日本武尊(やまとたけのみこと)と出雲
天照大神(あまてらすおおみかみ)の子の天穂日命(あめのほひのみこと)は、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の父親で、天照大神が月読尊(つくよみのみこと)と入れ替わって、月読尊が景行(けいこう)天皇で、その息子の天穂日命が日本武尊で、その息子の天忍穂耳尊が仲哀(ちゅうあい)天皇を神格化して、その系図を「神格化された系図」の章に示している。
月読尊の月を読むとは、景行天皇の在位期間60年の年月(干支(えと)の一周)を読む意味で、天穂日命と天忍穂耳尊が「穂」の漢字が共通して、天忍穂耳尊が「忍」の漢字が仲哀天皇の在位期間が9年と短い意味で、それぞれにちゃんと意味がある。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は日本武尊を神格化して、その娘の須勢理比売(すせりひめ)が日本武尊の一人娘の布忍姫(ぬのおしひめ)を神格化して、須勢理比売が大国主神(おおくにぬしのかみ)と結婚して正妻になって、大国主神が出雲系譜の飯入根を神格化している。
出雲振根(いずもふりね)は日本武尊を祖先化して、出雲振根が弟の飯入根を殺したとされるが、日本武尊が婿(むこ)養子で7代目出雲国王の飯入根を殺して、飯入根の息子の盧濡渟(うかずくぬ)が母を布忍姫で、盧濡渟が出雲大社宮司家の千家(せんげ)氏の直系先祖で、日本武尊も千家氏の直系先祖と考えられる。
盧は「盧へん」に鳥の漢字で、ホームページで表示できるが注意書きにする。
『日本書紀』で出雲振根は弟の飯入根を殺して、飯入根が出雲梟帥(いずもたける)と記されて、『古事記』で日本武尊が出雲建(いずもたける)を殺して、出雲振根と飯入根が日本武尊と出雲建の話とそっくりで、日本武尊と飯入根が義理の親子関係で説明できる。
出雲振根は筑紫(つくし;九州)に行ってと記されて、日本武尊が熊襲(くまそ;南九州)王国を滅ぼしていて、九州つながりで説明できる。
神様の天穂日命の直系子孫は千家氏で、素戔嗚尊と天穂日命が日本武尊を神格化して、日本武尊が千家氏の直系先祖で間違いなくて、素戔嗚尊が出雲系譜の千家氏の直系先祖で、素戔嗚尊が出雲王朝の先祖とされる考え方が間違っていない。
素戔嗚尊(日本武尊)の一人娘の須勢理比売(布忍姫)は、大国主神(飯入根)の正妻で、大国主神の息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)が盧濡渟を神格化して、須勢理比売の息子の事代主神とする系譜をワザと隠したが、素戔嗚尊(日本武尊)の孫が事代主神(盧濡渟)で、千家氏が日本武尊の直系子孫で間違いない。
大国主神の息子の建御名方神(たけみなかたのかみ)は日本武尊を神格化して、武甕槌神(たけみかづちのかみ)に神格化された初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)に負けて、長野県の諏訪湖(すわこ)まで逃げて降伏するが、日本武尊が東海平定で長野県を制圧したとされて、景行天皇の息子が日本武尊で、景行天皇の曾孫が初代・武内宿禰で、日本神話と史実が合致する。
このように素戔嗚尊の八岐大蛇(やまたのおろち)退治や天穂日命と大国主神などの出雲の国譲り神話に何の根拠もないわけでなく、僕の求めた古代天皇家の歴史は何の確証もなく成立しない。
むしろ論理的根拠がありすぎて、僕のホームページを何の根拠もなく架空の推論と思っていた者が馬鹿である。
日本武尊は父の景行(けいこう)天皇が崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)した時、東海平定に出かけていて皇太子の日本武尊が不在で、皇位継承権争いが起こって大和に戻って、結果的に叔母(叔母)の倭姫命(やまとひめのみこと)を殺して、三種の神器をそろえて日本武(やまとたけ)天皇に強行即位するが皇族に認められず、最終的に出雲王国に亡命した。
日本武天皇(出雲王国)と息子の仲哀(ちゅうあい)天皇(邪馬台国)の対立は、両天皇の皇位継承権争いで「記紀」の最大の秘史として抹消されて、『魏志倭人伝』と合致できないように巧妙に偽装工作して、後世の人間がひもといてくれることを願って封印された。
僕がひもといた古代天皇家の歴史の真実は、日本武尊という英雄で逆賊でもある人物を求めて、出雲王国(物部氏)と邪馬台国(古代天皇家)の抗争が分かった。
日本武尊を隠すために色々と偽装工作しても、それをかぎ分けるアインシュタイン博士以上の超天才の僕はだませず、完全な秘史を再現して真実を求められた。
日本武尊(素戔嗚尊;天穂日命:建御名方神)などは出雲王国(物部(もののべ)氏)と深い関係で、抹消された出雲の歴史をひもとく大いなるヒントである。
<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『日本書紀(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『日本の神様読み解き事典』
川口謙二・編著者 柏書房株式会社・発行
インターネットの不明サイトから少々拝借
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