(ひうが;宮崎県)の可愛山(えやま)の陵に葬られた。


7代目・高皇産霊尊(武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)か娘の天照大神(神功(じんぐう)皇后を神格化)の命令で、忍穂耳尊(仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)と栲幡千千姫(神功皇后を神格化)が結婚して生まれた息子の瓊瓊杵尊(誉田別尊(ほむだわけのみこと)を神格化;即位しない応神(おうじん)天皇)が丹波(たには;京都府北中部)から宮崎県に行く。
瓊瓊杵尊は三種の神器を与えられて、太玉命(武渟川別(たけぬなかわわけ)を神格化)を近衛(このえ)将軍として付き従わされた。
天児屋命と天鈿女命と石凝姥命と玉屋命の四神は、一体誰を神格化したか資料がなくて全く分からないが、皇太子の護衛や世話や教育などに色々な家臣が付き従われたと考えられる。


京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社は、火明命(ほあかりのみこと)と火火出見尊を同一神として、塩土老翁(しおつちのおじ)が火火出見尊を海神(わたつみ)の宮に送った伝承がある。
塩土老翁(初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)は、火火出見尊の父の瓊瓊杵尊(誉田別尊を神格化)を日向の天孫降臨に送り出した場所だから伝承が真実である。

『ホツマツタエ』に猿田彦神(誰を神格化したか不明)と天鈿女命(誰を神格化したか不明)が結婚して、天鈿女命の子孫を猿女(さるめ)氏と言うのが猿田彦神を先祖とするためである。
天鈿女命(誰を神格化したか不明)が最初に宮崎県に向かって、そこで猿田彦神に出会って道案内をさせて、瓊瓊杵尊は宮崎県と鹿児島県の県境にそびえる霧島高千穂峰(きりしまたかちほみね)の近くに宮殿を建てて、後に猿田彦神が三重県中部の五十鈴川の上流に帰って行った。
猿田彦神は霧島高千穂峰まで道案内をして、その後に三重県中部の五十鈴川(いすずがわ)の上流に帰って行って、九州の地形に詳しい古代大和朝廷の人間を神格化したと考えられる。
瓊瓊杵尊が天孫降臨した高千穂の山は、『ホツマツタエ』から霧島高千穂峰なのが正しく、宮崎県西臼杵郡高千穂町の高千穂が確実な間違いである。

天孫の瓊瓊杵尊(誉田別尊を神格化)は、天孫だから父方の祖母が天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)だが、倭姫命が父方の先祖でも子供がいなくて、正しく求めると父方の祖父が素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)になる。
母方の祖父は7代目・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと;武虎別皇子を神格化)で、母が天照大神(神功皇后を神格化)で、父方でなく母方の天照大神に入れ替わって、日本神話を完全解釈できる僕なら簡単に求められる。

瓊瓊杵尊は大山祇神(五百城入彦皇子(いもきいりひこのみこ)を神格化?)の娘(孫娘?)の木花開耶姫(仲姫(なかひめ)と高城入姫(たかぎいりひめ)の姉妹を神格化)と結婚して、高城入姫の子の火酢芹命(大山守皇子(おおやまもりのみこ)を神格化)と仲姫の子の火火出見尊(仁徳(にんとく)天皇を神格化)が生まれた。
瓊瓊杵尊の正式名称に天津彦根火瓊瓊杵根尊(あまつひこねほのににぎねのみこと)があって、姉弟神の誓約(うけい)神話で天津彦根命(あまつひこねのみこと;武虎別皇子を神格化)が登場して、7代目・高皇産霊尊も武虎別皇子を神格化して、「天津彦根」の呼び名が共通する二人の関係は祖父と孫である。
火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)と息子の火火出見尊が火の神様で物部(もののべ)氏の血筋で、火産霊(ほむすび;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)の子孫に位置付けるのが間違いない。

皇位継承物の三種の神器を巡る日本武尊(やまとたけのみこと)の反乱は、同じあやまちを起こさないように瓊瓊杵尊に三種の神器を持たせて宮崎県に行かせたが、その意見を出したのが父親の7代目・高皇産霊尊(武虎別皇子)か娘の天照大神(神功皇后)かよく分からない。
瓊瓊杵尊の近衛将軍である太玉命(武渟川別)は、父親を大和朝廷の軍事の総指揮官である7代目・高皇産霊尊で、自ら仲哀天皇の左大臣を務めた優秀な武官で、姉の天照大神(神功皇后)の息子(甥)を守る役目を買って出たと考えられる。

瓊瓊杵尊が降りた山を日向(宮崎県)の襲(そ)の高千穂峯(たかちほみね)などと記されて、宮崎県に高千穂という山が2つ存在して、記述から日向の襲(鹿児島県曽於郡(そおぐん)のこと?)と考えられて、宮崎県と鹿児島県の県境の霧島高千穂峰が正しいと考えられる。
宮崎県は天皇家の故郷だが、その理由として誉田別尊(瓊瓊杵尊)が育ち、息子の仁徳天皇(火火出見尊)を生み育てた所で、全く何の根拠もない神話でない。
この天孫降臨神話は『日本書紀』に記すものを基にして、皇位継承権争いが二度と起きないようにした予防策を神話化したと考えられる。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼編・著者 八幡書店・発行
インターネット

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