三種の神器


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

三種の神器は古代から天皇が即位に使う皇位継承物で、代々の天皇の受け継ぐ皇位の証(あかし)で、八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ;別名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも言う)と八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)の3つである。
現在だと国事行為「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀(ぎ)」で天皇即位に使われて、「剣(草薙剣)と璽(八坂瓊曲玉)を等しく継承する儀」と書き換えられて、二種の神器だった根拠とされることがある。
八咫鏡が伊勢神宮で草薙剣が熱田(あつた)神宮の御神体で、八坂瓊曲玉が皇居に納められている。三種の神器にはそれぞれ色々な由来があって、それを少しでも分析してみようと思う。

メソポタミア文明と三種の神器

メソポタミア文明の最初にいたシュメール人は、5500年前頃に現れて4千年前頃に突然姿を消して、シュメールや古代バビロニアにも三種の神器があって、日像鏡と月像の首飾りと武神の剣で、日本の三種の神器が鏡と勾玉(まがたま)と剣で、八坂瓊曲玉が首飾りでないかとも伝えられて、合致するのを偶然で片付けられるか?
日本神話は8つの首を持つ八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して、三種の神器の草薙剣を入手して、シュメールでも7つの首の竜を倒して、三種の神器である武神の剣を手に入れた。
正統『竹内文書』は日本に世界最古の文明があって、古代天皇家の先祖が世界中を巡って、エジプト文明やメソポタミア文明などを起こして、そこから再び日本に戻って来たと言う。
メソポタミア文明と三種の神器は、全くの無関係と言えない何らかの謎がある。
古代イスラエルにも三種の神器はあって、これが日本の三種の神器と合致しないが、古代イスラエルも古代天皇家との関連性があって、日ユ同祖論(日本人とユダヤ人が共通の先祖とする説)も馬鹿にできないかもしれない。

三種の神器は複数あった?

『ホツマツタエ』で崇神(すじん)天皇4年10月23日(西暦87年11月下旬頃)に詔(みことのり;天皇の述べた言葉)して、八重垣剣(やえがきのつるぎ)と八咫鏡(やたのかがみ)を新しく作って、三種の神器を皇位継承の神宝にしたと記す。
古代天皇家は建国する以前から三種の神器を持っていたなら、崇神天皇4年にレプリカ(複製品)を作った可能性が考えられる。
日本武尊(やまとたけのみこと)は西暦251年に皇位継承権争いで強行即位して、日本武(やまとたけ)天皇(架空の成務(せいむ)天皇)として出雲王国を統治して、翌年252年に即位した日本武尊の息子の仲哀(ちゅうあい)天皇と対立して、大和(邪馬台国)と出雲王国の2朝廷並列時代を生み出したと考えられる。
また南北朝時代の北朝と南朝は、皇位継承物の三種の神器をそれぞれに持っていて、2朝廷並列時代を生み出したのでないか?
だとすれば三種の神器は、複数存在している可能性が考えられて、それが正しいか不明である。

古代の三種の神器

『ホツマツタエ』によると三種の神器はミクサ(漢字では三種と書く)と呼んで、日本神話の時代の初代クニトコタチがトノヲシテ(建国した時の統治の理念を形にした物と考えられる)を定めて、たった一つの神器だったと言う。
時代が下って6代目のオモタルとカシコネの時代にトノヲシテの他に斧が加えられて二種の神器となって、7代目のイサナキとイサナミの時代に斧が別名の逆矛(さかほこ)になり、8代目の男性の太陽神アマテルカミ(天照神)の時代に八咫鏡が加えられて、トノヲシテを表わすのが八坂瓊曲玉となって、逆矛が別名の八重垣剣になって三種の神器になった。
以来『ホツマツタエ』は、三種の神器が八咫鏡と八坂瓊曲玉と八重垣剣の鏡と玉と剣で、歴代天皇時代もこれだと記す。
『日本書紀』の日本神話や古代天皇家の伝承を見ると、八咫鏡と草薙剣を継承して八坂瓊曲玉をはぶく伝承があり、『日本書紀』の垂仁(すいにん)天皇時代の八坂瓊曲玉の由来があって、草薙剣と八重垣剣が全く別の剣である。

国宝『海部(あまべ)氏系図』に建田勢命(たけたせのみこと)が「古記に云(い)うこの命(みこと)は天御蔭鏡(あめのみかげのかがみ)と天村雲之刀(あめのむらくものかたな)をもって二璽神宝(ふたつのみしるしのかんだから)と為(な)す」と記されて、天村雲之刀が天叢雲剣と同一で、天御蔭鏡が八咫鏡の別名だと考えられて、二璽神宝と記して二種の神器を思わせる。
『海部氏系図』に天御蔭鏡と関係する人名の天御蔭命(あめのみかげのみこと)が記されて、海部氏系図の直系先祖が別名を天御蔭命と言うと記す。
天御蔭命は海部氏の始祖の彦坐王(ひこいますのみこ)でないかと考えられて、彦坐王の妻・息長水依比売(おきながみずよりひめ)の父親が天之御影神(あめのみかげのかみ)で、彦坐王を神格化した神様でないとも考えられる。
海部氏系図の直系先祖の建諸隅命(たけもろすみのみこと)は、別名に天御蔭命の弟と記されて、天之御影神の弟が建諸隅命と考えられて、彦坐王の実弟の崇神天皇が天之御影神の可能性がある。
以前に歴史研究をした時、崇神天皇が天之御影神かと考えたが、崇神天皇の娘が彦坐王と結婚して、さらにその娘の御井津比売(みいつひめ)が崇神天皇の皇后になると考えられて、血縁矛盾が起きてこの考えを封印した。
どうであるにしても、『日本書紀』や『海部氏系図』などが八坂瓊曲玉をはぶいて八咫鏡と草薙剣が二種の神器の可能性を強めて、八重垣剣が三種の神器なのも見逃せず、これからの研究でひもとく必要がある。

八咫鏡

八咫鏡は天照大神(あまてらすおおみかみ)の御神体で、鏡の放つ光が日光を思わせる点が大切なのだろう。
『出雲国造神賀詞』は八咫鏡に大国主神(おおくにぬしのかみ)が自分の和魂(にぎみたま;やさしい平和的な魂)を託して、「倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)」と名付けて、「大御和(おおみわ)の神奈備(かんなび)」(御神体山・三輪山(みわやま)のこと)に鎮めたと記す。
この意味は出雲大社の大国主神が自分の和魂を八咫鏡に取り付けて、三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)の名前を付けて三輪山に納めて、大国主神と大物主神が元々同一神である。
これは八咫鏡が出雲に渡った意味で、天照大神(倭姫命(やまとひめのみこと)を神格化)の八咫鏡が素戔嗚尊(すさのおのみこと;日本武尊を神格化)の反逆で持ち出されて、日本武(やまとたけ)天皇が出雲王国に亡命して、大国主神(飯入根(いいいりね)を神格化)に渡したと考えられる。
八咫鏡は出雲の国譲り神話で出雲に渡って、大国主神(飯入根を神格化)の元から大和へ戻ったと考えられて、大物主神と天照大神が同じ太陽神で、八咫鏡に大国主神の名前が付けられて、御神体山・三輪山に八咫鏡を鎮座させたのでなく、伊勢神宮の間違いでないかと考えられる。
『ホツマツタエ』で2代目オオモノヌシ(狭穂彦王(さほひこのみこ)を神格化)が逆矛を三輪山に納めたと記して、逆矛と八咫鏡が間違って伝承されたと考えられる。
八咫鏡は過去の記録によると何度か焼失して、何度か作り直されたとも記されて、長年に渡って守られて焼けたと考えられて、三種の神器の中で一番大切にされる。

草薙剣(天叢雲剣)

天叢雲剣は素戔嗚尊(日本武尊を神格化)が八岐大蛇(古代太陽神の滝祭神(たきまつりのかみ)を怪物視した蛇神)を斬殺して、その尻尾から入手した時に天に雲が叢(むら)がったから名付けたとされる。
草薙剣は八重垣剣と同じものとするが、『ホツマツタエ』に全く別の剣と記す。
草薙剣は伊勢神宮斎王(さいおう;太陽神に奉仕する未婚の皇女)の伯母(おば)の倭姫命(やまとひめのみこと)から日本武尊が受け取って、東海平定に出陣して相模(さがみ;神奈川県)の小野(おの;秦野市の辺りか?)で賊が火を放って野原が燃えて、天叢雲剣で燃える草を薙(な)ぎ切って草薙と名付けたが、『日本書紀』の静岡県焼津市の地名に基づくのが間違いである。
天叢雲剣で燃える草を薙ぎ切ったことは創作で、もっと昔から草薙剣と呼んだと考えられる。
この2つの伝承には共通性があって、素戔嗚尊(日本武尊を神格化)の非道を隠す内容で、古代天皇家が歴史上で最も隠したかった秘史である。

日本武尊(素戔嗚尊に神格化)は父の景行(けいこう)天皇の崩御(ほうぎょ;天皇が亡くなること)前に東海平定の総大将として出陣して、その後に父が亡くなった報告を受けて大和に戻って皇位継承権争いを収(おさ)められず、日本武尊が三種の神器をそろえて強行即位して日本武天皇(架空の成務(せいむ)天皇)となった。
武虎別皇子(たけこわけのみこ)に助言した伯母の倭姫命(天照大神に神格化)を殺して、結果的に太陽神殺しの大罪をおかして、全ての皇族から敵意を向けられて暗殺されそうになり、三種の神器を持ったまま出雲王国に亡命した。
日本武尊が三種の神器をそろえた時、草薙剣も一緒に出雲王国に持っていったと考えられる。
これが草薙剣(天叢雲剣)と日本武尊(素戔嗚尊)にまつわる秘史で、日本神話と景行天皇時代の記述を正当にひもとける僕だけが求められる真実である。

かつて天智(てんじ)天皇の時代に道行(どうぎょう)という僧侶が草薙剣を盗み出して、新羅に逃げようとして風雨に見舞われて船が戻り、草薙剣を取り戻されて皇居にとどめ置かれたと言う。
かつて天武(てんむ)天皇が草薙剣の祟(たた)りに当たったと言う伝承もあって、神々の宝物として神威(神様の威光)があるのかもしれない。
平清盛(たいらのきよもり)の孫の安徳(あんとく)天皇が入水自殺した壇ノ浦(だんのうら)の合戦で草薙剣が海に投げ込まれて、その後で見つからなくて現在は代用品と言われる。
江戸時代に熱田(あつた)神宮の大宮司ら他4、5人の神職が草薙剣を盗み見て、それを見た者たちが次々に亡くなったと言われて、三種の神器とは見ることのできない呪物かもしれない。
草薙剣は皇族に認められない日本武天皇に深い関係があって、それにまつわる伝承が大切である。

八坂瓊曲玉

八坂瓊曲玉は別の漢字で八尺瓊勾玉とも記されて、曲玉と勾玉という漢字から縄文時代の装飾品の勾玉が思い浮かぶが、『古事記』で珠(たま)という漢字を使用する所から宝珠とも考えられる。
ある時に丹波国(たにはのくに;古代の京都府北中部)に甕襲(みかそ)という人物の家があり、飼い犬の足往(あしゆき)が狢(むじな)を食い殺して、その腹の中から八坂瓊曲玉が出てきて、甕襲は八坂瓊曲玉を石上(いそのかみ)神宮に納めた。
垂仁(すいにん)天皇時代に記述があるのは、八坂瓊曲玉の事件がその時代にあって、垂仁天皇5年6月1日(西暦156年7月上旬頃)に垂仁天皇の従兄弟で2代目出雲国王の狭穂彦王(さほひこのみこ)が反乱を起こしたことに由来するのでないか?
丹波の統治者(丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)か?)が狭穂彦王を殺して、古代太陽神に神格化された2代目オオモノヌシ(狭穂彦王を神格化)の神宝が八坂瓊曲玉で、その反乱の代償に狭穂彦王の子孫の物部(もののべ)氏が古代天皇家に献上して、八坂瓊曲玉が奉納された石上神宮を狭穂彦王の子孫の物部氏が代々管理したと考えられる。

八坂瓊曲玉は日本神話によると、大国主神と共に国造りした少彦名命(すくなひこなのみこと;少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)を神格化)が見つけたとされる玉造(たまつくり)温泉の地で櫛明玉命(くしあかるたまのみこと;誰を神格化したか不明)が作った伝承がある。
八坂瓊曲玉が丹波や出雲と関係するのは、出雲王家(物部氏)と丹波国造(たにはくにみやつこ;海部(あまべ)氏)と深く関わるためと考えられて、2代目オオモノヌシ(狭穂彦王を神格化)と大国主神(飯入根を神格化)が深く関わるのだろう。
八坂瓊曲玉は垂仁天皇時代に三種の神器に加わったと考えられる。
どうであるにしても八坂瓊曲玉は、三種の神器として大切なもので、他のものと異なる伝承が興味深い。

まとめ

三種の神器は日本神話の神々の時代から天皇家に伝わる皇位継承の証で、古代日本史を語る上で決してはずせない。
日本神話は邪馬台国(やまとこく;大和国)時代の古代天皇家の歴史を神話化して、八百万の神々が古代天皇家の人物を中心に神格化して、僕が長年ひもといた歴史研究の成果である。
三種の神器に秘められた歴史は、僕ら現代日本人にはかり知れないもので、現在の皇室でさえ知らないことも多い。
僕のひもといた内容は、あくまでその一端にすぎなくてまだまだ分からない。

<参考文献>
『BooksEsoterica第22号 天皇の本 日本の霊的根源と封印の秘史を探る』
株式会社学習研究社・発行
『ホツマ辞典』
池田満・著者 ホツマ刊行会・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行
『正統『竹内文書』の謎』
竹内睦泰・著者 株式会社学研パブリッシング・発行
『前ヤマトを創った大丹波王国 国宝「海部系図」が解く真実の古代史』
伴とし子・著者 叶V人物往来社・発行
『日本の神様読み解き事典』
川口謙二・編著者 柏書房株式会社・発行
『歴史読本二〇〇三年十月号』
叶V人物往来社・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全三巻―』・発行
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『知の探究シリーズ 日本超古代文明のすべて』
株式会社日本文芸社・発行
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