神功(じんぐう)皇后の系図


これは出版していない3冊目以降の本の著作権を含む。

神功皇后の先祖は父方が彦坐王(ひこいますのみこ)で、母方が天日槍(あめのひぼこ)とするが、天日槍が彦坐王を神格化した古代太陽神で、両方とも彦坐王を最初の先祖とする。
神功皇后を神格化した神様は、天岩戸(あまのいわと)隠れ以後の天照大神(あまてらすおおみかみ)とタクハタチチヒメで、『ホツマツタエ』の日本神話から6代目タカミムスビ(景行(けいこう)天皇を神格化)の息子の7代目タカミムスビ(武虎別皇子(たけこわけのみこ)を神格化)で娘がタクハタチチヒメ(神功皇后を神格化)で、祖父が景行天皇に当たる皇族である。

神功皇后の父方の先祖である男性ばかりを求めると、彦坐王が本人で、息子の山代大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)が狭穂彦王(さほひこのみこ)で、孫の加邇米雷王(かにめいかずちのみこ)が孫娘の欝色謎命(うつしこめのみこと)で、曾孫の息長宿禰王(いきながすくねのみこ)が武虎別皇子で、曾曾孫の神功皇后が本人となる。
彦坐王から数えて四世孫の神功皇后の系図は、初代出雲国王の彦坐王と息子で2代目出雲国王の狭穂彦王からつながる系図以外に確答するはずがなく、僕以外に求められない奇跡の知識である。
この系図の人物が物語る正体は、出雲王家(物部(もののべ)氏)の直系系図を男性と女性問わず全て男性にしたために隠された。
彦坐王から数えて四世孫の神功皇后の系図は求めていたが、神功皇后の父方の先祖である男性ばかりの系図に合致することに気付いたのが今年7月25日である。

『古事記』の系図を見ると父親の息長宿禰王が武虎別皇子で、その父親の加邇米雷王が景行天皇で、息長宿禰王の母親の高材比売(たかぎひめ)が欝色謎命で、景行天皇が祖父を彦坐王の息子の丹波道主王(たにはみちぬしのみこ)で、欝色謎命が父を彦坐王の息子の狭穂彦王だから、加邇米雷王も高材比売も彦坐王の子孫となる。
加邇米雷王の父親が山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)で祖父が彦坐王とするが、完全に間違った伝承で成立したと考えられる。
『古事記』は『日本書紀』をサポートするが、『日本書紀』の天日槍の系図が『ホツマツタエ』と全く同じで、『古事記』の天日槍の系図が滅茶苦茶で『ホツマツタエ』の跡形もないから色々な疑いが生まれる。

『日本書紀』だと天日槍の妻が麻多嗚(またお)になるが、『古事記』だと天日槍の舅(しゅうと)が麻多嗚で明らかに間違って、『日本書紀』が正しいことを考えるまでもない。
『日本書紀』は天日槍の息子が但馬諸助(たじまもろすけ)で、その息子が但馬日楢木(たじまひならき)で、その息子が清彦(きよひこ)で、『ホツマツタエ』の系図に忠実なのが確かで、『古事記』だと但馬諸助の息子が多遅摩斐泥(たじまひね)という架空の人物で、孫が但馬日楢木で、確実に間違った伝承に基づくことが明白である。
『日本書紀』でも『ホツマツタエ』でも清彦(祖別命(みおやわけのみこと)の母)の息子が田道間守(たじまもり;祖別命を祖先化)なのに、『古事記』だと清彦の兄弟が田道間守で、伝承が間違いで信頼できない。

田道間守は『ホツマツタエ』で花橘(はなたちばな)を妻として、景行天皇元年4月末日(西暦191年5月下旬頃)に娘の弟橘姫(おとたちばなひめ)が生まれたと記されて、神功皇后が西暦228年頃の生まれだと考えると、田道間守の子孫が神功皇后だと考えにくく、『古事記』の系図通り田道間守の父親の清彦(祖別命の母)が神功皇后の曾祖母に当たると考えられる。
神功皇后の父方の系図を求めるヒントは『日本書紀』で、欠史(けっし)八代の孝元(こうげん)天皇である皇后の欝色謎命との間に生まれた大彦命(おおびこのみこと)が阿倍(あべ)氏の始祖で、その娘の御間城姫(みまきひめ)が崇神(すじん)天皇の皇后で垂仁天皇を生んだと記す。
孝元天皇として祖先化されたのが景行天皇で、その妃の高田媛(たかだひめ)を祖先化したのが欝色謎命で、その父親が阿倍氏木事(あべうじのこごと)で正しく求めると野見宿禰で、景行天皇と欝色謎命の息子の武虎別皇子が阿倍氏出身で、大彦命に祖先化された。
欝色謎命は高田媛と高材比売に当たって、2人の名前が似るのも偶然でない。

阿倍氏の大彦命の娘が皇后で垂仁(すいにん)天皇を生んだと記す時、阿倍氏出身の武虎別皇子の娘が神功皇后で、皇太子の誉田別尊(ほむだわけのみこと;即位しない応神(おうじん)天皇)を生んで、明らかに共通してこの系図が正しいと考えられる。
息長日子王(いきながひこのみこ)を武渟川別(たけぬなかわわけ)か疑問視するのは、息長宿禰王(武虎別皇子)の妃が河俣稲依毘売(かわまたいなよりひめ)で、その息子の大多牟坂王(おおたむさかのみこ)が武渟川別で、神功皇后の同母弟か異母弟と考えられて、神功皇后の弟が長男の武渟川別と次男の比古伊那許士別命(ひこいなこしわけのみこと)で、『ホツマツタエ』の日本神話から求めて確実である。
神功皇后の系図は「記紀」と僕の解釈を含んで、最も信頼できるものだと考えて良い。

<参考文献>
『日本の神様読み解き事典』
川口謙二・著者 柏書房株式会社・発行
『日本書紀(上)全現代語訳―全二巻―』
宇治谷孟・著者 株式会社講談社・発行
『古事記(中)―全三巻―』
次田真幸・著者 株式会社講談社・発行
『完訳秀真伝』
鳥居礼・編著者 八幡書店・発行

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