姉弟神の誓約(うけい)神話
『記紀』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。
姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)が統治する高天原(たかまがはら)に弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)がやって来て、姉は弟が高天原の統治権を奪うために来たと思って、姉が武具を纏(まと)って弟と会われた。
姉弟は相談して、共に誓約(うけい)して、女児が生まれたら弟に汚(きたな)い心があって、男児が生まれたら清い心と決めた。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が持つ十握剣(とつかのつるぎ)を借りて、長女が瀛津嶋姫竹子(おきつしまひめたけこ)で、次女が江ノ嶋姫瑞子(えのしまひめたきこ)で、三女が市杵嶋姫田奈子(いちきしまひめたなこ)を生んで、この3姉妹を宗像(むなかた)三神と呼ぶ。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が持つ八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)を借りて、長男が天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)で、次男が天穂日命(あめのほひのみこと)で、三男が天津彦根命(あまつひこねのみこと)で、四男が活津彦根命(いくつひこねのみこと)で、五男が樋之速日命(ひのはやひのみこと)で、六男が熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)を生んだ。
八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の物だから6人の男児が天照大神(あまてらすおおみかみ)の子供で、十握剣(とつかのつるぎ)が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の物だから3人の女児が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子供となった。
天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の所に甥(おい)の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)がやって来て、天照大神(あまてらすおおみかみ)が高天原(たかまがはら;古代大和朝廷)を統治する野心が素戔嗚尊(すさのおのみこと)にあると見て、天照大神(あまてらすおおみかみ)が武装して、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を迎えたが殺された。
高天原(たかまがはら;古代大和朝廷)を統治する野心がある素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、結果として伯母の天照大神(あまてらすおおみかみ)を殺して、太陽神殺しの大罪を背負う。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、3つ子の娘の宗像(むなかた)三神を生んで、長女が瀛津嶋姫竹子(おきつしまひめたけこ)で、次女が江ノ嶋姫瑞子(えのしまひめたきこ)で、三女が市杵嶋姫田奈子(いちきしまひめたなこ)を生んで、3人とも誰を神格化したか分からない。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の3つ子の娘である宗像(むなかた)三神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の娘3人でもあって、景行(けいこう)天皇の息子の日本武尊(やまとたけのみこと)が不倫したことを証明した。
天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)は、一生独身で子供がなく、異母弟の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と入れ替わって、全て景行(けいこう)天皇の子孫を神格化した。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と益姫持子(ますひめもちこ;播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)を神格化)は、息子の天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)を生んで、瀬織津姫穂之子(せおりつひめほのこ;八坂高依姫(やさかたかよりひめ)を神格化)との間に息子の素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)を生んで、孫の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)を生んだ。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と速開津姫秋子(はやあきつひめあきこ;高田媛(たかだひめ)を神格化)は、兄の天津彦根命(あまつひこねのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)を生んで、豊姫紋子(とよひめあやこ;高田媛(たかだひめ)を神格化)との間に弟の熊野久須毘命(くまのくすびのみこと;少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)を神格化)を生んだ。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、孫の甕速日命(みかはやひのみこと;屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)を神格化)を生んで、曾孫の樋之速日命(ひのはやひのみこと;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)を生んだ。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と大宮姫道子(おおみやひめみちこ;誰を神格化したか不明)は、息子の活津彦根命(いくつひこねのみこと)を生んで、景行天皇(けいこう)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の息子の神櫛皇子(かんぐしのみこ)と稲背彦皇子(いなせひこのみこ)のどちらかを神格化した可能性があるが、資料が少なすぎて分からない。
姉弟神の誓約(うけい)神話は、月読尊(つくよみのみこと)の娘3神と息子や子孫の6神の誕生神話で、景行(けいこう)天皇2年12月15日(西暦193年1月中旬頃)生まれの日本武尊(やまとたけのみこと)から景行天皇45年11月15日(西暦235年12月中旬頃)生まれの初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)までで、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の潔白(けっぱく)を示す神話である。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、景行(けいこう)天皇16年1月3日(西暦206年2月上旬頃)生まれの神櫛皇子(かんぐしのみこ)と後に生まれた稲背彦皇子(いなせひこのみこ)の実妹で、3つ子の娘の宗像(むなかた)三神を生んで、景行(けいこう)天皇19年頃(西暦209年頃)生まれの忍穂耳尊(おしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)より先に生まれた。
『ホツマツタエ』の宗像(むなかた)三神は、3人とも結婚して子孫もいるため、実在した人物を神格化した証拠で、神名が実在した皇女の本名(ほんみょう)の可能性がある。
『ホツマツタエ』の天照神(あまるかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)でなく、月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の娘の宗像(むなかた)三神は、「記紀」で素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の娘として、「記紀」を編纂(へんさん)した8世紀前半の天皇家が日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を知っていた証拠である。
孝元(こうげん)天皇(景行(けいこう)天皇を祖先化)と息子の開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、共通の妃が伊香色謎命(いかがしこめのみこと;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)で、開化(かいか)天皇の皇后が伊香色謎命(いかがしこめのみこと)で、日本武尊(やまとたけのみこと)の皇太子妃(正妻)と考えられる。
日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫は、史実(歴史上の事実)で、宗像(むなかた)三神が月読尊(つくよみのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の娘とする論理的根拠である。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子は、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)と天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊を神格化)が同一神で、孫が天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)である。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と益姫持子(ますひめもちこ;播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)を神格化)は、天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)を生んで、小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)との間に3つ子の娘の宗像(むなかた)三神を生んだ。
吉備津彦(きびつひこ;祖別命(みおやわけのみこと)を祖先化)の娘は、吉備武彦(きびたけひこ)の妹の播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)と稲日稚郎姫(いなひのわかいらつめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)で、播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)が実在しなくて、日本武尊(やまとたけのみこと)の出生のヒントである。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と瀬織津姫穂之子(せおりつひめほのこ;八坂高依姫(やさかたかよりひめ)を神格化)は、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)を生んで、両道入姫(ふたじいりひめ)との間に孫の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化)を生んで、正しく認識すれば特定できる。
景行(けいこう)天皇の皇后は、播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の姉妹と八坂高依姫(やさかたかよりひめ)を正しく修正して、誰をどうやって混乱させる目的で、系図を作ったか求められる。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と速開津姫秋子(はやあきつひめあきこ;高田媛(たかだひめ)を神格化)は、景行(けいこう)天皇5年6月(西暦195年7月頃)生まれの兄の天津彦根命(あまつひこねのみこと;武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)で、豊姫紋子(とよひめあやこ;高田媛(たかだひめ)を神格化)との間に弟の熊野久須毘命(くまのくすびのみこと;少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)を神格化)を生んだ。
速開津姫(はやあきつひめ)と豊姫(とよひめ)を合体した神名の豊秋津姫(とよあきつひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)は、孫の栲幡千千姫(たくはたちちひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)が別名を万幡豊秋津姫(よろずはたとよあきつひめ;神功(じんぐう)皇后を神格化)で共通して、『三国志・魏志倭人伝』の台与卑弥呼(とよひみこ)が豊姫命(とよひめのみこと)の神功(じんぐう)皇后と『ホツマツタエ』で、知っていた証拠である。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)は、景行(けいこう)天皇30年頃(西暦220年頃)生まれの孫の甕速日命(みかはやひのみこと;屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)を神格化)を生んで、景行天皇45年11月15日(西暦235年12月中旬頃)生まれの曾孫の樋之速日命(ひのはやひのみこと;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)を生んだ。
景行(けいこう)天皇16年1月3日(西暦206年2月上旬頃)生まれの神櫛皇子(かんぐしのみこ)は、6代目出雲国王の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)と同一人物で、息子が屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)で、孫が初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)で、祖父と息子と孫の誕生年月が正しい計算になった。
『ホツマツタエ』でタケミカツチ(初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)は、ヒノハヤヒコと同一神で、ヒノハヤヒコが樋之速日命(ひのはやひのみこと)で、本当の神名がヒノハヤヒコ(樋之速彦;ひのはやひこ)で、甕速日命(みかはやひのみこと)の本当の神名がミカハヤヒコ(甕速彦;みかはやひこ)と考えられる。
タケミカツチの父神は、ミカハヤヒコで、甕(みか)の漢字が共通して、屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)と初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の親子の神格化して、2神が火の神様で、物部(もののべ)氏の血筋を証明した。
月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)と大宮姫道子(おおみやひめみちこ;誰を神格化したか不明)は、息子の活津彦根命(いくつひこねのみこと)を生んで、景行天皇(けいこう)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の息子の神櫛皇子(かんぐしのみこ)と稲背彦皇子(いなせひこのみこ)のどちらかを神格化した可能性がある。
神櫛皇子(かんぐしのみこ)と稲背彦皇子(いなせひこのみこ)を神格化した神様は、月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子として登場してなくて、可能性が高いが証明できてなくて分からない。
姉弟神の誓約(うけい)神話は、『ホツマツタエ』と『日本書紀』を基(もと)にして、僕の知識で神様の系図が求められる。
<参考文献>
『古代日本史への挑戦』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『続・私の半生と古代日本史』
著者・僕 発行・株式会社オカムラ
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
著者・宇治谷孟 発行・株式会社講談社
『古事記(上)(中)―全三巻―』
著者・次田真幸 発行・株式会社講談社
『完訳秀真伝(上巻)』
編著者・鳥居礼 発行・八幡書店
『ホツマ辞典』
著者・池田満 発行・ホツマ刊行会
インターネットの不明サイトから少々拝借
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