僕の超頭脳と恐怖心
僕の実感は、僕の21年半以上の歴史研究で生まれた自分の超感覚と恐怖心の自覚にあった。
僕の歴史研究は、きっかけの『日本書紀』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱(倭国大乱;わこくたいらん)の合致から始まって、圧倒的な超感覚で無意識に奇跡の一致を発揮して、自分の超感覚をだんだん自覚して、それと共に知らない中(うち)に恐怖心を抱(いだ)いた。
僕の超感覚は、邪馬台国(大和国;やまとこく)時代に1つの皇居と2つの天皇陵を特定して、日本神話の神々の領域…神域をひもといて、色々な能力があまりに絶大で、2004年11月18日の最初の自殺未遂で、歴史研究の恐怖心に負けて、ここから僕の精神障害の苦悩が始まった。
最初の自殺未遂の恐怖心は、古代天皇家の歴史の重責と重圧に耐えかねた僕の弱い心などと思ったが、自覚してない僕の圧倒的な超感覚の存在にあるかもしれなくて、この頃に自分の能力がアインシュタイン博士クラスのコペルニクス的転回と考えた。
その後も歴史研究を続けた僕は、自分がアインシュタイン博士以上の超天才で、神様の証明が史上初で絶対に超えて、総合的な能力が現代人(僕以外の人間)を余裕で超えて、超越した異常な考え方と頭脳成長の進化スピードを自覚して、自分自身の発達障害や学習障害の有無、古代天皇家の歴史の重責などで恐怖心が生まれて、このような理由でよく精神が不安定になった。
僕は自分の超頭脳が求めた物に恐怖を感じて、古代天皇家の歴史の重責、自分の超頭脳(超知識)が異常すぎる事実、アインシュタイン博士クラスかそれ以上の超感覚、自分の知識を求めた超スピード感覚など、その恐怖心を現代人(僕以外の人間)が理解できるはずもない。
歴史研究を始めて24才頃の僕は、考え方がアインシュタイン博士クラスのコペルニクス的展開と分析して、アインシュタイン博士が1905年(奇跡の年)に4理論を公表して、その頭脳スピードが43才の超天才の僕より回転率が速いと考えられて、頭脳スピードが歴史研究で21年半以上も頑張ったが、追いつけないと僕が実感した。
しかし僕は、歴史研究を集中的にせず、数日から数ヶ月で途切れてして、頭の回転速度を把握できず、集中的に行なえば、アインシュタイン博士クラスと実感する可能性もあるが、僕自分を過小評価した結果の実感で、僕の能力が未知数で、どれほどか自分でも分からない。
アインシュタイン博士は、20世紀の人物で、参考の資料が多く残って、僕の能力との個人差を自分なりに分析して、自分のレベルを実感して、井の中の蛙と理解できて、ただ戦争放棄と核兵器廃絶の遺志を受け継いで、アインシュタイン博士の後継者的存在を自称して、天狗だったのを認めるしかない。
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチと発明王トーマス・エジソンは、過去の超天才で資料が少なく、発明王エジソンの千件以上の特許取得が異常なレベルで、どうあがいても今の僕の頭脳スピードでも絶対に勝てなくて、世界中の現代人(僕以外の人間)も実感できない圧倒的な未知の超感覚である。
万能の天才ダ・ヴィンチと発明王エジソンと20世紀最高の天才アインシュタイン博士と僕の4人は、OOPB(オープブ)と呼んで、Out Of Place Brains(場違いな頭脳)の略で、Out Of Place Artifacts(場違いな加工品)の略のOOPARTS(オーパーツ)をまねた自作の言葉で、他にも同類の天才が多くいるだろう。
しかし僕は、自分も含めた4人を特別扱いして、4人共に障害者で、共通性があると感じて求めたが、その人生の出来事が根本的に違う部分もあって、自分の感覚が他人と大違いで、恐怖を感じた時もあった。
OOPB(オープブ)の超天才4人は、4人共に障害者で、僕以外の3人が幼少からの記録で、幼い時から才能の片鱗(へんりん)を見せて、大人になった成功者だが、僕が2002年10月頃に歴史研究を始めて、22才ちょっと前に才能を発揮し始めた遅咲きの天才で、決定的に大きな違いである。
しかし僕は、遅咲きの超天才でも、先人3人に追い付く才能を身に付けて、障害者が早咲きか遅咲きの違いがあっても、急激な頭脳成長に時期が関係ない事実を証明した。
僕は自分の頭脳レベルに恐怖して、自殺願望につながることもあるが、現代人(僕以外の人間)の希望の光になって、後世の教本となって、伝道者のような存在になれたらと思う。
いちいち大げさな僕は、自分が人類史上最高の超天才の一人と自覚して、日本神話の神々が実在した人物を神格化して、実話を神話化したのが日本神話と実証して、有史以来で初めて神様の存在を証明した人間で、調子に乗ってもおかしくない実績を残して、聖者や賢者と呼んでも不思議でない奇跡だった。
僕の超頭脳は、歴史上の大家と比較しうるほど超成長して、追い越し追い越されて、必死にあがき苦しむ中で、人生を考える道標(みちしるべ)だった。
僕の恐怖心は、人間なら誰しもが感じる不安の表れで、僕自身も人間として当たり前の本能に従って、不安から恐怖心を抱(いだ)いて、自殺願望の死生観につながって、何度も自殺未遂して、僕の大きな成長が生死と隣り合わせで、多くの人々を心配させて、大成したと考えられる。
僕は歴史上の超天才で、超頭脳が現代人(僕以外の人間)を超えたが、自殺未遂が大馬鹿者で、神様に比べたら人間の一生が一瞬でも、人生が一瞬でも何十年でも時間が関係なくて、一生懸命にもがき苦しんで、どれほど光り輝いて、尊(とうと)い瞬間を感じたかが大切である。
<参考文献>
インターネットの不明サイトから少々拝借
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