日本武尊(やまとたけのみこと)


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

日本武尊は、現在「やまとたけるのみこと」と発音するが、江戸時代以前の「記紀」の写本が全て「やまとたけのみこと」と書いて、「やまとたけるのみこと」が間違いで、古代から日本武尊(やまとたけのみこと)を祭る熱田(あつた)神宮もパンフレットに「やまとたけるのみこと」と書いて間違っている。
明治時代に『校訂古事記』で、なぜか「やまとたけるのみこと」と書いて、それを『日本古典文学大系』(発行・岩波書店)で採用して間違いを広めた事実があって、僕がこの著書で日本武尊を全て「やまとたけのみこと」と記す。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、偽装工作が確実に存在して、本当と嘘を見抜いて、確実に正しい歴史を再現して、「記紀」の嘘を作り上げた古代人の手腕に驚かされて、太陽神殺しの国賊である。
古代天皇家の時代の人物は、主役と端役の登場人物の誰を偽装工作したか求めて、本当と嘘を見抜いて、一から歴史を再現する必要があっても、実在した年代を固定して、背後関係を再構築する非常に難しい作業だが、20年以上も繰り返した僕だと簡単である。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、一人でそれだけの功績を作ったのが嘘で、複数の人間を一人にまとめたとか、適当な主張をする馬鹿が多く、神がかった僕の嗅覚を騙(だま)せず、僕の自論が絶対に破れない神技(かみわざ)である。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、特別扱いの皇子で、粗暴な面を持ちながら、武勲を立て続けて、父から冷遇されながら、東海平定の途中で亡くなった悲劇的英雄である。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)と天穂日命(あめのほひのみこと)と建御名方神(たけみなかたのかみ)に神格化して、開化(かいか)天皇と武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)と出雲振根(いずもふりね)に祖先化して、成務(せいむ)天皇と大碓命(おおうすのみこと)と同一人物である。
世界でただ一人の正しいことを求められる僕は、日本武尊(やまとたけのみこと)が悲劇的英雄として汚(けが)れ知らずに作って、兄弟に天皇や皇太子の立場と不倫の罪(つみ)や罰(ばつ)と逆賊などをなすり付けて、全てを隠して清廉潔白な人物像を生み出したが、神格化・祖先化・子孫化した人物を隠せなくて、全てを僕が求めた。

可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、「葦牙(あしか)」と「舅(じ)」が葦原中国(あしはらなかつくに;出雲王国)で、牙を剥(む)いた7代目出雲国王・飯入根(いいいりね)の舅(しゅうと)の日本武尊(やまとたけのみこと)と解釈できる。
可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)の可美(うまし)は、違う漢字の甘美(うまし)と共に出雲王国(物部(もののべ)氏)の関係者に使う名前で、日本武尊(やまとたけのみこと)が出雲との確実な関係が証明される。

素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)と伊弉冉尊(いざなみのみこと;日葉酢媛(ひばすひめ)を神格化)の末弟だが、正しく求めると兄の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子で、父の弟にして血筋を外(はず)した理由が禁忌の太陽神殺しである。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、日本武尊(やまとたけのみこと)と同じく粗暴で、父から冷遇されて、武勲を立てて、色々と共通して必然である。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、大人で髭(ひげ)が胸まで伸びても泣いて、垂仁(すいにん)天皇23年の誉津別命(ほむつわけのみこと)が素戔嗚尊(すさのおのみこと)そっくりに記して、日本武尊(やまとたけのみこと)の悪行を暴露した。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、姉の天照大神(あまてらすおおみかみ;伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)を殺して、天照大神(あまてらすおおみかみ)と倭姫命(やまとひめのみこと)が太陽神で共通して、太陽神殺しに当たって、日本武尊(やまとたけのみこと)の粗暴に当たる。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、蛇の八岐大蛇(やまたのおろち)を殺して、日本武尊(やまとたけのみこと)が伊吹山(いぶきやま)で毒蛇に咬(か)まれて、悲劇的英雄として死んで、天照大神(あまてらすおおみかみ)が古代に蛇体で、太陽神殺しの意味で共通する。
素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、出雲王朝の先祖とされて、日本武尊(やまとたけのみこと)の一人娘の布忍姫(ぬのおしひめ)が7代目出雲国王の飯入根(いいいりね)と結婚して、その直系子孫が現在の出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏である。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化した証拠など僕が幾らでも指摘できて、証拠がもっと多く存在する。

天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の息子だが、正しく求めると異母弟の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)の息子で、出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の先祖が日本武尊(やまとたけのみこと)の直系子孫だからである。
出雲神話に天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)が登場するのは、出雲王国(物部(もののべ)氏)の崩壊で、日本武尊(やまとたけのみこと)が戦死したためである。
日本武尊(やまとたけのみこと)と出雲の関係は、正しい史実を求められる僕からすれば、赤子の手を捻(ひね)る考え方である。

建御名方神(たけみなかたのかみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)の息子だが、正しく求めると飯入根(いいいりね)の義父の日本武尊(やまとたけのみこと)に当たる。
建御名方神(たけみなかたのかみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、武甕槌神(たけみかづちのかみ;初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)に負けて、島根県から長野県の諏訪湖(すわこ)まで逃げて、日本武尊(やまとたけのみこと)の父である景行(けいこう)天皇の曾孫が初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)で、長野県が日本武尊(やまとたけのみこと)の平定した土地として、明らかに共通する。
別の漢字の武南方神(たけみなかたのかみ)は、出雲の南西の熊襲(くまそ;南九州)を指して、日本武尊(やまとたけのみこと)が滅亡させた熊襲(くまそ)王国と解釈して、南の言霊(ことだま;言葉の魂)が宿って共通する。
日本神話を完全解釈する僕は、史実(邪馬台国(大和国;やまとこく)時代を含む)を神話化して、他の神々を記さないが、共通の特徴や系図を示して簡単すぎる。

開化(かいか)天皇(日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、日本武尊(やまとたけのみこと)が皇太子で、後に天皇になった事実のために作られた系譜で、武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)が皇位継承権争いを起こした逆賊の日本武尊(やまとたけのみこと)で、作られた人物である。
景行(けいこう)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化した孝元(こうげん)天皇と開化(かいか)天皇は、親子の妻を伊香色謎命(いかがしこめのみこと)で、日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫を事実として系図を作った。
弟橘姫(おとたちばなひめ)は、日本武尊(やまとたけのみこと)の妻で、正妻(皇后)に近い存在で、父の妻を寝取って正妻として、かなり危険な立場と考えられる。

武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、景行(けいこう)天皇を祖先化した孝元(こうげん)天皇の息子で、武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)と妻の吾田媛(あたひめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)の夫婦が皇位継承権争いを起こして、吾田媛(あたひめ)が戦死して、日本武尊(やまとたけのみこと)が東海平定で、弟橘姫(おとたちばなひめ)が従軍して水死した。
武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)の反乱は、伯母(おば)の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと;倭姫命(やまとひめのみこと)を祖先化)が事故死して、日本武尊が伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、太陽神殺しの意味になるのが正しく、互いに共通する。

出雲振根(いずもふりね;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、崇神(すじん)天皇60年の登場人物で、西暦260年神無月の出雲平定が史実(歴史上の事実)で、出雲振根(いずもふりね)が弟(正しくは婿(むこ)養子)で出雲梟帥(いずもたける)の飯入根(いいいりね)を騙(だま)し討ちで殺して、日本武尊(やまとたけのみこと)が出雲建(いずもたける)を騙(だま)し討ちで殺した話がそっくりで、完全な実話をたとえ話にした。
出雲振根(いずもふりね;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、筑紫(つくし;九州)に出かけて、日本武尊(やまとたけのみこと)が熊襲(くまそ;南九州)王国を滅亡した事実と重なって、古代天皇家の歴史を完全再現できる僕以外に誰も求められない。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、実母の播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)と実兄の大碓命(おおうすのみこと)がいて、異母兄弟に八坂高依媛(やさかたかよりひめ)の息子の成務(せいむ)天皇がいて、開化(かいか)天皇と武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)と同様に作られた系図で、どちらが作られたか簡単に求められた。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、『日本書紀』で別名を小碓尊(おうすのみこと)で、異母兄弟の成務(せいむ)天皇が稚足彦尊(わかたりひこのみこと)で、末名を「尊(みこと)」と「命(みこと)」と書き違える偽装工作があって、神名なら歴代の天皇と皇后と重要人物を神格化して、人名なら歴代天皇の即位前と国政執行した人物に限られて、僕しか気づけない真実だった。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、西暦251年(天皇不在の年)に皇位継承権争いで、皇族に認められない日本武(やまとたけ)天皇に強行即位して、出雲王国(物部(もののべ)氏)に亡命して、出雲王国の日本武(やまとたけ)天皇と息子で邪馬台国(大和国;やまとこく)の仲哀(ちゅうあい)天皇の2朝廷並列時代に突入して、仲哀(ちゅうあい)天皇9年神無月(西暦260年11月頃)の出雲王国の崩壊で戦死した。
この史実(歴史上の事実)は、特別扱いの皇子が皇太子で、日本武尊(やまとたけのみこと)が天皇として国政執行して、「記紀」以外の他書で日本武尊(やまとたけのみこと)を天皇と記す証拠で、異母兄弟の成務(せいむ)天皇が皇太子で、皇太子と特別扱いの皇子を作ったが、正体が同一人物で、簡単に答えを求められる。

父の景行(けいこう)天皇は、妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)との間に子をもうけて、神櫛皇子(かんぐしのみこ)と稲背彦皇子(いなせひこのみこ)の2皇子を生んで、どちらかが6代目出雲国王の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)だが、出雲との繋(つな)がりが分からず、3姉妹を宗像(むなかた)3神に神格化して、最低5人兄弟を生んだと考えられる。
『ホツマツタエ』で景行(けいこう)天皇の妻で、石上社(いしのかみやしろ)の五十杵(いそきね)の娘・五河姫(いかわひめ)は、神櫛皇子(かんぐしのみこ)と稲背彦皇子(いなせひこのみこ)を生んで、神櫛皇子(かんぐしのみこ)が讃岐国造(さぬきくにみやつこ;香川県の国主)の先祖で、稲背彦皇子(いなせひこのみこ)が播磨別(はりまわけ)の先祖である。
石上社(いしのかみやしろ)は、物部(もののべ)氏の神社の石上(いしのかみやしろ)神宮で、出雲王国(物部(もののべ)氏)の養子が弟橘姫(おとたちばなひめ)で、神櫛皇子(かんぐしのみこ)が讃岐国造(さぬきくにみやつこ;香川県の国主)で、讃岐(さぬき;香川県)が神櫛皇子(かんぐしのみこ)の異母兄弟で合致して、稲背彦皇子(いなせひこのみこ)の播磨別(はりまわけ)が日本武尊(やまとたけのみこと)の母の播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)と繋(つな)がる。
讃岐(さぬき)と播磨(はりま)は、景行(けいこう)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)を繋(つな)いで、言い逃れができない。
息子の日本武尊(やまとたけのみこと)は、父の景行(けいこう)天皇から妾(めかけ)の弟橘姫(おとたちばなひめ)を奪って、正妻として7人の息子をもうけて、一人が皇位継承者の蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)で、父の日本武尊(やまとたけのみこと)の皇位継承権争いで戦死した。
弟橘姫(おとたちばなひめ)は、景行(けいこう)天皇を祖先化した孝元(こうげん)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化した開化(かいか)天皇の妻の伊香色謎命(いかがしこめのみこと)に祖先化して、景行(けいこう)天皇と日本武尊(やまとたけのみこと)の親子の愛憎劇と血筋の混乱を2022年6月1日の午前5時45分頃に求めた。
日本武尊(やまとたけのみこと)は、父の景行(けいこう)天皇から冷遇されたのが妻を奪(うば)ったためで、同母兄の大碓命(おおうすのみこと)に不倫をなすり付けて、同母兄を作ることで、日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を隠して、偽装工作をうまく逸(そ)らしたが、僕に違和感を覚えさせた。
出雲王国(物部(もののべ)氏)の養子の弟橘姫(おとたちばなひめ)は、景行(けいこう)天皇との息子の彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)を6代目出雲国王で、その息子の飯入根(いいいりね)が日本武尊(やまとたけのみこと)の一人娘の布忍姫(ぬのおしひめ)を妻で、日本武尊(やまとたけのみこと)との息子の蘆髪蒲見王(あしかみかまみのみこ)が戦死して、弟橘姫(おとたちばなひめ)も戦死した。
血筋の混乱の偽装工作は、邪馬台国(大和国;やまとこく)と出雲王国(物部(もののべ)氏)の深い血縁と悲劇を隠して、見事に違和感を覚えない物語だが、超感覚の僕が嫌悪感バリバリで、ようやく尻尾(しっぽ)をつかんだ。
考えすぎかもしれないが日本武尊(やまとたけのみこと)は、弟橘媛(おとたちばなひめ)と不倫して、父の景行(けいこう)天皇と対立して、出雲王国(物部(もののべ)氏)に逃げて生活して、大和と出雲を行き来した可能性が考えられる。

景行(けいこう)天皇と皇后の播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)は、大碓命(おおうすのみこと)と日本武尊(やまとたけのみこと)を生んだが、播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)と大碓命(おおうすのみこと)が創作で、播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)に妹の稲日若郎姫(いなひわかいらつめ;弟橘姫(おとたちばなひめ)と同一人物)がいる。
天照大神(あまてらすおおみかみ;倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の弟の月読尊(つくよみのみこと;景行(けいこう)天皇を神格化)は、益姫持子(ますひめもちこ;播磨稲日大郎姫(はりまいなひのおいらつめ)を神格化)と天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)をもうけて、小益姫早子(こますひめはやこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を神格化)と宗像(むなかた)3神をもうけた。
天穂日命(あめのほひのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の直系先祖で、日本武尊(やまとたけのみこと)が出雲王国(物部(もののべ)氏)の深い血縁で、小益姫早子(こますひめはやこ)が素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)と不倫して、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の娘が宗像(むなかた)3神ともする。
天照大神(あまてらすおおみかみ;景行(けいこう)天皇を神格化)と素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)の娘の宗像(むなかた)3神は、日本武尊(やまとたけのみこと)が父から寝取った弟橘姫(おとたちばなひめ)が原因である。

大碓命(おおうすのみこと)は、父から神大根王(かみおおねのみこ)の娘2人を寝取って、姉の兄遠子(えとおこ)が押黒之兄日子王(おしくろのえひこのみこ)を生んで、美濃(みの;岐阜県)の宇沼須和気(うねすわけ)の先祖で、妹の弟遠子(おととおこ)が押黒弟日子王(おしくろのおとひこのみこ)を生んで、牟宜都君(むげつのきみ)の先祖で、景行(けいこう)天皇が息子を恨(うら)んだ。
彦坐王(ひこいますのみこ)の息子の神大根王(かみおおねのみこ)は、別名の八瓜入日子王(やうりいりひこのみこ)が八坂入彦命(やさかいりひこのみこと)と名前が似て、共通するように生み出したと考えられる。
大碓命(おおうすのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)は、弟遠子(おととおこ;弟橘姫(おとたちばなひめ)を祖先化)との間に押黒弟日子王(おしくろのおとひこのみこ;7人の息子の誰か)をもうけて、景行(けいこう)天皇の妻2姉妹が息子の大碓命(おおうすのみこと)妻2姉妹と合致すると考えられる。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、一夫多妻制に関係なく、父から妻を寝取った女性にだらしない女好きで、父から大きく恨(うら)まれて、それを感じさせない歴史書に騙(だま)されて、血筋の混乱と愛憎劇の偽装工作をひもといて、一気にイメージが崩れて、古代天皇家の一大スキャンダル(不祥事)である。
女性にだらしない好色家の日本武尊(やまとたけのみこと)は、歴史書から完全に抹消したが、僕が求めて一瞬でイメージが崩れて、皇位継承権争いの愛憎劇を繰り広げて、血みどろの戦争を起こした。
完全な論理的根拠で固めた日本武尊(やまとたけのみこと)は、英雄の武勇があっても、不倫に嫌悪感を抱(いだ)いて当然で、もう誰も信頼できない。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、景行(けいこう)天皇と本当の皇后・八坂高依媛(やさかたかよりひめ)の第一子で、皇太子でも女性にだらしなく、父から妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)を寝取って、熊襲(くまそ;南九州)王国を滅亡させて、東海平定に出発して、父が亡くなって奈良県に帰還して、息子2人と皇位継承権争いで負けて、出雲王国(物部(もののべ)氏)で政権奪取を謀(はか)ったが、破れて出雲で戦死した。
日本武尊(やまとたけのみこと)陵は、白鳥陵(しらとりのみささぎ)でも成務(せいむ)天皇陵でもなく、出雲か大和のどちらかも分からないが、奈良県なら大和(おおやまと)古墳群に間違いない。
悲劇的英雄の日本武尊(やまとたけのみこと)の末路は、女好きにお似合いの汚(けが)れたイメージで、前に日本武尊(やまとたけのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫を求めていたが、景行(けいこう)天皇の妃の誰が弟橘姫(おとたちばなひめ)か特定して、邪馬台国(大和国;やまとこく)と出雲王国(物部(もののべ)氏)の内情を考察して、日本武尊(やまとたけのみこと)のイメージが一掃された。
このように古代天皇家の人物は、日本神話の神々の誰に神格化して、一人を詳細に調査すれば、日本武尊(やまとたけのみこと)と同様にイメージがガラリと変わることもある。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、偽(いつわ)りの実母の播磨稲日大郎姫(はりまのいなひおいらつめ)と実兄の大碓命(おおうすのみこと)を作って、日本武尊(やまとたけのみこと)の不倫を大碓命(おおうすのみこと)になすり付けて、本当の母である八坂高依媛(やさかたかよりひめ)の長男の成務(せいむ)天皇が日本武尊(やまとたけのみこと)本人だが、異母兄弟と認識させて、日本武尊(やまとたけのみこと)を皇太子でないと思い込ませた。
弟橘姫(おとたちばなひめ)の不倫は、2022年6月1日以前から求めていたが、景行(けいこう)天皇の血筋が判明して、不倫が確信に変わって、弟橘姫(おとたちばなひめ)が大和で戦死したのを求めるきっかけになった。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、弟橘姫(おとたちばなひめ)との不倫が父の景行(けいこう)天皇にバレて大和を離れて、弟橘姫(おとたちばなひめ)の故郷の出雲で、二十年から三十年ほど滞在して、正妻として7人の息子をもうけて、景行(けいこう)天皇時代の日本武尊(やまとたけのみこと)の歴史を偽装工作して、悲劇的英雄として死なせて、年代をごまかして、太陽神殺しの逆賊の大罪を隠した。
しかし不倫が確定したことは、偽装工作のボロが大量に発覚して、逆に特定される事態をまねいて、『ホツマツタエ』が「記紀」以上に重要で、後世まで史料として残ることを知っていたような気さえする。

日本武尊(やまとたけのみこと)は、天皇と皇太子の立場を異母兄弟の成務(せいむ)天皇で、弟橘姫(おとたちばなひめ)との不倫を同母兄弟の大碓命(おおうすのみこと)や神格化した素戔嗚尊(すさのおのみこと)などに押し付けて、逆賊を祖先化した武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)などになすり付けて、汚(けが)れのない清廉潔白の人物の仮面を作り上げた。
しかし真実を再現した僕は、20年以上の歴史研究の成果を表して、本当と嘘を見抜いて、作られた人物の虚像と本性を再現して、「記紀」が隠した最悪の人物が天下の大罪人の日本武尊(やまとたけのみこと)で、本当の事実を公表した。
正史(正しい歴史)を再現できる僕は、偽装工作に騙(だま)されず、細かく隠した秘史を一つ一つ指摘して、ひもとける能力を持つ。

<参考文献>
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
インターネット

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