血と汗と涙と努力の結晶


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

血と汗と涙と努力の結晶は、僕の歴史研究の人生経験そのもので、決して簡単に片付かない偉大さで、20年半もの長すぎる時間で形作られて、誰にも汚(けが)せない純粋な思いで、2023年6月17日に記した。

僕は歴史研究の挫折(ざせつ)で、何度も自殺未遂を繰り返して、何度もリストカット(自傷行為)して、一度だけ飛び下り自殺未遂もして、血を流して自分の心と体を傷つけて、必死に生きようと頑張って、辛(つら)い人生経験の結果である。
高校生の修学旅行で僕は、一緒に暮らした祖父の死に目に会えず、帰宅するとお通夜で、その後で塞(ふさ)ぎこんで、命・魂・精神を考えて、宗教の精神的概念なども掘り下げて、命と魂と精神などから戦争・平和も考え始めて、第二次世界大戦の大罪…731部隊や従軍慰安婦問題なども考え出して、人間的に成長した。
しかし短大生時代に僕は、一人暮らしの自由な環境で、自殺願望が生まれたと考えて、僕が初めての自殺未遂をする何ヶ月か前、録音テープに自殺願望の認知を記録して、前から自殺願望を自覚した。
血なまぐさい戦争は、日本の建国の西暦84年より前に奈良県入りするために戦って、94年に丹波(たんば;古代の京都府北中部)で、翌年95年に出雲王国(物部(もののべ)氏)を建国して、倭国大乱(わこくたいらん)や男王(だんおう)の反乱など様々に三種の神器を巡って、皇位継承権争いを繰り返して、流血の血塗られた悲劇が生まれた。
国家を守るためと聞こえは、良くても流血の悲劇で、どんなに綺麗ごとを並べても、世界から戦争や虐殺などが消えなくて、人間の本能なのか分からないが、いい加減にして終わらせてほしいと願う。

僕は歴史研究で汗を流して、暑い夏も寒い冬もずっと籠(こも)りながら、汗をかいて必死に努力し続けて、20年半もの気も遠くなる日々を研究して、誰にも理解されなくても、いつか報(むく)われると信じて、挫(くじ)けても必死に立ち直って来た。
汗を流す日々は、たまに外に出て市街に足を延ばして、他人(僕以外の人間)に歴史研究を語っても、馬鹿の戯言(ざれごと)と片付けて、頭の良い変人とでも認識されて、誰にも理解されないアインシュタイン博士以上の超天才で、後継者的存在も自称した。
しかしそんな一時(ひととき)は、突発的な自殺未遂、真夜中の真っ暗な階段を踏み外した左足の骨折で、手術で左足首の両方に金属を埋め込んで、飛び下り自殺未遂で、小腸をつなぐ手術、両手首と肩に手術で金属を埋め込むなど、痛い思いを何度も繰り返して、必死に努力して治療した。
傷ついても蘇(よみがえ)る僕は、ヘボン式ローマ字に隠れる僕の名前シャイニー・アッシュ(輝く灰)が燃え尽きて灰になっても蘇(よみがえ)るフェニックスを思わせて、傷ついても再び立ち上がって、頑張る僕を応援するのだろう。

ずっと泣き続ける僕は、幼い頃から病気やケガや痛みなどで泣いて、祖父の死に目に会えなくて、親戚の目の前で泣いたりして、ずっと成長して大きくなった。
歴史研究を始めた僕は、自分の超頭脳(超感覚)が自分の手に追えず、圧倒的な成果を示して、自分でも恐怖する凄(すさ)まじい感覚を恐れて、古代天皇家の歴史の重責に押しつぶされて、一人で孤独に涙して、ずっと誰にも知られずに泣いたことが数知れない。
僕の歴史研究は、喜びと悲しみなどの涙の結晶で、誰にも語らなかった思いの真実があまりにも重く、大きく羽ばたく思いと共に開放したい。

僕の歴史研究の努力は、絶対に誰にも語りつくせなくて、20年半の長さをアッと言う間か長すぎて語れないと言うか、人によって考え方が色々で、僕自身も決められず、語り聞かせられない内容が大すぎる。
人間の人生経験は、ずっと続けるか、途中でやめて逃げ出すかの二択で、ずっと続けて自分の成長の糧(かて)にして、やって良かったと実感して、僕の成長過程が日本神話の神々の領域…神域を感じる感覚を生んだ人生経験を分析して、公表しているが、決して誰も僕の超頭脳(超感覚)と同様の能力を手にできないだろう。
僕の必至な努力は、人類史上初めて神様を証明して、日本神話と邪馬台国(大和国;やまとこく)論争と倭(わ)の五王…古代天皇家の歴史の証明など、様々な名誉を手に入れて、決して誰も汚(けが)せない知的な好奇心や探究心で求めて、成功した偉人である。

僕の血と汗と涙と努力の結晶は、誰にも邪魔されないで、純粋な思いを貫(つらぬ)いて、頑張り続けた者たちだけが感じられる純粋無垢(むく)な物である。

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