黄泉国下(よみのくにくだ)り神話


これは出版していない3冊目の本の記述である。
『記紀』の原文を青字、僕の解釈を赤字、僕の説明文を黒字で記す。

するとハナキネは、民の大切な御山木(みやまぎ)まで焼いてしまわれた。
母君(イサナミ)は、それをお防ぎになろうと、火の神のカグツチを勧請(かんじょう)したが、逆にその火の神に御身を焼かれてしまって、お亡くなりになった。
イサナミは、まさに神上がろうとする時、土の神のハニヤス、水の神のミズハメ、火の神のカグツチを勧請して、ハニヤスがワカムスビを請求して、ワカムスビが養蚕・農耕をお広めになった。
これらは、皆が天界より授かったウケミタマの神々である。
イサナミの亡骸(なきがら)は、熊野の有馬にお納(おさ)めして、季節の花と稲穂(いなほ)を供(そな)え祭った。


花杵(はなきね;素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)でなく、火夜子(ひよるこ;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)を稲城(いなき)から避難させた伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)は、火の神で実兄の軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)のいる稲城(いなき)に戻ると、兄妹共に炎上する城で焼死した。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、亡くなって魂が天界に行こうとする時、土の神の埴安神(はにやすのかみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化か?)と水の神の罔象女(みつはのめ;誰を神格化したか不明)と火の神の軻遇突智(かぐつち)を願い求めて、埴安神(はにやすのかみ)が稚産霊(わくむすび;誰を神格化したか不明)を求めて、稚産霊(わくむすび)が養蚕と農耕を広めた。
これらの神は、皆が天界より授かった倉稲魂命(うかのみたまのみこと;誰を神格化したか不明)の神々である。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)と兄の軻遇突智(かぐつち)の魂は、三重県熊野市有馬の花の窟(いわや)神社に納(おさ)めて、季節の花と稲穂(いなほ)を供(そな)え祭った。


狭穂彦王(さほひこのみこ)と狭穂姫(さほひめ)の兄妹は、反乱の最終決戦の地である三重県熊野市の炎上する稲城(いなき)で亡くなって、遺体が燃え残らなくて、2人を神格化した母の伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)と息子の軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)を葬礼した花の窟(いわや)神社に魂を祭った。
稚産霊(わくむすび)は、農耕の神で、後世に食事を受け持つ豊受大神(とようけおおかみ)が男性から女性に代わって、稚産霊(わくむすび)の娘を豊受大神(とようけおおかみ)としたのが後世の拡大解釈である。
土の神の埴安神(はにやすのかみ;日本武尊(やまとたけのみこと)を神格化)は、武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと;日本武尊(やまとたけのみこと)を祖先化)と合致して、埴安神(はにやすのかみ)を含む3神が倉稲魂命(うかのみたまのみこと)とどのような関係があるのか資料が少なすぎて分からない。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)の神生み神話は、5神以外の神々が後世の拡大解釈が子供で、本当の所が神々を呼び出した。

ココリヒメは、悲報を親族にお知らせになった。
イサナキは、その悲しい知らせをお聞きになると、イサナミをお納(おさ)めした山の洞(うろ)まで行かれて、イサナミにお会いになろうとした。
イサナキの妹のココリヒメは、『君よ、ご覧になってはいけません』とお止め申し上げたが、イサナキがそれをお聞きにならず、『悲しいから来たのではないか、この気持ちが分からぬか』とおっしゃって、ユツの黄楊櫛(つげぐし)の雄取(をと)り歯を折られ、それを手火(たび)として、イサナミの亡骸(なきがら)をご覧になった。
するとイサナミのお体は、蛆(うじ)がたかって、『なんと醜いことであろう。汚(けが)らわしい』と、悲嘆(ひたん)にくれながら足を引き引き、坂道を下ってお帰りになって行かれた。
しかしまだ未練のあるイサナキは、その夜また洞(うろ)に行かれて、イサナキが悲しみのあまり気を失ってしまわれると、亡くなったはずのイサナミの御神霊が顕(あら)われて、『ここにはお入れしません。わたくしに恥をかかせましたことを恨(うら)みに思います』とおっしゃって、醜女(しこめ)八人にイサナキを追わせた。
イサナキは、必死になって持っていた剣を振りながら逃げて、葡萄(えび)を投げると、卑(いや)しい醜女がそれを取って食べて、イサナキがその隙(すき)を見てお逃げになると、醜女(しこめ)が再び追って来た。
今度は、竹の櫛(くし)を投げると、醜女(しこめ)たちがこれもまた噛(か)んで追って来るので、イサナキが近くにあった桃の木にお隠れになり、桃の実を投げて、桃の実のゆかしい力が照り輝くと、醜女(しこめ)たちが恐れ退(しりぞ)き、酔ったようにふらふらになってしまった。
これによって櫛(くし)は、魔を払う黄楊(つげ)をよしとして、桃の名も追う神(かん)つ実(み)と讃(たた)えたのである。
幽界に入り込んでいらっしゃったイサナキは、正気を取り戻された時、黄泉(よもつ)の平坂(ひらさか)でイサナミと言立(ことだ)ちをされた。
イサナミがおっしゃるには、『うるわしき君よ、もしも妻の死を追って来るようなことがあれば、日々千人を殺すでありましょう』と。
するとイサナキは、『うるわしきお前よ、私は、それ以上の千五百(ちいも)の小田(おだ)を生む民を豊かにして、悲しみにまどわされいつまでもくよくよせずに、生をまっとうし過(あやま)ちのないことを守りとおすであろう。
黄泉(よもつ)の洞(うろ)の平坂(ひらさか)は、わたしが息絶えている間の過ちを塞(せ)き止める限り岩だ。
わたしはこれらのことを誓い、道をひき返す道返(ちかえ)しの神であるぞ』と。
イサナキは、今までのことを悔(く)やみながら引き返して行かれたのであった。


軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)の娘の菊桐姫(ここりひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)は、伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)の死を皇族に知らせた。
その知らせを聞いた伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)は、亡くなった妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)に会うために稲城(いなき;山の洞)まで行って、伊弉冉尊(いざなみのみこと)に会おうとした。
菊桐姫(ここりひめ)は、『君よ、行ってはいけません』と止めたが、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)がそれを聞かず、『妻が亡くなって悲しいから来たのだ、この気持ちが分からないのか』と言われて、湯津(ゆつ;心身を清めて祭り付く)の櫛(くし)の両脇にある太い歯を折られて、それを手に持つ灯火(ともしび)で、伊弉冉尊(いざなみのみこと)のいる所に向かわれた。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の焼死体を見て、遺体が消し炭(ずみ)に包まれて、『なんと醜く汚らわしい』と悲嘆にくれながら足を引いて、稲城(いなき;山の洞)の坂道を下って帰られた。
妻子を取り戻したい未練のある伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、再び稲城(いなき;山の洞)に行かれて、悲しみのあまり立ちつくされると、夫の元を去ったはずの伊弉冉尊(いざなみのみこと)が我が子の火夜子(ひよるこ;誉津別命(ほむつわけのみこと)を神格化)を抱いて現われて、『もしこの子を天皇の子と思うなら引き取ってお育て下さい』と言って、夫の寵愛(ちょうあい)を受けて、恨(うら)んでいなかった。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、妻子を取り戻すために力強く足の速い兵士(醜女(しこめ)8人)を選んで、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が抱いた火夜子(ひよるこ;剣)を受け取った兵士(醜女(しこめ)8人)が伊弉冉尊(いざなみのみこと)も捕らえようとすると、逃げられて髪(葡萄(ぶどう);「えび」の名称が古名)を握(にぎ)るとそれが取れて、その隙(すき)に伊弉冉尊(いざなみのみこと)が逃げて兵士(醜女(しこめ)8人)が再び追って来た。
兵士(醜女(しこめ)8人)は、今度が手(竹の櫛(くし)を握(にぎ)ると、手に巻いた玉の緒が切れて、伊弉冉尊(いざなみのみこと)のお召し物(桃の木)を握(にぎ)ると、すぐに破れて、兵士(醜女(しこめ)8人)たちがついに伊弉冉尊(いざなみのみこと)を捕らえられず後悔した。
これによって櫛(くし)は、魔を払う黄楊(つげ)を良(よ)しとして、桃の名も追う神(かん)つ実(み)と讃(たた)えた。
稲城(いなき;山の洞)は、炎上して正気を取り戻された伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が稲城(いなき;山の洞)の外の坂道(黄泉(よもつ)の平坂(ひらさか)で、妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)と言葉を交わして言って、『うるわしき君よ、もしも妻の死を追って来れば、日々千人を殺すでしょう』と。
すると伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、『うるわしきお前よ、私はそれ以上の千五百の小田を生む民を豊かにして、悲しみに惑わされていつまでもくよくよせずに、生をまっとうし過ちのないことを守り通そう。
稲城(いなき;山の洞)の外の坂道(黄泉(よもつ)の平坂(ひらさか)は、私が息絶えている間の過ちを塞(せ)き止める限り岩だ。
私はこれらのことを誓(ちか)って、道をひき返す道返(ちかえ)し(誓(ちか)えし)の神である』と。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、亡くなった妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)のことを悔やみながら、大和に引き返して行かれた。


軻遇突智(かぐつち;狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)の娘の菊桐姫(ここりひめ;高田媛(たかだひめ)を神格化)は、狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱の頃に生まれたと考えられる。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)が伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)の遺体を見たのは、稲城(いなき;山の洞)で語っているのが後に来るのが狭穂姫(さほひめ)の死を神話化するために前後した結果である。
醜女(しこめ)8人に追われる伊弉諾尊(いざなみのみこと)は、醜女(しこめ)8人と伊弉諾尊(いざなみのみこと)が兵士と狭穂姫(さほひめ)に入れ替わって、『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱の記述から分かる。
黄楊櫛(つげぐし)と桃は、古来より破邪退魔の力があると考えられていた。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと;垂仁(すいにん)天皇を神格化)は、誓(ちか)えしの神と言うのが伊弉冉尊(いざなみのみこと;狭穂姫(さほひめ)を神格化)との約束で、丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)の娘を皇后や妾(めかけ)に迎える誓(ちか)いを守ったからだと考えられる。
僕が歴史研究で初めて求めたのは、黄泉国下(よみのくにくだ)り神話と狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱の合致で、京都の民話『山姥(やまんば)と馬吉』が民間伝承した物とも気付いた。
『古事記』の狭穂彦王(さほひこのみこ)の反乱は、『ホツマツタエ』と『日本書紀』とも全く異なる伝承で、最も正確に伝承して、『ホツマツタエ』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話が伝承を何重にも神話化したことを証明できる。

黄泉国下(よみのくにくだ)り神話は、『ホツマツタエ』を基(もと)にして、出版していない6冊目の本に記す『ホツマツタエ』の黄泉国下(よみのくにくだ)り神話を記した。

<参考文献>
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古事記(上)(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼編・著者 八幡書店・発行
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