八咫烏(やたがらす)の末裔(まつえい)の話
ユーチューブのTOLAND VLOGの『騒ぎになる可能性があります。あくまで自己責任でご覧ください。』と『【八咫烏】伊勢の語り部が隠され続けた日本の歴史について語ります。』の2つは、秘密結社の八咫烏(やたがらす)の末裔(まつえい)で、伊勢の語り部の松田光世(まつだみつよ)氏が語られて、2024年6月22日の午前11時半頃から記録して、午後11時頃に記録し終えた。
松田光世(まつだみつよ)氏は、菅直人(かんなおと)元首相の秘書で、旧民主党の立ち上げからの関係者で、自分の明かせない経歴を当時の政治家たちにもしゃべらず、皇室の機密事項を守って、自分で公表しようと動かれて、天皇陛下が皇室の法律・・・皇室典範の男系男子天皇の書き換えを望まれて、今の世論を後押しする必要がある。
GHQは、皇位継承を4親等から2親等にして、旧宮家を全て排除して、ゆるやかに皇室を滅亡させて、国民の反感をすり替えたが、愛子様を女性天皇にするため、女性天皇と女系天皇と女性宮家などが必要で、僕が女系男子天皇を主張して、皇室や宮内庁だけでなく、日本国政府や国民レベルで、革命を起こす必要がある。
皇嗣(こうし;皇太弟)の秋篠宮様は、昔から上皇様の実子でなく、不義の子の噂(うわさ)があって、今の皇室会議で、秋篠宮様の廃嫡(はいちゃく;嫡流を継ぐ相続権を廃すること)が決まって、妻の紀子様が警察庁などと問題を起こして、息子の悠仁(ひさひと)様が皇族でない結論で、本当か嘘(うそ)か不明の爆弾発言で、今後に結論が出るだろう。
歴史上の伊勢の語り部は、実在の初代の崇神(すじん)天皇が命令して、先祖代々に渡って、天皇家の正統性を語り継いで、出雲王国(物部(もののべ)氏)の系統・・・出雲の語り部もいるはずで、伊勢と出雲の2系統の語り部がいて、松田光世(まつだみつよ)氏が出雲の語り部を知らず、第二次世界大戦で本家が途絶えて、松田光世(まつだみつよ)氏が分家の伊勢の語り部で、出雲の方の事情が分からない。
伊勢の語り部は、伊勢神宮の氏子(うじこ)で、出雲の語り部が出雲大社の氏子(うじこ)と考えられて、靖国神社の氏子(うじこ)などもいて、伊勢と出雲などが互いに協力して、情報や知識を共有して、研究・分析をすることが大切である。
松田光世(まつだみつよ)氏は、三重県津市香良洲町(からすちょう)生まれで、香良洲町(からすちょう)に暮らす八咫(やた)族で、八咫烏(やたがらす)と呼ばれて、三重県津市が北から敵が来て、伊勢市を守る位置で、ある種の守りの拠点と考えられて、本家が途絶えて、松田光世(まつだみつよ)氏の祖父が伊勢の語り部の分家を継いで、伝承を世に出さなかったが、今回に公表された。
松田光世(まつだみつよ)氏は、皇室の男系の正統性を語り継いで、その正統性を天皇陛下が主張して、崇神(すじん)天皇からの男系が武烈(ぶれつ)天皇で途絶えて、仲哀(ちゅうあい)天皇の正妻で、母方の天照大神(あまてらすおおみかみ;神功(じんぐう)皇后)の子孫の継体(けいたい)天皇が即位して、崇神(すじん)天皇からの男系子孫が継体(けいたい)天皇で、その直系子孫が今の皇室で、女系男子天皇も継承した。
作者・尾田栄一郎氏のアニメのONE PIESEは、アニメオタクの僕が全く興味ないが、アニメの3大テーマが受け継がれる意思と時代のうねりと人の夢で、松田光世(まつだみつよ)氏が50年ほど前の小4の時に祖父が亡くなって、祖父より3大テーマを聞いて、アニメが27年前に執筆し始めて、作者の尾田栄一郎氏が出雲の語り部の系統と考えられる。
松田光世(まつだみつよ)氏の祖父は、語り部の基本が普通に言って、ごくごく初歩的な言葉が言(こと)の葉(は)で、想(おも)いを伝える物が手を重ねた時、その上に自分の想(おも)いを乗せて、それを相手に届けるのが語り部の基本で、想(おも)いをどれだけちゃんと強く乗せるかで、全く違って、想(おも)いの乗った言葉が言霊(ことだま;言葉の霊魂)である。
どれだけ受け継がれた意思は、人が常に夢を持ち続けて、その思いの強さで、時代のうねりを捕らえることも大事だが、時代のうねりを作り出すぐらいの力強さがないと、本当に変わらなくて、受け継がれる意思が先祖の歴史や生き方や生き様をしっかり繋(つな)いで、自分の夢を乗せて重ねて、届けて時代のうねりを作って、自分たちでやるのが大切である。
松田光世(まつだみつよ)氏は、最近に自分で確信を持って、今年のゴールデンウィークにパンデミック条約に対するパブリックコメントをして、18万人以上の署名が集まって、たった2週間で集まって、色々な人の想(おも)いが集まって、想(おも)いの言葉の強さが日本人・・・日(ひ)の本(もと)の国で、細石(さざれいし)の巌(いわお)となって、一人一人の想(おも)いが小石から、皆の意志を集めて、大岩になって、世界が一人一人の言葉やエネルギーや想(おも)いで変わって、大きな一歩になった。
聖徳太子の遺言(ゆいごん)は、推古(すいこ)天皇までの歴史を語り継いで記録せよで、遺言(ゆいごん)を天智(てんじ)天皇が見つけて、伊勢の語り部の稗田阿礼(ひえだのあれ)が語って聞かせて、太安万侶(おおのやすまろ)が記録して、『古事記』が完成したが、正しい筋書きか疑問で、この2人以外にも第3者が『古事記』を編集したのが事実である。
推古(すいこ)天皇は、初めての女性天皇で、その後も男系男子天皇が続いて、書物に残さずに語り継ぐのが聖徳太子の遺言(ゆいごん)で、それを守るのが松田光世(まつだみつよ)氏のような伊勢の語り部の役目である。
蘇我馬子(そがのうまこ)は、推古(すいこ)天皇の兄の崇峻(すしゅん)天皇を暗殺して、天皇を暗殺した蘇我(そが)氏を牽制(けんせい)して、どうやって推古(すいこ)天皇を守って、男系の皇室を存続するか、聖徳太子が気を使って、聖徳太子の第二夫人に蘇我馬子(そがのうまこ)の娘をもらったが、推古(すいこ)天皇の在位が36年間で、聖徳太子も蘇我馬子(そがのうまこ)も先に亡くなった。
蘇我馬子(そがのうまこ)と蝦夷(えみし)と入鹿(いるか)の3世代は、平城京の時代に奈良を領土に寄こせと求めて、都(みやこ)を蘇我(そが)氏の物にして、蘇我(そが)氏が仏教を国教にしろと要求して、聖徳太子が17条憲法の三宝(神道と仏教と儒教)としたが、蘇我(そが)氏の派閥が三宝を仏と法と僧に置き換えて、聖徳太子が亡くなって、4年後に蘇我馬子(そがのうまこ)も亡くなって、大権を使えなかった。
松田光世(まつだみつよ)氏の語り継ぐ内容は、欽明(きんめい)天皇の娘が推古(すいこ)天皇だが、推古(すいこ)天皇の息子が欽明(きんめい)天皇でもあって、宮家として続くように天皇家の系図で見えて、そういう形で宮家の男子と男系の女性天皇の子供が男系で続いて、推古(すいこ)天皇から欽明(きんめい)天皇に代替わりして、今の現実が天皇陛下の子供が愛子様だけで、次の皇位継承に色々な可能性を考えるヒントになる。
去年に上皇様が中心で動かれて、旧宮家から年頃の男性4人を選んで、愛子様とお見合いして、一人に絞(しぼ)り込んで、年明けから様子見したらしく、時代の流れの中で、皇室の正統な血筋を残すための動きで、本当の情報らしい爆弾発言である。
天皇家の支持率は、戦後に一貫して85%で、自民党の支持率がせいぜい30%で、小泉元首相が愛子様を女性天皇にするため、皇室典範の書き換えを要求して、ずっと自民党が検討中で、またも検討中と先延ばしにして、上皇様が我慢できずに生前退位して、自民党が男系男子天皇を否定して、僕の女系男子天皇の主張を受け入れて、国民や世界中の人々の意見を尊重すべきである。
松田光世(まつだみつよ)氏は、生まれ故郷の三重県津市香良洲町(からすちょう)の八咫(やた)族が古代イスラエルのユダ族の可能性を伝えて、全国の八幡(やはた)神社が一万一千社ぐらいあって、京都市の八坂神社が八幡(やはた)神社のトップとするらしく、八幡(やはた)神社を作ったのが渡来氏族の秦(はた)氏である。
京都市の上賀茂(かみがも)神社と下鴨(かみがも)神社は、天孫系と出雲系の賀茂(かも)氏が同一氏族で、八咫烏(やたがらす)の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと;葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を神格化)が物部(もののべ)氏で、賀茂(かも)氏が京都市の北側を守って、秦(はた)氏が京都市の南側を守って、平安京が遷都された時にその体制が作られた。
平安京の遷都は、祇園(ぎおん)の町の中心に八坂神社と清水寺(きよみずでら)を作って、神仏混淆(しんぶつこんこう;神道と仏教を一つにすること)が奈良に遷都した時、春日(かすが)大社と法隆寺が一組で、並列して作って、神道の神社と仏教の法隆寺が並列して作る考え方が聖徳太子の17条憲法の三宝(神道と仏教と儒教)を大切にして、和(なご)みと合わせて、神仏混淆(しんぶつこんこう)の教えを定着させて、これが日本の伝統である。
聖徳太子は、奈良に法隆寺を建てて、大阪に四天王寺を建てて、色々な所に寺を建てて、神道と仏教が互いに生き残るため、和合(わごう;二つの物をまぜ合わせること)させて、キリスト教や儒教など、他の宗教も和合(わごう)して、和(わ)が大和(やまと)の漢字でつながって、言霊(ことだま;言葉の霊魂)などのつながりを作る。
『日本書紀』応神(おうじん)天皇14年2月は、安康(あんこう)天皇9年2月(西暦403年3月頃)が正しくて、百済(くだら)から来た弓月君(ゆづきのきみ)が秦(しん)の始皇帝(紀元前246年即位)の五世孫と名乗って、年代が全く合わないが、渡来系の秦(はた)氏の直系先祖で、前方後円墳の誕生がもっと前で、僕の特定した年代が正確である。
秦(はた)氏は、間違いなく養蚕(ようさん)を伝えて、蚕(かいこ)で機織(はたお)りして、羽田孜(はたつとむ)元首相と元大臣の畑英二郎(はたえいじろう)氏に秦(はた)氏との関係を聞いて、羽田孜(はたつとむ)氏が長野県の秦(はた)氏の系統で、長野の養蚕(ようさん)を地元の産業にして、畑英二郎(はたえいじろう)氏が秦(はた)氏か分からなくて、最初の動画を終わる。
2つ目の動画は、伊勢神宮の内宮が太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)で、外宮が女神の豊受大神(とようけおおかみ)だが、男神(おがみ)の天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)でもあって、男神(おがみ)の豊受大神(とようけおおかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)と男神(おがみ)の天之御中主尊(あまのみなかぬしのみこと;崇神(すじん)天皇を神格化)が実の兄弟を神格化して、絶対に同一神でない。
三重県の人間は、伊勢神宮の内宮と外宮を参拝して、片方を参拝するのが片参(かたまい)りと言って良くないことで、三重県の人間の常識で、伊勢神宮の外宮を先に参拝して、内宮を後に参拝するのが普通だが、僕が伊勢神宮の内宮を先で、外宮を後に参拝したのが2回共である。
日本神話は、天孫系の天津神(あまつがみ)と出雲系の国津神(くにつがみ)に二分して、八咫烏(やたがらす)の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと;葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を神格化)が国津神(くにつがみ)の物部(もののべ)氏だが、物部(もののべ)氏の賀茂(かも)氏が古代天皇家の天津神(あまつがみ)の賀茂(かも)氏と同族である。
葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)は、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の孫で、初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)の曾祖父が景行(けいこう)天皇で、天津神(あまつがみ)と国津神(くにつがみ)が複雑に混血して、日本神話の神々を完全に特定した僕からすれば、証明が簡単である。
日本神話の天津神(あまつがみ)は、古代天皇家の血筋で、紀元前772年に北イスラエル王国が滅亡して、ユダヤ人が敵対国アッシリアの囚人(しゅうじん)になって、日本の天津神(あまつがみ)がたまたまイスラエルに行くと、国王らが囚人(しゅうじん)で連れ去られて、天津神(あまつがみ)が捕まったユダヤ人を日本に連れ帰って、ユダヤ人の失われた十二支族(じゅうにしぞく)だと言う。
元々のユダヤ人は、浅黒い肌で、黒髪に黒目の民族で、遺伝的に縄文人に近い人種の遺伝子が確認されて、縄文人が中東のメソポタミア文明のシュメール人と合致するなど、本当か嘘(うそ)か超古代文明的な話になって、古代天皇家が世界中を航海して、巡ったともつながって、決して簡単に語れない。
天津神(あまつがみ)が助け出した北イスラエル王国の王様は、東の日本で平和な国を作るから、東を目指せと言い残して去って、それが旧約聖書の約束の地で、長い航海でようやく日本に着いた時、王様が航海中の日焼けすごくて、体が真っ赤で、熱射病のようになって、死にかけて動けなくなった。
そこにたまたま通りがかった大国主神(おおくにぬしのかみ)は、北イスラエル王国の王様が因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)で、蒲(がま)の油を切り裂(さ)いて、全身に塗(ぬ)って、落ち着けたのが嘘(うそ)で、紀元前772年でなく、仲哀(ちゅうあい)天皇元年(西暦260年)に白兎(しろうさぎ;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)が大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)に助けられて、よく似た話を神話化した結論が正しい。
北イスラエル王国の王様の妹は、白兎(しろうさぎ)が仲介した八上比売(やがみひめ)で、大国主神(おおくにぬしのかみ)と結婚して、王様が助かって瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と名付けられて、白兎(しろうさぎ)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が同一人物で、ユダヤ人と古代天皇家が同一氏族と言うが、皇室にユダヤ人の血筋が確実に入ってない。
白兎(しろうさぎ;日本武(やまとたけ)天皇を神格化)の義理の息子は、7代目出雲国王の大国主神(おおくにぬしのかみ;飯入根(いいいりね)を神格化)で、日本武(やまとたけ)天皇の孫が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)で、日本神話を滅茶苦茶に解釈した凡人(僕以外の人間)の馬鹿話である。
神武(じんむ)天皇元年1月1日(紀元前660年2月11日)は、北イスラエル王国が滅亡した紀元前722年との関連が指摘されて、干支(えと)の60年周期で、約60年繰り下がって、日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が共通の先祖を持つ説)の根拠で、6世紀前半の西暦525年にヨーロッパで西暦年ができて、『ホツマツタエ』が6世紀から7世紀中に西暦年を組み込んで完成して、共通性を指摘して当然である。
縄文人は、南米エクアドルのバルディビア土器を作って、海を渡った説があって、5500年前頃に鹿児島県の大隅半島南部で、鬼海カルデラの噴火が起きて、西日本の一帯が火山灰をかぶって、農耕ができず、縄文人が世界中に海を渡った説があって、鹿児島県の隼人(はやと)が海外から戻った民族でなく、景行(けいこう)天皇57年12月頃(西暦258年1月頃)に滅亡した熊襲(くまそ)王国(狗奴国;くぬこく)の子孫で、僕が考古学的にも関連性を示した。
揚子江(ようすこう)近くの稲作文化の発祥地は、弥生人と関連性があるようで、インド南東部のタミル族の言語が日本語に近いと指摘して、遺伝子人類学で、ヘテロタイプDが日本人に一番多くて、イスラエルでなく、パレスチナ人が同じDタイプで、外国でも言葉が違っても、想(おも)いが言霊(ことだま;言葉の霊魂)で通じて、伝えられると言う。
天界の高天原(たかまがはら)は、三重県多気郡(たきぐん)大台町(おおだいちょう)から奈良県の県境(けんざかい)を越えて、そこらを大台ヶ原(おおだいがはら)と呼んで、三重県と奈良県の間を高天原(たかまがはら)と言って、天津神(あまつがみ)が古代天皇家だから、奈良県や熊野古道や八咫烏(やたがらす)などに関係して、八咫(やた)族がユダ族につながって、北イスラエル王国にもユダ族がいて、南ユダ王国とユダ族が一致するわけでなく、ユダヤ人と日本人を結び付ける可能性もある。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと;誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を神格化)は、船で日向(ひうが;宮崎県)に行って、饒速日命(にぎはやひのみこと;彦坐王(ひこいますのみこ)と初代・武内宿禰(たけのうちのすくね)を神格化)が奈良県にいて、神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)と長髄彦(ながすねひこ;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を祖先化)が異母兄弟で、2人が同族の印象を受けてもおかしくない。
神武(じんむ)天皇(仁徳(にんとく)天皇を祖先化)と長髄彦(ながすねひこ;大山守皇子(おおやまもりのみこ)を祖先化)は、異母兄弟で、共通の祖母の神功(じんぐう)皇后が国津神(くにつがみ)の物部(もののべ)氏で、古代天皇家が天津神(あまつがみ)で、天津神(あまつがみ)と国津神(くにつがみ)の混血がややこしい。
京都府宮津市の元伊勢籠(この)神社は、奥宮の真名井(まない)神社に六芒星(ろくぼうせい)のダビデの星を記して、伊勢神宮の内宮と外宮を結ぶ参宮街道(さんぐうがいどう)の石灯籠(いしどうろう)に菊の紋(もん)と六芒星(ろくぼうせい)があって、ユダヤのシンボルを入れて、都市伝説の日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が同じ一族の説)に信憑性(しんぴょうせい)が生まれる。
日本語のカタカナと古代ヘブライ語は、ほとんど一緒で、同じ文字を使ったようで、八幡(やはた)神社がヤハウェを指して、八咫烏(やたがらす)も「や」で通じて、八咫鏡(やたのかがみ)にヘブライ語が書かれた都市伝説などがつながる。
卑弥呼(ひみこ)は、倭国大乱(わこくたいらん)を終戦したのが嘘(うそ)で、垂仁(すいにん)天皇5年から7年(西暦156年から158年)に2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)が皇位継承権争い(倭国大乱;わこくたいらん)を起こした。
卑弥呼(ひみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)は、垂仁(すいにん)天皇25年(西暦176年)に伊勢神宮の斎王(さいおう;太陽神に仕(つか)える未婚の皇女)になって、神道(鬼道)の祭りをして、政治を男弟(だんてい;異母弟)の景行(けいこう)天皇がして、古代天皇家の天津神(あまつがみ)と物部(もののべ)氏の国津神(くにつがみ)が混血した。
中東のメソポタミア文明は、シュメール人の言葉や言語などが日本と共通して、シュメール・アミゴッドが天皇(すめらみこと)と共通すると言われて、天津神(あまつがみ)の首長を天皇(すめらみこと)と呼んだらしく、メソポタミア文明が十六菊花門(きっかもん)を彫刻して、シュメール語が日本語と同じ膠着語(こうちゃくご)を使って、エジプト文明やイランやイラクにも、イスラエルのヘロデ王の壁画などにも、菊花門(きっかもん)があって共通する。
伊勢神宮の内宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)は、恵(めぐ)みや平和の神で、外宮の男神(おがみ)の豊受大神(とようけおおかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)が荒(あら)ぶる神(武神)で、彦坐王(ひこいますのみこ)が大阪府と奈良県と京都府と兵庫県と鳥取県と島根県を平定した武将だからである。
男神(おがみ)の天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと;崇神(すじん)天皇を神格化)は、荒(あら)ぶる神(武神)でなく、同一神とする豊受大神(とようけおおかみ;彦坐王(ひこいますのみこ)を神格化)が武神で、素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)も荒(あら)ぶる神(武神)である。
「記紀」論争は、『古事記』と『日本書紀』のどちらが正史(正しい歴史)かの論争だが、両方とも正しくて、『日本書紀』の3分の1くらいが朝鮮半島の歴史で、『日本書紀』が出雲神話を省略して、互いの正しさを完全解釈した僕が証明した。
皇室のご料林の吉野杉は、伊勢神宮内宮の正殿の木材で、200年計画で杉林を作って、それを大阪万博に使って、皇室の財産をGHQが国有財産に変えて、色々な利権が絡(から)んで、勝手に杉林を切って、全国の森林で負担できるか分からなくて、全国の神社仏閣が修繕や建て替えが問題になった。
このような問題は、奈良県の吉野杉だけでなく、飛騨(ひだ;岐阜県北部)のご料林などもあって、世の中の人々に分かりにくくて、全国の大きな神社の建て替えに昔が国費を使って、GHQが日本国政府に神道へお金を使うなと憲法で命令して、明治時代や大正時代に普通にしたことを戦後に禁止して、伊勢神宮と出雲大社の建て替えを国費でできなくて、資金集めをする現状である。
日本の建国(天皇家誕生)1940年目の今年は、皇位継承権争いを何度も起こして、外国と大きな戦争をしたのが日清戦争より後で、それまで農業をして、平和な日本国を守る必要がある。
<参考文献>
インターネットの不明サイトから少々拝借
https://www.youtube.com/watch?v=ihf3Q60qjJ0
https://www.youtube.com/watch?v=t00_MufgHjA
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